↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
なにになろう? ―「もしも魔法が使えたら」の未来―  作者: コペルニクス2号


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/35

第7話 四日目、半分の点検

 四日目の早朝、シゴキ・ダイスキー軍曹は点検係の技手と演習場の隅に立っていた。


 二人の前にそれはあった。長い鉄の腕の先にゴンドラを吊るし、ぐるぐる回して人を慣らす回転式の訓練機。書類の上では「由緒ある機材」かもしれないが、候補生の見立てでは「博物館から借りてきた何か」。三週間の速成日程は新しい訓練機の納入を待たなかった。待たない代わりに古い機材の回転数を上げて使うことにしたらしい。決めたのはこの演習場にいない誰かだった。


「点検時間は半分と聞きました」と技手が言った。


「日程が詰まっている」


「もう固定具の締結の全数確認は無理です。半数抜き取り確認になります」


「……命令だ」


 軍曹は自分の声が上司の声で鳴るのを聞いた。三週間で仕上げろ、と言われた日と同じ音がしたあの声だ。上はもう戦争のつもりでいる。演習場の候補生たちがまだ『調査』の二文字で集められているとしても、だ。技手は肩をすくめ点検表の項目にいくつかの斜線を引いた。斜線は速かった。


 *


 オリル・ミチオは順番待ちの列から、回る箱を眺めていた。四十人のうちの一人で、海から来た男だ。漁師の家に生まれ、物心つく前から縄を結んでいたような手をしている。志願の理由を聞かれても「海がいちばん遠くまで人を運ぶと思ったから」としか答えなかった。機械には詳しくない。詳しくないが、海の上でいい音と悪い音を聞き分けて生きてきた耳がある。この回転式の訓練機も彼には大きな釣り道具か、慣れない船の一種に見えていた。


 第一組が回った。降りてきた十六番──例の生中継で威勢よく叫んでいた英雄候補生だ──の顔は見事に歪んでいた。


「顔が漁の初日だな」


「漁の初日って、どんな顔だよ」


「そういう顔だ」


 隣でハタケ・ミノリがらんらんと目を光らせていた。実家は果樹園で、甘い実ほどはしごの届かない先になる。だから安全な段より、伸ばした手を信じて育った――と、廊下の長椅子で本人が言っていた。この機材ですら、彼女には操縦桿への階段なのだ。


 第二組が乗り込んだ。ハタケと、二十九番と七番の三人だ。


 鉄の腕が回り始めてしばらくたった。


 音が変わった。


 回る音の中に、回っていない音がある。ボルトが一本、持ち場を離れて歌っている。


 船なら岸に戻す音だ。


 体は頭より先に走り出していた。


 視界の端で技手も走る。シゴキ軍曹が非常停止のボタンに飛びついた。停止は間に合った。半分だけ。


 回転は止まったが勢いは止まらない。──ごん、と鉄が芯から鳴った。ゴンドラの固定具が根元から歪み、つり索が一本もげていた。人の入った箱は地面へ落ち、滑り出した。滑る先には訓練塔の脚がある。箱はもげたつり索を尻尾のように引きずって駆けていった。


 箱の中からは何の声もしなかった。


 海では遅い判断は死ぬ。一分あれば船は沈むのだ。


 オリルは走りながら引きずられていくつり索の端を拾った。


 訓練塔の脚に二巻き。


 巻いたつり索が張る。訓練塔の脚が鳴る。全部は止めない、全部を止めればつり索が切れる。切れない程度に滑らせて、滑らせながら勢いを喰わせる。係船と同じだ。相手が船でも、箱でも理屈は変わらない。


 つり索が焦げた匂いを立てて滑る。箱が減速する。向きが変わる。塔脚の手前で横倒しになり、砂を噴き上げて止まった。


 砂が落ちきるまでの何秒か、誰も声を出さなかった。


 止まった箱にみなが駆け寄った。中の三人は意識があった。あったが無事ではない。一人は肩から先が変な向きで、もう一人は額から血を流し、ハタケ・ミノリは右腕を胸に抱え込むようにしてうずくまっていた。


「動かすな! 医務班を待て!」


 軍曹の声は訓練の声より大きく、少しだけ揺れていた。オリルはつり索から手を離した。隣で主人公が、届かなかった手をまだ開いたままにしていた。掌にはつり索の熱が焼けつくように残っている。漁で覚えた縄の熱と同じだ。「こんな場所でまで、この熱に触るとは……」触りたかったのかどうかは自分でも分からなかった。数えていなかったが、一分は経っていない。息を止めていたことに、そこで気づいた。


 *


 午後の訓練はなかった。


 候補生は自習待機になった。演習場は立入禁止で、医務棟の前には入れ替わり立ち替わり誰かが立った。


 夕方、シゴキ軍曹は基地の運用参謀の部屋にいた。


「──訓練の全日程停止を、上申します」


 参謀は書類から顔を上げなかった。「事故原因は機材の老朽化と聞いたが」


「点検で省かれたのは、固定具の締結の全数確認です。時間が半分なら、半数抜き取りに切り替えた。もげた索は抜き取りから選ばれなかった側でした」軍曹は朝の斜線の速さを思い出しながら言った。「機材の点検時間を半分にしたのは、日程のためです。日程を止めずに機材だけ直しても、次は別の場所が同じ理由で壊れます」


