第5話 壮行会の正解角度
「はいカット! 最高です! もう一回!」
出発前日。区民会館の舞台の上で、ひろしは敬礼の角度を何度も直された。腕が上がりすぎると「威圧的」、下がりすぎると「やる気がない」らしい。ちょうどいい敬礼は「われ目への敬意と、区への感謝と、母への愛が同時に伝わる角度」だそうだ。そんな角度があるなら母の日にでも大々的に教えておいて欲しい。
「もう一回。今度は目線を五度上で。希望の五度です」
「希望に度数があるんですか」
「あります」
舞台の上には横断幕が下がっている。
『祝 フツー区より英雄候補生二名、堂々の出隊!』
入隊ではなく、出隊。誤字だと思って、ひろしは二度読んだ。その下に少し小さい字で正式な派遣名が添えてあった。
『第一次亀裂方面 調査派遣隊』
調査、という二文字をひろしは口の中で転がした。募集ののぼりにも、志願書の但し書きにも、この二文字はあった。亀裂(われ目)の様子を調べに行く。危ないことはたぶんある。でも「調査」なら帰ってくる前提の言葉だ。ひろしはそう受け取っていたし、区の誰もその受け取り方を訂正しなかった。調査の前に訓練基地でしごかれてから向かうという。
英雄候補生。区の広報が二人のために発明した呼び名だ。九日前に「固有技能、確認できません」と言われた男が、である。気になって区の広報に聞いてみた。
「英雄候補生って、なにか要るんですか」
「資格要件はございません」
「なにも?」
「なにも」
英雄なのになにもないのか……ばあちゃんの言うこともあながち間違ってないのかもなと、ひとりごちる。
「では次、決意表明いきましょう。台本のとおりで」
渡された台本にはこうあった。
『僕たちは行きます。祖先の無念を胸に。奪われた魔法をこの手に取り戻すために!』
「僕たち、って言ってるけど」隣のヒロミが台本をめくりながら言った。「この台本、私の台詞が一行もないよ」
「ヒロミさんは横で頷いていてください。健気な感じで」
「健気」
ヒロミはにっこり笑って、台本の余白に何か書き込んだ。広報課長はそれを見なかったことにした。
リハーサルの最後に、課長は一枚の紙を二人へ差し出した。『広報素材利用同意書』。ヒロミが先に受け取り、上から下まで回覧板を検分する速さで読んだ。
「利用範囲、『全媒体・無期限』になってます」
「形式的なものです」
「顔と、名前と、映像と──」ヒロミは指を止めた。「『搭乗機体への記念塗装の実施及び意匠使用』。塗装?」
「お二人の機体に、区の花を描かせていただきます。フツー区英雄候補生機として、ひと目で分かるように」
「区の花って?」とひろしが口を挟んだ。
「大根の花ですよ」
「清楚でいいじゃないですか」とヒロミが真顔で言った。
戦場でひと目で分かる大根。ひろしは何かを言いかけて、やめた。大根の花を、見たことがなかった。ヒロミの指はもう次の行にすすみ、また止まっていた。
「『出発航路及び日程の紹介を含む』。航路まで流すんですか?」
「区民の皆さんが、お二人の旅路を見守れるように」
「安全なんですか、それ」
「調査の公開航路ですよ」課長は本当に不思議そうな顔をした。「隠すようなものじゃありません。時刻表と同じです」
「時刻表って、誰が読むんですか」
「区民の皆さんです」
「区民以外は」
「……読めますね」
ヒロミは航路の行にも線を引こうとした。課長は初めて申し訳なさそうな顔をした。
「そこは、消しても同じなんです。港湾の公示に載るので。うちが流すか流さないかの違いだけで」
消しても公示される。ヒロミは三秒だけペン先を浮かせ、それから線を引くのをやめて、自分の帳面のほうに書いた。『航路、公開。時刻表と同じ=誰でも読める』。書いてから、同意書の『無期限』に線を引いて『出隊広報に限る』と書き署名した。ひろしも書類を読んでくれる幼馴染に感謝しながらそれに倣った。課長は「まあ、それでも番組は作れますので」と言った。
*
