第3話 もしも魔法が使えたら
固有技能成人式の後、商店街に居たら慰め会が始まった。言い出したのは八百屋だった。
「湿っぽい顔すんな。ひろし、あれやるぞ、あれ。もしも魔法が使えたら、だ」
閉店後の商店街に、ビールケースの椅子が並んだ。固有技能が確認できなかった男の慰め会は、七軒目の店じまいと同時にただの飲み会になっていた。
「魔法ってあんた、技能とどう違うのさ」
「技能は確認、届出がいるだろ。魔法はいらねえ。つまり夢だ」
問いも答えも毎度の口上だ。八百屋は自分から始めた。
「俺はな、店の反対側の大根が、手元にすっと来る魔法」
「歩けよ」
「歩きたくねえから魔法なんだよ」
魚屋は氷が絶対にとけない魔法。金物屋は残り物を見ただけでぴったりの保存容器が分かる魔法。
「金物屋、それ魔法か? うちのかみさん、素でできるぞ」
「じゃあ届出してこい。固有技能『適切な容器』だ」
「地味すぎて式が止まるわ」
式が止まった男の慰め会で、それを言うか。ひろしは笑った。笑うしかなかった。
塾帰りに交ざった小学生だけが、空を飛びたいと言った。大人たち全員に「若いねえ」と言われて怒った小学生は、言い返した。
「じゃあおじさんたちは何なんだよ」
「大人はな、飛ぶか、消えるかなら、消えるを選ぶんだ」
「透明になって、何する気だよ」
「そりゃ……」沈黙が落ちた。ひろしはヒロミと目が合ってしまい慌てて目を逸らす。誰も目を合わせなかった。八百屋が咳払いをして、まとめた。
「飛びたいやつは、なりたい自分の話をしてる。消えたいやつは……まあ、あれだ。大人には色々ある」
「全員消える方に手ぇ挙げてたの、おれ見てたからな」
小学生は強かった。
「瞬間移動」
と豆腐屋が言った瞬間、商店街が割れた。
「それだ」「配達が消える」「仕入れも消える」「朝が消える」
「待て待て、全部消えたらおまえら何が残るんだ」
「昼寝」
満場一致だった。ウオモイ群の大人の夢は、統計を取れば八割が「移動したくない」に丸がつく。
「なら俺は、心が読める魔法」
と誰かが言った瞬間の全員の「やめろ」も満場一致だった。速かった。今夜いちばん速かった。
「おまえら、そんなに読まれたら困ることを考えてるのか」
「おまえの『やめろ』もいま揃ってたぞ」
ばあちゃんは腰に手を当てて、腰が治る魔法、と言った。それから家の方角を見て付け足した。
「あとは、あの温泉旅行券で、うちの風呂の湯が沸く魔法かのう」
「ばあちゃん、それはもう旅行を諦めてる」
「行くよりも、毎日沸くほうが得じゃろ」
通りがかった区役所の眼鏡の職員がなぜか列に加えられた。眼鏡は少し考えて真顔で言った。
「書類が、自分で自分を書き上げる魔法ですね」
商店街がいちばん沸いた。役所ですらそれか。夢の世界にまで届出を持ち込むのか。眼鏡は「では」と一礼して、夢を残して帰っていった。
「なあ、毎度思うけどよ。この遊び、答えに人柄が出るぞ」
金物屋が言った。出るどころではなかった。大根は横着、氷は現状維持、透明は全員後ろめたい。名指しで蒸し返す声が飛び交って、ビールケースが一つ倒れた。夢の話で喧嘩ができるのは、平和の証拠だと思う。
「あんまりでけえ魔法はやめとけよ」
誰かが笑いながら言った。
「ほら、あれだ。でかすぎるのは、チートっつって――収容されるって言うだろ」
「収容って、何?」
小学生が聞いた。笑い声が、半拍だけ、つっかえた。大根の八百屋も、氷の魚屋も、答えを持っていなかった。誰が言い出した話なのか、誰も知らない。ばあちゃんが「ほれ、次はヒロミちゃん」と手を叩いて、笑いは何ごともなく続きを始めた。
「私?」
ヒロミは帳面を膝に置いたまま、少し考えた。答えに人柄が出ると、たったいま全員が学び直したところだった。
「……ふふ」
「言わないのかよ」
「言わない」
賢い、と商店街が唸った。今夜の最適解だった。
最後がひろしの番だった。全員の夢を聞いたあとだ。瞬間移動、大根、氷、腰、書類。気づいたことが一つある。みんなの魔法は、全部「誰かがやってくれたらいいのに」の形をしている。
「俺は――」
技能はない。魔法もない。たぶん一生ない。じゃあ、もしも使えたら。去年までは何か適当に言えていた気がする。今日は出てこない。要らないんじゃない。今日の俺には思いつけないのだ。少し考えて、思いつかないなりの答えにした。
「俺が、魔法側をやる。瞬間移動の代わりに走る。大根も取ってくる。氷も運ぶ。腰も揉む。書類は……書類はちょっと自信ないけど」
「魔法、要らねえじゃねえか」
「要らなくはない、です。……でも、やるほうなら思いついた」
八百屋が笑って、それから急に黙って、ビールケースから立ち上がった。
「――そうか。やるほうか」
その夜、ひろしは商店街の全員と握手をした。大根を二本持たされた。氷を一袋持たされた。腰は明日でいいと言われた。
帰り道、ヒロミが隣で帳面に何かを書いた。表紙に『かんさつ』と書いてある、五歳から続くあの帳面だ。見せてはくれなかった。
「答えに人柄が出るなら、ひろちゃん、今夜ぜんぶ出ちゃったね」
「書いてたのか」
「区役所の観察はね、ひろちゃんを見てない。私のは、ひろちゃんを見てる」
それだけ言って、ヒロミは先に歩いた。成人式の前の三か月、わけの分からない「観」の腕章をつけられて、結局何も出なかった。今夜は魔法の話ひとつで、人柄を全部見られた。こっちのほうは悪くない見られ方だった。
教科書には『魔法はわたしたちの権利』と大きな字で載っている。でも「もしも使えたら」の遊びはどの頁にも載っていない。載っていないほうの話を大人たちはいちばん楽しそうにする。教科書を作った誰かはそのことを知っていたのだろうか。
載っていない話を、もう一つ思い出す。でかすぎると、収容される。あれはどの本にも載っていない。小学生に聞かれて、誰も答えられなかった。
大根の袋を持ち直して、ひろしは家までの道を、瞬間移動を使わずに歩いた。




