第2話 固有技能、確認できません
五歳のひろし・ただのは、首都イセカイ区の商店街の福引きで特等を引いた。
ガラガラと回した八角形の箱から、金色の玉がころんと出てきた。鐘は乱打され、靴屋の店主は帽子を投げ、通りがかった区役所の職員はなにかの書類にその場で判を押した。
「天運だ」「星に選ばれとる」「フツー区から英雄が出るぞ」
大人たちは口々に言った。翌週の区の広報紙には『フツー二丁目に英雄の金の卵』という見出しが躍り、五歳のひろしは特等の温泉旅行券を握って写真に納まった。
「ひろちゃん、えいゆうなんだって。すごいねえ」
隣で幼馴染のヒロミが、自分のことみたいに胸を張った。ばあちゃんは広報紙を仏壇に供えて言った。
「この子は、世界を変えるよ」
ひろしは自分は特別だと信じた。大人が全員そう言うのだから、疑う理由がなかった。
温泉旅行券は、あの日から仏壇の引き出しにある。「英雄になった祝いに行くんだ」というのが、ばあちゃんの決めた使い道だった。それから十三年、一家はまだ温泉に行っていない。
*
そして今日。十八歳になったひろしは、区民大ホールの舞台袖で、自分の心臓の音を聞いていた。
ホールは暗く、天井から吊られた巨大な紋章盤だけが青白く光っている。舞台中央には水晶柱をかたどった検査台。ふぁーんと気の抜けるようなパイプオルガンの音が低く流れ、司会の声が朗々と響く。
「──汝ら、いまこそ扉をひらくのだ」
固有技能確認成人式。ウオモイ群の十八歳が全員くぐる、人生でいちばん大仰な一日だ。
礼服の下、左腕には日焼けの白い輪が残っている。三日前まで区役所に『観』と書かれた腕章を巻かれていた痕だ。『確認のためです』の一点張りで三か月。結局、何を確認されたのかは未確認のまま外された。変な三か月だった。でも今日、紋章盤が金色に回ればあれも全部笑い話になる。今度こそ確認される側だ。
舞台の上では、同い年の女子が宣誓の言葉を叫び、検査台に手を置いたところだった。紋章盤が金色に回りだし、ゴーンゴーンと鐘が鳴りひびき、司会が巻物を広げる。
「固有技能──『久遠の香気』ッ!」
会場がどっと沸いた。本人がいちばんきょとんとしている。壁ぎわにずらりと並んだ勧誘ブースで、香料会社の社員が小旗を振り始めた。めっちゃいい匂いのする固有技能らしい。なにそれ、でおこで嗅げるんだろう?
次の男子は『不倒の胃壁』だった。今度は床屋のブースと食品会社のブースが同時に旗を振り、どちらが先に振ったかで小さく揉めた。なんでも食えるらしいけど、床屋は何に使うのだろうか?
すごいな、とひろしは素直に思った。みんな、ちゃんと何かを持っている。持っているものに、名前がつく。
幼馴染のヒロミはひと足先にこの式を終えている。結果はまだ聞いていない。聞こうとしたら「ふふ」と笑ってはぐらかされた。あの笑い方は、たぶんすごい技能だ。『豊穣の微笑』とか、そういうやつに違いない。
「次──ひろし・ただの」
来た。ひろしは舞台に出た。客席のどこかで母が小さく手を振っている。ばあちゃんは今日のために新調した双眼鏡を構えている。
宣誓の文句は三日前から練習してきた。
「我、いま、個性の扉を、開かんッ!」
噛まなかった。完璧だ。ひろしは検査台に両手を置いた。袖がずれて、白い輪がのぞいた。
紋章盤を見上げる。金色に回れ。鐘よ鳴れ。できれば技能名は強そうなやつがいい。五歳のあの日から十三年、ずっとこの日を待っていた。
……
オルガンの音が、演奏者が楽譜を見失ったみたいにしぼんで消えた。検査台の奥で、機械がなにかを読み直すような細かい音だけがしている。カリ、カリカリ、ヴィーーン。読み直すたび答えが悪くなっていく気がする音だった。
紋章盤は、光らなかった。
……