本番の生中継でひろしは台本どおりに叫んだ。我ながらよく通る声だった。九日前の宣誓のために鍛えた甲斐があった。会場は拍手喝采、カメラドローンが三機、ひろしの周りを金魚みたいにくるくる回った。
拍手の中でひろしは自分が笑っているのに気づいた。
隣でヒロミは台本どおり健気に頷き──最後に、余白に書いておいた一言を足した。
「行ってきます。ちゃんと帰ってきます」
拍手がさっきより大きくなった。広報課長は「台本と違う」という顔と「素晴らしい」という顔を同時にしていた。
中継が終わる前から、ひろしのポケットの端末は震えっぱなしだった。商店街の回覧網、学校の後輩、カレー当番の班から『見たぞ』『英雄候補生!』が次々に届く。
式のあと、ひろしは楽屋裏の廊下で靴ひもを結び直していた。角の向こうから、区長と広報課長の声が流れてきた。
「これで今年の入隊は六人目です。進学の転出を入れると、若いのは九人」
「多いな」
「中継の効果で志願がまた増えるかもしれません」
「増えたら増えたで、区は年寄りばかりになるな」
区長はしばらく黙った。それから独り言みたいな声で言った。
「まあ……出られるだけ、ましか。昔は、出たくても出られん町だったんだ、ここは」
「区長?」
「なんでもない。片付けを頼む」
ひろしは靴ひもの輪を片方だけ長く結んでしまっていた。直している間に足音は消えた。
出たくても出られない町。あの端末の「収容」の二文字が、頭の同じ棚に並んだ。
*
翌朝、シャトル港には思ったより人が来た。
商店街の面々、学校の後輩、カレー当番を引き継いでくれた隣のおじさん。母は弁当を三食分持たせようとして、手荷物規定で二食分になった。
ばあちゃんはひろしの手に古い封筒を押し付けた。中身は見なくても分かった。十三年前の、福引きの温泉旅行券だ。
「ばあちゃん、もしかしてこれ」
「期限切れとる」
「切れとるんかい」
「ちゃんと帰ってこい。温泉くらい区長が出すさ。一緒にいくよ」
ひろしは封筒を胸ポケットに入れた。礼服じゃなく支給されたばかりの訓練生の制服の、いちばん浅いポケットに。
搭乗案内が流れた。
タラップの下でひろしは一度だけ振り返った。フツー区の「空」が見えた。はるかな天井と、その向こうの逆さまの街並み。生まれてから十八年、あれが空だと思って生きてきた。
隣でヒロミも振り返っていた。目の焦点は合っていた。妄想ではなく、ちゃんと見ている目だ。
「ひろちゃん」
「ん」
「上がったら、もうただでは帰れないよ」
「知ってる」
ひろしはタラップに足をかけた。一段目は、思ったより軽かった。二段目からは、気にもならなかった。
*
乗り継ぎ港の検疫で母の弁当が止められた。
「腐敗性の物質が検出されました」
「ぬか漬けです」
「ぬか漬け、と」係官は端末に打ち込み、上司を呼び、上司は規定集を呼び、規定集は三十分を呼んだ。結論として、ぬか漬けは「管理された発酵」と認められ通行を許された。隣の列では誰かの土産の饅頭が通れずに泣いていた。あんこの何がいけなかったのかは誰にも分からなかった。
検疫の待ち時間、ひろしとヒロミは通路の広告映像をぼんやり眺めた。家電と保険の広告に挟まれて、一本だけ毛色の違うやつが流れた。『機械世界から新発売、万能お世話ロボ! まるで本物のお手伝いさんがうちに来たみたい』。エプロン姿の人形めいたロボが、お盆を完璧な水平に保ったまま一礼する。画面の下に、読ませる気のない小さい字が一瞬だけ出た。*倫理セーフティは付帯しておりますが購入は成人のみ。
「機械の国は、メイドまで作るのか」
「作るみたいだね。……お盆、揺れてなかったね」とヒロミが帳面に『お盆、水平。揺れない理由、書けず』と書いた。広告は三秒で家電に戻り、ヒロミは目の焦点を飛ばし(ロボの倫理セーフティって……ハァハァ)と夢の世界へ旅立った。
フツー区から訓練基地までは、乗り継ぎ二回、船中二泊。群のみんなが「ご近所」と呼ぶ距離に、二晩かかる。その距離を、噂だけは乗り継がずに届く。
