第32話 同じ五日間
月を出航した〈グランドリーム〉の格納庫で、一日目のノーマンは素直すぎた。
「回避訓練いくよ。思った方へ避けな」
技術顧問として乗り込んだガンコの声で模擬弾が来た。ひろしは右と思った。思った直後に、いや、左のほうが近いかとも思う。
ノーマンは両方やった。
右へ踏み出しながら左へ上体を捻る。荒業でも軽業でもない、ただの転倒だった。航行中の格納庫の試験区画に新鋭機が豪快に尻餅をついた。
「……今の、機体は悪くないね」ガンコは記録機を睨んだ。「入力どおりだ。右四割、左六割。あんたの迷いを、割合まで正確に拾ってる」
「迷ったら迷ったまま動くんですか、こいつ」
「素直さってのは、そういうことだよ。旧式なら適当に丸めてくれる迷いを、この子は丸めない。──あんた、これから戦場で、一度も迷わない自信があるかい」
ない。あるわけがない。ひろしは操縦席で選んだものの正体を知った。素直な機体とは誤魔化しの利かない機体ということか。
「乗りこなすには、二つ」ガンコは指を立てた。「迷わない人間になるか、迷いごと乗りこなすか。まぁ、前者は無理だね、顔で分かる。後者を、戦場に着くまでの五日でやるよ。調整と航行は同じ五日だ。一日も足せないからね」
*
二日目はヒロミの装備だった。
ヒロミの新しい機体は月で積んだ補充の量産機だ。片腕を失ったドリーマーは肩の荷を下ろして予備機へ回った。装備は新しい機体に載る。契約の見積もりに入っていた追加装備の片割れ、新型の索敵ユニットだ。起動試験でユニットは絶好調だった。絶好調すぎた。試験区画の隔壁越しに、隣の格納庫で働く整備員の頭数まで映っている。
「感度試験。模擬目標、三……のはずだけど」ヒロミが首を傾げた。「四つ映ってる」
「四つ目は、なんだい」
「──撃墜済みの目標の破片です。まだ動いてるから、追尾対象として拾ってる」
倒れた的を、まだ見ている。ヒロミの癖と同じことをユニットが真面目にやっていた。
ヒロミはしばらく画面を見て、それから自分で設定盤に手を伸ばした。
「感度、一段下げてください。撃墜判定が出た目標は、追尾から自動で外す設定に」
「性能、落ちるよ」ガンコが試すように言った。
「知ってます。でも、これはわたしの装備だから。……わたしに似てる装備なら、なおさら、止め方を先に作っておかないと」
ガンコは何も聞かない。聞かずに言われたとおりに設定を変え、変えた設定の欄に『操縦者指定・変更には本人承認要』と書き添えた。ヒロミが小さく「ありがとうございます」と言った。
*
三日目はセリーナの照準器。載せる先はレイジョー家が誂えた特注機だ。速さより装甲、火力より生還。操縦席の後ろには観測席が一脚──執事の椅子だ。姫を一人で戦場に出さないのも家の設計だった。ひろしは隣の整備架で目前の実戦出撃にあたる借用書の二枚目を書いていて、一部始終を見ることになった。訓練調整の一枚目に続く、二枚目。
「──ルイ。これ、どういうことですの」
新型照準器の初期設定に、既にセリーナの射撃データが入っていた。設定名『レイジョー家提供・射手矯正プロファイル』。幼少期の教練データから編まれた理想的な「家の型」に射撃を寄せていく補正だった。
「機体ごと、ご当主が誂えたものですので。プロファイルは最初から入っておりました。『娘の癖を直す好機』と」
「アテクシ、家の金は断りましたのよ」
「はい。ですので家は、金のかからない物を送ってこられました」
セリーナは補正プロファイルの中身を、無言で最後までスクロールした。伏射の姿勢から、引き金の圧から、呼吸の周期まで並んでいるのが分かる。ひろしの席からは項目の題もいくつか読めた。『艦振動同期射撃・要矯正』。『長距離自由射・家風に非ず・抑制対象』。──月までの任務でセリーナがみせた撃ち方が、片っ端から「直す対象」の欄に並んでいた。スクロールが終わるころには扇子が完全に閉じていた。閉じた扇子は、開いた扇子より固い。
「消しなさい」
「よろしいので? 教練データとしては一級品ですが」
「一級品ですわよ。十歳のアテクシまでは」扇子が、ぴしりと鳴った。「すでにその段階は超越しておりますの。今のアテクシの型は、今のアテクシが作ります。──ゼロから設定し直し。付き合いなさい、ルイ。徹夜ですわ」
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四日目、ノーマンが命令を断った。
艦との連携訓練──訓練管制が直接ノーマンへ指示を流し込み、操縦者の反応を待たずに機体が動く同期モードの試験だ。三本目の指示でノーマンは動かなかった。
『同期指示、拒否』
合成音声でも警告灯でもなく記録紙に一行そう残った。試験区画の空気が固まり、管制側から「故障か」の声が飛び、ガンコだけが記録機に飛びついた。
「故障じゃない。──指示値を見な。旋回加速の桁が一つ違う。これを通してたら、操縦席の中身がぺちゃんこさ」
ノーマンは、操縦者の安全条件を満たさない同期指示を、設計思想『本機は操縦者以外の指示は、まず疑う』のとおりに拒否していた。
