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なにになろう? ―「もしも魔法が使えたら」の未来―  作者: コペルニクス2号


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第6話 四十人の洗濯当番

 ロンパリ訓練基地の登録窓口は、フツー区役所と正反対だ。


 書類は一枚。名前を書く欄と、血液型を書く欄と、「あなたの夢」を書く欄しかない。


「夢、ですか」


「夢だ」受付の下士官は真顔のまま、ペンの尻で欄を叩いた。「ウオモイ軍はロマンで飛ぶ。書け」


 ひろしは少し迷って、「個性」と書いた。隣のヒロミは迷わず何かを書いて提出。ちらりと見えた欄には几帳面な字で「観測」。何を観測するのかは書いていなかった。


 講堂に集められた新入りの候補生はひろしたちを入れて四十人。全員の胸に番号札が配られた。ひろしは十六番。ヒロミは十二番。名前の欄はあんなに小さかったのに、番号札は嫌になるほど大きかった。


 壇上に上がった教官は、軍曹の階級章をつけた岩みたいな男だった。体格だけなら不動、顔だけならまさにこの世の終わり。


「候補生諸君。ようこそ。教官のシゴキ・ダイスキーだ」


 名前で誰かが笑い、教官がひと睨みで黙らせた。この世の終わりが睨んだのだ。


「先に言っておく。本官は諸君に恨みはない。これから諸君にすることは、すべて上の命令であり、諸君の成長を促すものだ」


 教官は息を吸い、吐き、もう一度吸った。


「本官は上層部から、この候補生部隊の諸君を『三週間で』一人前の操縦士に仕上げろと命じられている」


 講堂がざわついた。誰かの「早っ」に、ひろしも内心でうなずく。カレー当番の引き継ぎにだって一週間はかけたのに。しかも、いつの間にか操縦士と決められている。なにをそんなに急いでいるのか。


「言いたいことは分かる。本官も同じことを上に言った。三週間で人間を操縦士にできるなら、軍学校の三年は何なのですか、と。上はこう答えた。『我々は一%の努力と九十九%のロマンで作られている、一%の努力だけしろ』」


 教官は遠くを見た。壇上の男の目に乾いた砂漠が広がっていた。


「……できる、できないの話はすでに本官が散々論じて、そして終わった。やる。諸君、三週間だ。本官についてこい。ついてこられない者は──いや、全員ついてこい。頼むから」


 号令より切実な「頼むから」をひろしは初めて聞いた。


 *


 宿舎は二人部屋。割り当て表によると、ひろしの同室は十七番「ヤミノ・ホムラ」。


 扉を開けると、部屋の中は薄暗かった。同室者が照明を三割まで絞っていたからだ。窓を背にして、黒髪の男が立っていた。ドラマティックなライティングの下、右手を顔の前にかざし、指の隙間からこちらを見ている。


「……来たか」


「あ、どうも。十六番ひろし・ただの。今日から同室の……」


「知っている。星の巡りがそう告げていた」


「……割り当て表だろ?」


 ひろしは笑いながら言った。馬鹿にしたというより、初めて会うヤミノの仕草が面白かった。


「我が名はヤミノ・ホムラ」男は聞いていなかった。「チュウニ区が生んだ、闇の焔を宿す者。星の巡りは運の巡り、以後、『相棒』と呼ぶことを許そう」


「はあ。よろしく」


 握手のために出された左手には指ぬきの黒い手袋がはまっていた。支給品ではない。革は角が白く擦れ、指の付け根は色の違う糸で継いである。にわか仕立てには見えない。限られた私物の鞄の容量をこの混沌より産まれし闇の手袋に使った男なのだ。


 ひろしはこいつのことがちょっと好きになった。


 消灯前、ヤミノは二段ベッドの上段でノートに何かを書き込んでいた。表紙に『禁忌録』とある。中身は後で分かったが、日記だった。それも、その日の反省を箇条書きにする、ものすごくまともな日記だ。