乗り継いだ船の食堂で見知らぬ訓練生が四、五人、一つの端末を囲んでいた。画面の中で誰かがよく通る声で叫んでいる。奪われた魔法をこの手に取り戻すために、と。
一人が顔を上げてひろしを見た。それから画面を見て、もう一度ひろしを見た。
「あ。主人公だ」
悪気はなかったと思う。笑いもひとしきりで収まった。
「……ひろし・ただの、です」
「知ってる」相手は端末を指した。「主人公だろ」
訂正は、通らなかった。
「……台本を読んだだけなんだけどな」
誰も聞いていなかった。
*
二日目の夜、ひろしは眠れなくて輸送船の下層へ降りた。
半開きの貨物室の中は、倉庫というより眠っている巨人の部屋だ。訓練基地行きの旧式人型機が四機、腰から下を固定具に埋めてうつむいて並んでいる。近くで見る人型機は思っていたよりずっと大きくて、ずっと傷だらけだった。
「触るんじゃないよ。ドリーマーさんが蒸れる」
声は機体の足元から来た。作業灯の輪の中で、白髪をくくった小さい年寄りが外装の継ぎ目に工具を差し込んでいる。
「ドリーマーさん?」
「このお方の名前だ。三十年経っても、ちゃんと答えてくださる。偉いもんだよ機械ってのは」
「機械って、蒸れるんですか」
「蒸れる。あんただって蒸れるだろう」
「それは、まあ」
年寄りは機体に敬語を使ったがひろしには使わなかった。立ち上がって、ひろしの顔をじろりと見て、それから顔より長く、ひろしの手を見た。
「あんた、機械に好かれる方じゃないよ。機械が困る方だ」
「困るって、どういう」
「困らせてみりゃ分かる。──ネジマキ・ガンコ。整備屋だ。ドリーマーさんに寄りかかるんじゃないよ」
「軍の人ですか?」
「月の人間だ」年寄りは工具を持ち替えた。「船賃のかわりに、このお方たちの面倒を見てる」
それだけ言って、ガンコはまた機体の下へ潜った。困らせてみりゃ分かる、と言われても。うつむいた四機は、なんとも答えない。なんでお前がここにいるんだ、と聞かれているのはこっちのような気がした。
*
三日目の朝、船内放送が「右舷に青星が見えます」と言った。
観測ラウンジは満員だった。訓練生だけでなく、乗員までもが窓に張り付いていた。ウオモイ群は青星の見えない場所にある。ここにいる大人の半分も、実物を見るのは初めてなのだ。
ひろしは人垣の隙間に頭をねじ込んでそれを見た。
青かった。
学校の映像資料の青星は、海ですら灰色がかったくすんだ球だった。チートのために大量のアンチー粉を浴びて滅びかけた星。教わってきたのはそういう星だ。要するに、悪役の顔をした星。
窓の外の青星は、宝石だった。青の上に白い雲が渦を巻いて、光の当たった縁がうっすら輝いている。ラウンジの誰かが「ほう」と言ったきり、誰も何も言わなかった。ウオモイの人間は青星の悪口を千個は持っているのに、その千個が全部、出てこなかった。
「教科書と話が違う」
隣でヒロミが小声で言った。いつもの妄想なら、彼女はもっと楽しそうな声を出す。
「きれいすぎるだろ、これ」
そのとき、窓の下辺に船の案内表示が重なった。観光案内のつもりらしい、のんきな書体をしていた。
『白線──約七十年前の海岸線』
青の上に、白い線がすうっと引かれた。線はいまの海岸よりずっと沖、青い海の中を走っていた。大陸は残っている。けれど、白線と今の海岸線のあいだ。かつて海沿いだった低い平地は、まるごと青の下にあるらしかった。拡大表示が律儀に注釈をつけていく。『旧市街・放棄区域』。高地に寄り集まった光の塊には、『集約都市』。
きれいになったんじゃない。ひろしは窓に額をつけた。
陸が、減ったんだ。
もう一度、白線の内の青を見た。さっきと同じ青が、そこにある。下に町が沈んでいると分かっても、青は一ミリも変わらずにきれいだった。
放送が切り替わった。
『まもなく、ロンパリ訓練基地』
等間隔の白い誘導灯が、青の手前にぽつぽつと点いた。
教科書に載っていなかった青を背に、基地の灯りが近づいてくる。




