第26話 ようこそ、割増料金の月へ
話は少し戻る。月に着いた最初の日のことをひろしはたぶん一生忘れない。
管制からの第一声がこうだったからだ。
『こちらドッチモール航路管制。ウオモイ艦隊の皆様、ようこそ。中立圏の境界線までもう少しです。境界の内側に入れば、当市の中立規約が皆様を保護します。──外側については関知しません。良い戦争を』
「良い戦争、って言ったか? 今」
「言いましたわね」とセリーナ。
関知しない、の意味はすぐ分かった。テッテ艦隊は追撃の手を緩めず、月側は保護もしなければ抗議もしない。
艦隊は境界線へ一列で向かった。傷の深い艦から先に中立圏へ入っていく。旗艦は、最後尾。殿だった。
「なあ、ヒロミ。旗艦っていちばん沈みにくいって教官が言ってたよな? なんで最後なんだ?」
『うん。いちばん沈みにくいから、みんなの盾になって最後に入るんだって』
「その理屈、乗る前に聞きたかった!」
理屈は分かった。気持ちのほうは、分かってくれなかった。味方が次々と安全圏へ滑り込んでいく。それを撃たれる役のまま、ただ見送る時間。
ブリッジからは時折シャイン艦長の『主砲チャージ!』が回線に漏れてくる。号令のたび、ギュインギュインという漫画みたいな音とチカチカした輝きが格納庫まで伝わってきた。艦体の半分が砲の艦だ。チャージするたび、艦の半分が光る。
チャージ、までだ。撃たない。大きな夢という名の艦の主砲は撃ったら夢と散る──らしい。何が散るのかは誰も詳しく教えてくれなかった。
そこへ、月の観光局の放送が流れた。
『当市観光局より。ただいま第七展望フロアにて宙域交戦の観覧席を特別販売中。望遠観測装置つき、お飲み物半額』
「観覧席!? いま観覧されてるの俺たちだよな!?」
「あの観覧席は、毎回、完売だそうです」イヴイヴが言った。慰めなのか報告なのか、ひろしには分からない。
境界線までテッテの網は数字どおりに縮み続けた。教本どおりの追い込みが、殿の旗艦をあと一歩まで詰めた──そのあと一歩の場所に、ヤライ・ミシマがいた。
『艦長。そろそろ、提案が』操舵席の声はのんびりしていた。『港まで、滑って行きます』
『滑る?』
『はい。つるーんっていきます』
『??????』
ドッチモールの港湾管制が悲鳴を上げたのはその四分後だった。
『ウオモイ旗艦! 進入速度が規定の七倍です! 減速してください! 減速! げんそ──』
〈グランドリーム〉は港に「入った」というより、「刺さった」。いや、何にもぶつかってはいない。全速力のまま中立圏へ飛び込むため、一切の減速をせず、進入航路を斜めに使い、係留アームの森に主砲をくぐらせ、姿勢制御の全噴射を逆立てて──ピタリと停まった。
ひろしの訓練機は格納庫の中で固定されたままぶん回された。ベルトが肩に食い込み、視界の端が遠心力で白く飛ぶ。上も下も分からない。港の灯が窓の外を横向きに流れていく。止まる、と思った瞬間にはもう止まっていた。割り当て泊地の停止線の上に、ぴたりと。本当に、ぴたりと。
艦内は総立ちだった。ヤライを除く全員が、嘔吐のために。
『……停止位置、誤差ゼロ』港湾管制の声は震えていた。『こんな入港、三十年、見たことない……ドリフトじゃねぇんだから……』
『最速で頑張りました☆』
境界線の外ではテッテ艦隊が停止していた。几帳面な通信が最後に一つ届いた。
『規約により追撃を中止する。……なお、貴艦の入港機動については、青星航宙規約に加え、月港湾規則第二章の観点からも問題があると思料する。当職より月商工ギルドへ、参考として報告する』
「月の規則の心配までしてますわ」
「まじめそうな人だからな」とひろし。「ああいう人、戦争が無かったら何やるんだろうな」