「なあ、ヤミノ。おまえ、なんで志願したんだ」


「愚問だな」上段から声が降ってきた。「この世界の理は、まもなく書き換わる。亀裂が開くとき、選ばれし者には力が与えられる。我は、その日のために備えている」


「そっか。俺は魔法を使ってみたい」


「ふ……。さすが相棒だ、呼び名が違うだけで、我らの求める深淵は同じということか」


「そうとも言う?」


 上段でヤミノが「ククク」と笑ったが、途中で少しむせた。


 消灯後、廊下を歩く靴音が談話室の前で止まり、きゅっ、きゅっと何かを書く音がした。翌朝、談話室のカレンダーには赤い丸と几帳面な書き込みがあった。


『残り二十一日』


 *


 訓練が始まると、日々は番号で回った。


 十六番、走れ。十六番、担げ。二十六番、ぶら下がれ。三十三番、飛べ。遅いぞ、三十九番!──いつも列のいちばん後ろで、折り返しのたびに一歩ずつ遅れていく痩せた背中は、それでも歩きはしなかった。三日で、手のひらが支給の手袋より硬くなった。三日目の夜が来ても、ひろしが顔と名前の両方を知っているのは、ヒロミとヤミノを除けばまだ数人しかいない。


 その三日目の夜、宿舎棟の乾燥設備が壊れた。


 正確には、三週間の速成日程に合わせて四十人分の洗濯を一晩で乾かし続けた乾燥機が、過労で停止した。修理班の到着は三日後。明日の朝礼までに洗いたての訓練服四十着を乾かす方法は公式には存在しなくなった。


「存在しなくなったが……」


 談話室に候補生を集めたシゴキ軍曹は濡れた訓練服の山を指差した。


「明朝、湿った服で整列した者は、本官が絞る。服を、ではない。諸君をだ。各自、知恵を絞れ。以上だ」


 軍曹は出ていった。廊下で小さく「乾燥機くらい買ってくれ、頼むから」と聞こえたのは、全員聞かなかったことにした。


 *


 ゴウカ・バーナが最初に手を挙げた。


 四十人の中でも珍しい派手な技能名持ち。『業火の申し子』。志願の日から「俺の火力が火を吹くぜ」が口癖で、まだ一度も火を吹く機会が来ていない男だ。


「見てろ。俺の火力なら、一瞬だ」


 一瞬だった。談話室に焦げた匂いが広がり、ゴウカが実験台にした自分の一着が肘から先を失った。


「……乾いたろ?」


「袖が無いだろ」


 ひろしは焦げて消し炭になった袖を摘まみ上げた。


「乾いたというか、卒業したというか」


「すでに灰燼と化し、命の雫さえ失っている」


「ヤミノは黙ってろ」


 ゴウカは二着目に挑もうとして四方から押さえ込まれた。


「これも技能のうちだ」


「それ、袖の道具じゃねえの」


「うるせえ」


 ゴウカ・バーナ、火を吹きたいあまり袖にバーナーを仕込む男。技能の中身は「火の扱いが上手い」だけで、火そのものは出ない。


「順番と、距離。あと風」


 そう言ったのは、いつも夜の点呼のあとに窓から青星の方角を見ている女子だ。手元の紙に、もう表ができている。


「ゴウカの火から三歩離すと、焦げないで乾く。廊下の突き当たりは風が通るから、薄い物はそっちが速い。さっき計算した」


 女子は紙をめくった。「厚手が火のそば、薄手が風の道。この配置で夜中には四十着いける。計算上は」


「計算上は、って」


「計算はわたしの仕事。外れたら」女子はにやりとした。「プリン一個」


 乾き順の予想に三人が乗り、胴元は言い出した本人が務めた。帳面の胴元欄に、女子は自分で名前を書いた。ホシミ・ネガイ、九番。星を見るのが好きな計算屋が、プリン賭場を開いていた。


「プリンって、あの一兆五千億の?」


「現物のほう」


 ひろしはやることが自然に決まった。四十着の名札を確認して、厚い物と薄い物に分け、順番に並べる。カレー当番で鍛えた人間には、列を作る仕事が向いている。


「名札、消えかけてるのがあるな。──これ誰の?」


「三十一番だから……えっと、誰だっけ」


「イチバン・ノリ」ヒロミが帳面も見ずに言った。「点呼で毎朝、人より二倍早く返事してる」


 名前で呼ばれて、持ち主が手を挙げた。朝の点呼でいちばん早く「はい」と言うことだけを毎朝の目標にしている男だ。名前のわりに、番号は三十一番。


「ノリな。おまえの、これ」


「おう。……なんか、名前で呼ばれると変な感じだな。ずっと三十一番だったから」


 考えてみれば、三日間、互いを番号と「おい」で呼んでいた。四十人は多い。多いが、洗濯物を四十着並べると、四十人ぶんの名札が全部目の前を通る。ひろしは名札を読み上げながら渡した。読み上げるたび、持ち主より早く「はい」と返事をする奴がいた。ノリだ。自分の服でなくても返事をした。「おまえのじゃない!」「返事の練習だ!!」「うるせえ!!!」。毎朝一番の返事だけを目標にしている男は、夜まで練習を怠らなかった。