「戦時だ、我々には急いで数が要る」


「理解しています」


「君の査定に響くぞ」


「承知しています」軍曹は息を吸った。朝、自分が技手に命令だと言ったときの音を喉の奥から追い出すために。「響かせてください。響いた査定表ごと記録に残りますから」


 参謀が初めて書類から顔を上げた。長い沈黙のあと、一文で断った。


「上申は受ける。日程は動かん。──別の話だ」


「では、書面で上申します。却下されるなら、却下の記録ごと残る形で」


 部屋を出た軍曹の背中は、決裁箱へ向かう事務の背中ではない。強いて言えば、上司の命令で雨の日に船を出す船長のそれだ。


 夜、オリルは手慰みに縄を持って談話室にいた。噂は既に一周している。


「止まらないのかよ、日程」


「軍曹のせいじゃねえのか」ゴウカが壁を蹴った。


「軍曹は止めようとした側」ホシミが帳簿から顔を上げずに言った。「削ったのは、もっと上」


「止まらないさ」ノリが珍しく静かな声で言った。「上申は却下。日程は明日から再開、機材だけ差し替え。で、軍曹の名前の横には査定って言葉が並んでる。……なあ、あの軍曹、損しかしてないよな。訓練は止まらない。査定は落ちる。何も変わらない」


「一個だけ変わった」


 言ったのは談話室の隅で名簿を写していたモリバンだった。同じ廊下の長椅子で掲示の受付見込みと待つ人の数を見比べ、合っていません、と誰にも頼まれないのに席を立った眼鏡の男だ。点呼では二十六番。数が合わないと落ち着かない質で、この四日も番号と名前を紙に写しては照らし合わせていた。


「『四日目に、止めようとした教官がいた』という記録が、今日から存在する。却下の記録ごと」


 その晩、棚から辞退の紙が二枚減った。


 一枚は十一番。彼は談話室の入口で立ち止まり、誰にともなく「悪いな。俺は、無理だ」と言った。誰も悪いとは言い返さなかった。ノリが「駅まで送る」とだけ言って、二人で出ていった。もう一枚は誰が取ったのか、朝まで分からなかった。


 *


 五日目の朝、再開の朝礼が行われた。


 点呼の前にさらにもう一人が辞退紙の棚から一枚を取り、しばらく持って棚へ戻していた。戻すところを見ていた人もいたが、見ていて何も言わなかった。


 シゴキ軍曹は名簿を開いた。三十五人の整列を前に、番号ではなく、名前で点呼を取った。


「ホシミ・ネガイ」「はい」


「ひろし・ただの」「はい」


「イチバン・ノリ」「はい」


 いつもの二倍の返事が、今朝は一回だった。


 返事のある名前を、三十五。


 それから軍曹は声の大きさを変えずに、返事のない名前を読んだ。医務棟の三人の名前。昨夜、棚から紙を取った二人の名前。最初の返事のない名前で、ノリの口が癖で開いた。開いたまま、閉じた。五つの名前は、朝の演習場で返事の代わりに風だけを受け取った。


「以上、四十名。──訓練を再開する」


 四十、と読み上げる自分の声を軍曹は聞いた。ここにいるのは三十五人。名簿は四十行ある。まだ五日目の朝だ。


 *


 六日目の朝。


 ハタケ・ミノリたち三人の搬送は、医務棟での応急処置と経過観察を挟んでこの朝と決まっていた。ハタケの右腕の再建は基地の設備では対応できず軍病院行き。二十九番の肩と七番の目も同じ判定で三人とも課程には戻らない──と見送りの許可を取りに行った窓口でオリルは聞いた。


 担架の上のハタケは左手で書類を持っていた。医務離脱の手続き書類だ。彼女はそれをオリルたちに向けて振ってみせた。振ってから、一拍、動きが止まった。振るのは、いつも右の役だった。


「見て。『辞退』の欄はさ、空欄のまま出すよ。わたし、ここは書かない。書かされそうになったけど、書かない」


「……書かないと、どうなるんだ」と、見送りに来ていたひろしが聞いた。


「『訓練事故による離脱』って、事務の人が別の欄に書くの。事実だからそれはいいの」左手の書類が少し下がった。「辞退は自分でやめること。わたしはやめてない。……基礎測定の操縦適性、四十人中三位。でも、わたしの中ではあれは実質一位なの。理由は退院までに考えておく。──その実質一位は預けておくから」


「誰に?」


「決めてない。四十人の誰かに」ハタケは天井を見た。「実質一位を取った目のほうは、まだ無事なの。腕が治らなくても、目の使い道は、あるはずなの。探すのはこれから」


 担架が車両に載って扉が閉まった。モリバンは名簿のハタケの行に何かを書き込んでいた。消すためではなく続きを書くための書き込みだ。


 車両が門を出ていくまで、オリルは動かなかった。動かないまま隣のひろしにだけ聞こえる声で言った。


「海ではな、人が揚がった日の湾には、顔があるんだ。静かで、厳かで、決して海をなめてはいけない。今日のここはその顔をしてる」


「……オリル」


「決めたよ、主人公。俺は期限の最後の朝に辞退書類を出す」オリルは縄を癖のように結んでほどいた。「うちの海の決め方は当日の朝に決める。今回は……決めるのが早まった。それだけだ。──出すと決めても期限までは全部やる。網の手入れは抜かん」


 言ったことは必ずやる男の顔を、ひろしはしばらく見ていた。引き止める言葉を探して、探すこと自体が違うと気づいた。代わりにひろしは聞いた。


「漁協の入札って、いつなんだ」


 オリルは少し驚いた。長椅子の入札日程表をこいつは覚えていたのか。それから、訓練に来て初めて海の男の笑い方をした。


「秋だ。いい魚を回してやるよ、軍にな」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。