長い沈黙のあと、左の舞台袖から係員が出てきた。ローブではなく普通の事務服で、手元の端末を見て、抑揚なく告げた。
「固有技能、確認できません」
「……はい?」
「確認できません。以上です。次の方、どうぞ」
観られて、え? 何もない? 待って、何もない? 白い輪の残る腕の上で、紋章盤も色を持たなかった。
「あの、もう一回──」
「台を押さえないでください。次の方どうぞ」
照明が次の受験者のために切り替わり、ひろしは光の外に出た。客席の母は、拍手の形に上げかけた両手の、下ろし場所を探してさまよわせていた。ばあちゃんの双眼鏡が、ゆっくり下がった。
退場口までの通路には勧誘ブースが並んでいる。企業、学校、工房、劇団。『久遠の香気』にも『不倒の胃壁』にも旗の森だった通路を、ひろしは無音で歩いた。誰も旗を振らない。目も合わない。一人だけ、劇団の人が気の毒そうに旗を半分上げかけて、隣の人に止められていた。
*
夕食は、赤飯だった。
朝のうちに炊いてしまったのだ、と分かった。式の結果がどうであれ、炊いた赤飯は食べるしかない。みんなで食べた。祝いの飯を、誰も祝いの言葉を出さずに食べるのは、ひろしの十八年でいちばん静かな食事だった。
「……おかわりは?」と母が言った。
「もらう」
よそわれた赤飯は、ちゃんとうまかった。それが逆に、少しこたえた。
ばあちゃんは食事のあいだ、一度だけ仏壇のほうを見た。引き出しは、開けなかった。「大丈夫さ、ひろし、英雄は何もないところから突然産まれるんだ。ご先祖様には、あたしから言っとくよ」とだけ言って、自分の湯呑みに茶を注いだ。何を言っておくのかは、聞けなかった。
ひろしは、礼服のまま家を出た。頭を冷やしてくる、と言うと、母は「気をつけて」とだけ返した。
*
外はもう夕方だった。
商店街を歩く。八百屋の店先のラジオが、今日の式の「注目の新技能」を読み上げている。
電柱には見慣れたポスター。『返せ、われ目。使わせろ、魔法』りりしい兵士が、ここからは見えない青星の方角を指差している。
魔法があった時代なら、と思う。だれでも火が出せて、空を飛べた時代なら。「確認できません」なんて言われるやつは、いなかったんじゃないか。
足が止まった。
ポスターの隣に、真新しいのぼりが立っていた。夕方の送風機の風でぱたぱた鳴っている。
『個性、始めませんか。──ウオモイ軍になろう 兵士募集中』
その下に、少し小さい字でこうあった。
『固有技能の有無は問いません(「なし」の方、大歓迎)』
大歓迎。今日、世界でいちばんひろしに優しい三文字だった。
ポスターの兵士はよく見ると色があせていたが、のぼりはまだインクの匂いがしそうなほどピカピカに新しい。返せ、と怒る言葉は古く、なろう、と誘う言葉が新しい。戦争のない国の軍が急に人を欲しがっている。
のぼりの脇には、成人式に合わせて出された臨時の出張受付が、長机一つだけで残っていた。机の上に志願書類一式の束。『ご自由にお取りください』の手書き札。
ひろしは近づいた。紋章を光らせられなかったその手で、束の上から一部を取った。紙は、三日前に両手で受け取ったあの教科書より、ずっとずっと軽かった。軽いのに、取った瞬間、指先が少し震えた。
福引きの金の玉は、向こうから転がってきた。腕章は、向こうから巻かれた。「確認できません」も、向こうから言われた。
これは、こっちから取った一枚だ。
志願書を礼服の内ポケットにしまい、顔を上げる。書く欄は多いが、少なくとも「固有技能」の欄が無いことはいま確かめた。書き方は家で考えよう。個性始めませんか? 始めたいとも。ウオモイ軍になろう? そうだな、なってやろうじゃないか。
振り向くより先に、聞き覚えのありすぎる声が飛んできた。
「おっ! 君は興味があるのかい!?」