 名札の山が半分ほどに減ったころ、ノリが自分のぶんを受け取った。


「そういうおまえは……」ノリがひろしの名札を裏返しかけて、やめた。「主人公だろ」


 もう名札を見ていなかった。


 番号をやめて名前で呼びはじめた夜に、ひろしだけ、名前ではないほうが残った。


 *


 乾燥作業は夜半まで続いた。


 ゴウカの火の周りに厚手の服が三歩の距離で並び、廊下の風の道に薄手の服が吊られた。物干し綱は、日焼けした大柄な候補生が漁師の手つきで張っていった。


「三歩! ゴウカ、三歩!」


「詰めてねえよ」


「詰めてる。二歩半」ホシミが紙から目を上げずに言った。「焦げたら賭けが荒れる」


「おまえの賭けの都合かよ」


「闇の焔と業火の邂逅……深淵からの息吹と共に」


「ヤミノ、それ扇いでるだけだからな」


 ひろしは名札の順に乾いた服を畳んだ。畳み方はばあちゃん直伝の角の立つやつだ。


「主人公。おまえ、畳むのうまいな」ノリが感心した。


「ばあちゃんに教わった」


「カドの立つ人だったんだな」


 途中、ホシミが一着の服を持ってきて、少し迷ってから言った。


「これ、フクベの。……あいつ、夕方から荷物まとめてる。たぶん……」


 談話室が少し静かになった。三十九番の、いつも一番後ろを走っていた男がフクベだ。三週間という日程に三日目で心が折れかけている候補生は、一人ではなかった。


 ひろしは受け取って、他の三十九着と同じように角を立てて畳んだ。


「乾かして、畳んで、返そう。持って帰るにしても、残るにしても、湿った服よりいいだろ」


 誰も反対しなかった。ホシミが畳んだ服を抱えて、フクベの部屋へ持っていく。何を話したのかは誰も聞かなかった。


 賭けの結果はホシミの計算の勝ち。厚手の最後の一着が乾いたのは予想時刻の八分後。「誤差の範囲」と胴元が宣言し、異議は却下され、プリン三個が計算屋の帳簿に載った。プリンの現物はまだ誰も持っていなかった。


 深夜、二段ベッドの上段からヤミノが言った。


「相棒。今夜の貴様の采配、悪くなかったぞ。名付けて『洗濯の魔王』」


「やめろ。広まったらどうする」


 広まらなかった。あだ名の枠が、もう主人公で埋まっていたからだ。


 *


 四日目の朝。談話室のカレンダーの数字は、几帳面に三つ減っていた。シゴキ軍曹は皆の服が乾いていることに気付き、ゴウカの右袖だけが七分丈だったのを見なかったことにした。点呼はいつも通り番号で呼ばれた。


「九番」「はい」……


「十六番」「はい」……


「三十一番」「はい!!」……


「三十九番」


 一拍だけ間があって、列のいちばん後ろで、フクベが顔を上げた。訓練服は乾いていて、角が立っていた。


「──はい」


 軍曹は名簿から目を上げず、しかし読み上げる声がほんの少しだけゆっくりになった。四十個の「はい」が朝の演習場に順番に並んだ。


 点呼が終わり、軍曹は日程表を二度確かめてから告げた。


「本日午前の種目──回転ゴンドラ。整備班、起動準備。……日程が詰まっている、急ぐぞ!」


「ゴンドラ?」「遊園地かよ」とノリが笑い、軍曹だけが笑わなかった。


 急ぐぞ、と言うときの軍曹の声は号令の声ではなく、まるで自分に言うようだった。演習場の向こうで、整備班が箱形の機材のまわりをいつもより速い足で回り始めた。軍曹はもう一度日程表を見て、小さく言った。


「……頼むから」


 きのう立たせた服の角が、走るたびに少しずつ崩れていく。


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