第27話 休戦フロアの定食
契約協議を翌日に控えた自由上陸の日。ひろしとヒロミはドッチモールの第三層へ上がった。第三層は資料市場と呼ばれている。
売っているのは、紙とデータと記憶だ。古い航法図、崩壊前の青星の写真集、七十年前の移住船の乗船名簿の複製。戦争資料の棚は特に賑わっていて、ヒロミはそこから動かなくなった。安い複製の写真集を二冊「資料にする」と抱え込んでいる。
「ひろちゃん、これ見て。『封印機密・目録のみ』だって」
棚の端のガラスケースの中だった。焼けた革表紙の古い綴りが一冊。値札はなく『閲覧・複製不可。目録のみ公開』の札が立っている。目録の写しがケースの前に鎖でつながれていた。
『青星政府封印指定・第〇七三号
一、「力を失いし者たち」の収容記録(断片)
二、「異界より来たと訴えし収容者」に関する聴取録(断片)
三、(以下、目録自体が封印指定)』
「いかいより、きたと、うったえし……」
ヒロミが写真集を置いた。両手が空いた。
「訴えし! 訴えたんだよ、異世界から来たって! 聴取録だよ? 取調室で異世界の話をする人と、それを書き取る係の人がいたんだよ? 書き取る係の人、何て思いながら書いたんだろう。ねえこれ、創作の資料に最高じゃない?」
「ヒロミの創作って、あの妄想か。それ、読めないって書いてあるぞ」
「読めないから絶対面白いんだよ」
「読めたらつまらないのか……?」
「読めたら確認。読めないから想像。想像のほうが強いの」
ヒロミは店主に食い下がった。店主は肩をすくめた。
「無理無理。それは『売り物』じゃなくて『展示』。青星政府の封印指定がかかってて、解除には政府の許可とうちの権利料と、あと確か、保険会社の同意がいる。今まで三人が本気で挑戦して、三人とも書類の段階で力尽きたよ」
「三人も挑戦したんだ……」
「歴史マニアと、作家と、役場を定年した人。最高記録が、役場の人。書類の森の三合目」
「書類に、合目があるんですね」
「ま、目録の写しだけなら、撮影千ムーン」
商魂は、封印の外側にあった。ヒロミは千ムーン払い、写しの隅から隅まで撮影した。表紙を写した一枚には古い集合写真が小さく写り込んでいる。豆粒みたいな人の列で、顔は誰も見えない。ヒロミはほくほくと戦利品を確認し──ふ、と黙った。
目録の裏面に小さな字の付記があった。
『付記:第一項収容記録に含まれる氏名数、二百十七。うち、消息の確認できた者、〇』
ひろしも横からその付記を読んだ。二百十七という数よりその隣の〇のほうが目に残った。確認できた者、ゼロ。二百十七人ぜんぶがもう消えたのか、それともそもそも存在しないのか。〇はどちらとも教えてくれなかった。
ヒロミは帳面を出し、一度だけ何か書きかけて、閉じる。書けなかったのが横からでも分かった。写しはそっとしまう。それきり、資料市場では何も買わなかった。
*
昼時、二人は第五層の食堂街に上がった。
第五層は「休戦フロア」と呼ばれる。市内での戦闘行為は商業規約で全面禁止。中でも飲食街の第五層は、両軍の兵が同じ食堂で飯を食う、休戦の象徴みたいな階だ。実際、青星軍の制服が三卓、ウオモイの整備兵が二卓、間に観光客を挟んで、何事もなく定食を食べていた。
「わたし、あっちの席で写真の整理してるから、ひろちゃん先に食べてて」
ヒロミは戦利品の写しを抱えて窓際の席に消えた。創作のスイッチが入った人間は、飯より妄想を食う。ひろしはカウンターで日替わり定食を頼んだ。
待っていると隣の席に誰かが座った。
気配で分かる相手、というのがいる。背筋が勝手に伸びる感じの相手だ。長身で姿勢がよく、軍服とも礼服ともつかない簡素な白い装い。彫像みたいな整った横顔をしていた。店の空気が静かになった気がする。奥の卓で青星の下士官が反射で立ちかけ、隣に袖を引かれて座り直した。
「……日替わりを。肉と魚は、どちらが素材が素直か」と彫像が言った。
低くて硬い声だ。どこかで聞いた気もしたが、偉い人の喋り方なんてどれも似たようなものだろう、とひろしは流した。
「え? ええと、魚すかね。今朝、氷ごと入荷したんで」
「では魚を。手を加えすぎずに」
「天ぷらもありますけど」