「いいかい。この方も万能じゃない、ハルシネーションを起こすんだ。この子が正しく拒否できたのは今日が一回目で、次も正しいとは限らない。だから午後は逆をやる。──同期を、あんたの手で切る練習だ」
「自動が正しいときは、自動が守る。自動が間違うときは──切れる人間だけが生き残る」ガンコは工具箱の蓋を閉めた。「手動切り替え、寝てても出るまで繰り返しな」
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その日の夕方、月極の技術営業が通信で、調整データ一式を広告に使わせてほしいと言ってきた。ひろしの迷いの割合も、ヒロミの止め方も、セリーナの新しい型も、絵になるという話だった。
「お断りでございます」
交渉はルイが引き受けた。ひろしの契約では広告利用は本人の同意制。セリーナとヒロミに至っては、そもそも月極と契約すらしていない。断る権利は三人ぶん揃っていて、ルイは三時間かけて、その三つを書面に変えた。調整データは広告に使えない。中身は、守られた。
ついでに月極から演技指導の通信も来た。特記事項のとおり断れない。
『はい、肘を伸ばして! もっと自信を持って! いま『この加速、月極重工』の気持ちで!』
機体には乗らない。生身の練習だ。画面の指導員に合わせて右腕を高く上げるひろしを、ノーマンが格納庫の隅から見ていた。どんな気持ちかは、分からないが。
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調整の、最後の夜。
目標も模擬弾もなし。ただ十分間、試験区画をゆっくり飛ぶだけ。十分の終わりごろひろしは一度、右と左で迷った。迷って──今度は迷いを機体に渡す前に、自分で右へ揃えてから渡す。ノーマンは右へまっすぐ飛んだ。転ばなかった。
「──今の、記録した?」
「した」ガンコの声は少し笑っていた。「合格だ。行っといで」
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同じ夜、月に残った月極重工の広告部では、一人の担当者が残業をしていた。
作戦後の正式発表に向けた社内審査用のテスト配信だった。中身は、撮り溜めた素材──試験飛行の映像、編集前の生のまま──と、社内向けの発表進行案『正式発表は次の作戦の戦果発表と同時。機体は既に艦隊と共に出航済み』。ルイが守ったのは調整の数字で、こちらは月極が自前で撮った絵だ。作戦の中身までは書いていない。それらを審査員の端末にだけ届くはずの限定回線に流す。配信範囲の設定欄で、彼は「関係者」を選んだつもりで一段下の「地域」を選ぶ。画面の文字は小さく、彼の残業も四日目で、確認は一度だった。
テスト配信は三十分で気付かれ、即座に停止された。流れた先は審査員の代わりに、月の一地域。平時の民間網なら、それで済んだ。──だが、戦時だった。青星の情報網は、いともたやすく中継のキャッシュを捉えた。
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五日目の朝。〈グランドリーム〉の視界で青星はもう宝石には見えなかった。白い雲の渦を、目で追える近さにある。輸送船から眺めた飾り物が、今日からは、戦場だった。L1関門への突入は、この日だった。
三人はそれぞれの機体に乗り込む。ヒロミは索敵ユニットの承認欄に指を置き、下げた感度の設定値をもう一度確認した。セリーナは徹夜で組み直した照準の初期値を自分の声で低く読み上げた。ひろしは手袋越しに同期切替のレバーの位置を確かめる。
発進管制に第七小隊のリー・シンガ隊長の声が割り込んだ。『三人とも、聞こえてるね。新品の機体と新品の型は、今日は六割で使いな。十割は、生きて帰ってから』。歌うような節回しだった。
哨戒艇の通信席を失ったイヴイヴは、艦橋のギール・アイシスの隣に通信補助の席をもらった。緊急切断のレバーは、今日もギールの手の届く位置にある。
ガンコがノーマンの脚部装甲を拳で一度叩いて離れた。調整は昨夜で終わっている。今日は、見送りだけだった。
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捉えられた広告の複製は資料に整理され、方面隊を経由して、一人の義勇士官の端末に届く。五日目の、まだ暗いうちだった。
禅羅・アストリアスは白銀の機体の整備の手を止め、自家製の溶剤のついた手袋を外して、端末を取った。資料を最後まで見る。新鋭機。飾りのない、静かな立ち姿。広告用に撮り溜めた試験飛行が、回避も切り返しも、削られずに入っていた。決めポーズの失敗まで残っている。操縦者の欄には定食屋で見覚えのある顔。そして──機体は既に艦隊と共に出航済み。発表は次の作戦の戦果と同時。作戦の中身は書いていない。書いていなくても、分かる。──次は、ここだ。
禅羅は通信を起動しつつ端末を置き、新しい手袋をはめた。
「次の戦闘、私に出撃枠を最優先に回せ」
白銀の機体は、すでに関節の奥まで磨き上がっていた。