「いや」男は少し考えた。「衣は、素材を隠す」
変な注文の仕方をする人だ、と思った。思っただけのつもりが声に出ていたらしい。彫像がこちらを向いた。
「変か」
「あ、いえ! 変っていうか、その、素材に素直って、初めて聞いたなって」
「素材は嘘をつかない。嘘をつくのは、いつも調理するほうの人間だ」男は当然のことのように言った。「君はウオモイの兵か」
「はい。えと、そちらは」
「エリートコロニーの者だ。任務の合間に来た」
味方ではない。開戦のとき「青星支援」の四文字だけを出した国だ。ひろしの背中を小さく冷たいものが通った。ついこの前、味方の誰かがこの人みたいな誰かに撃たれた。それなのにいま、同じカウンターの隣に座っている。逃げるべきなのか、所属すら名乗るべきではなかったのか。分からないまま隣を見ると男は普通に箸を待っていた。休戦フロアの定食屋で名乗り合った敵味方に、それ以上の作法はないらしい。
壁際の端末が売れ筋らしい戦闘映像を音を絞って流していた。きりもみで墜ちていく、見覚えのありすぎる訓練機。
「あれは」
「見なくていいやつです」
「そうか」男は画面を一瞥してそれきり見なかった。「墜ち方にも、素直さは出る」
「やめてください」
定食が二つ届いた。会話は自然と飯の話になった。
「ウオモイの兵。最近、美味かったものは」
「え、俺すか。……赤飯、かな。成人式の日の。味だけなら、ですけど」
「赤飯。もち米と豆と、塩。素直な料理だ」
「素直な飯って、ごまかしが効かないんすよね。うまいときも、そうじゃないときも」
「……そのとおりだ」
「そっちは、何かあります? 最近の」
「携行食の一七号。任務中に食べた。原材料が正直に書いてある。あれは信用できる」
「携行食って、あの、うまいまずい以前のやつでは」
「うまいとは言っていない。信用できると言った」
うまいと信用が別の棚にある人だ。なのに話は妙に噛み合った。噛み合うたびにひろしは小さく怯んだ。これでいいのか。だが、うまい飯を前にまずいふりをするのも飯に失礼な気がした。
男は月の水耕トマトを「土がない分、水が正直に出る」と評した。
「艦でトマトの水やり係やってるんすけど、あれ、やりすぎると根が甘えるんですよ」
「甘える」
「毎日構ってると、ちょっと水が遅れただけでしゅんとするんです。おまえ甘えたなって」
男は箸を止めた。
「任務は任務だ。良い任務を持っている」
水やり当番が、任務になった。
食べ終わってひろしは食器を返却口に運んだ。盆を置く前に、濡れた返却台を備え付けの布巾でひと拭きし、それから返却口の回収機にいつもの癖で「ごちそうさま」と言った。機械は返事をしない。しないのは知っている。知っていて、食べたら言うのが癖なのだ。
席に戻ると彫像がじっとこちらを見ていた。
「……機械に礼を言うのか」
「あ、癖です。変ですよね」
「いや」男は少し考えて言った。「道具をあるがままに扱う者は信用できる。君は、素直で良い操縦をしそうだ」
「俺、操縦めちゃくちゃって言われますけど」
「めちゃくちゃと、あるがままは両立する」
男は勘定を置いて立ち上がった。立ち上がるとやはり大きい。去り際に一度だけ振り返り静かに言った。
「魚は素直だった。良い店を知った。──ウオモイの兵。戦場で会わないことを祈る」
白い背中が階段に消えると食堂の空気が戻った。厨房のおばちゃんがため息まじりにつぶやいた。
「えらいべっぴんさんだったねえ。どこの偉い人だろ」
「さあ……エリート国の人って、みんなあんなんですかね」
窓際で写しに没頭していたヒロミが、遅れて顔を上げ、階段のほうへ首を伸ばした。
「ひろちゃん、いま出てった白い人、ちらっとしか見えなかったけど、すごい絵になる人だったね。ああいうの、書きたい」
「知り合いになったぞ。魚の食い方の話をした」
「なんで!? もっと聞くことあったでしょ!」
ひろしは返しそびれたグラスで水を飲んだ。返却口に置かれた男の盆には、魚の小骨だけが、きれいに頭から尾へ揃えて残されていた。
撃ち合う相手が、こんなにきれいに食べる。ひろしは戦争を、もっと分かりやすいものだと思っていた。