「条約の実務とかではなくて?」セリーナは扇子で口元を隠した。「……存外、似合いそうですわね」
*
タラップを降りた第一歩で、ひろしは月の重力と月の商魂を同時に浴びた。
港の大通路には垂れ幕が並んでいた。『ようこそウオモイ軍の皆様!』。その真向かいに『ようこそ青星軍の皆様!』。二枚の垂れ幕は、同じ書体、同じ大きさ、同じ「ようこそ」だった。
通路では荷役ドローンが両軍の補給品を同じ台車で運んでいる。案内係が青星の士官とウオモイの主計兵に同じ角度でお辞儀をしていた。
隣の泊地には機械の国の定期便が接舷していた。乗員に人間はいない。広告で見た万能お世話ロボと、荷降ろしのドローンだけ。ひろしは並んで待つあいだ、機械国の貨物に貼られたラベルを何となく眺めた。工作機械、演算素子、精密部品、建材。生鮮食品はなかった。子ども用品も、ない。ロボの国だもんな、と思った。
「この便、いつも同じ目録ですよ」通りすがりの案内係が世間話の口ぶりで言った。「もう何年も。仕入れる側としては助かりますけれど」
極めつけは港湾事務所から届いた最初の公式文書だった。ひろしはプルプル震えているハケン副長の後ろからそれを読んだ。
『ドッチモール港湾ギルドよりウオモイ旗艦〈グランドリーム〉様
一、入港を歓迎します。
二、当港は中立です。すべてのお客様を平等に歓迎します。戦闘行為は禁止です。
三、貴艦は戦闘損傷艦のため、泊地使用料に危険物割増(五割)を適用します。
四、規定外入港機動につき特別手数料を申し受けます。
五、修理をご希望の場合、見積もりは有料です。
歓迎!』
「歓迎って二回書いてある」
「割増は五割って書いてありますわ」
副長は文書を握ったまましばらく動かなかった。後ろから覗いたひろしにも理由は分かった。修理見積もり(有料)の仮の数字だけでとんでもない額だったのだ。
その副長の肩を、ぽんと叩く手があった。
いつの間にか身なりのいい営業スマイルの男が立っていた。名刺が手品みたいに指の間に現れる。
「お困りのご様子で。──月極重工と申します。ええ、げっきょくじゅうこう。月ではいちばん大きい、なんでも作る会社です。実は皆様に、とっておきのご提案がありまして」
名刺の裏にはこう刷ってあった。
『資金がなくても、価値のあるお客様には、ご相談にのります!』
*
上陸許可は班単位で出た。リー隊長は「先に行く」とだけ言って、一人でさっさと消えた。単独行動を禁止されているのはひろしであって、隊長ではない。
ドッチモールの中央市場は世界の縮図というより、世界の闇鍋だった。
人型機の関節部品を売る店の隣で月餅を売っている。月餅の隣は保険の窓口で、その隣は土産物屋、その隣は『本日入荷・対艦ミサイル(中古)』だった。ミサイルの前で観光客が記念写真を撮り、店主が「触らないでね」と言っている。
「月で月餅って、産地直送すぎるだろ」と、誰にともなくひろしは言った。誰も拾わない。
拾われなかった軽口の先、人混みの中に見覚えのある着崩し軍服があった。リー・シンガ隊長が賭け板の窓口から券を一枚受け取っている。
「隊長!? こんなところで何を買ってるんですか」
「六二%の、下がる方」
リーは券をひらりと振った。
「私の隊は私が数える。よその板の数字に、勝手に数えられてやるな」
それだけ言って、また人混みに消えた。六二%。何の数字だ。
「ねえ、ひろちゃん。あれ」
ヒロミが指したのは市場の中央にそびえる巨大な電光板だった。流れる情報は港の垂れ幕よりずっと露骨だった。
『青星勝利 一・七倍(↓〇・一)』
『ウオモイ艦隊・月出港後三十日以内の予測損耗率 六二%』
『新着映像:ウオモイの三機、エリートの白き死神に完敗! 完全版 九八〇ムーン』
ひろしは二行目を見た。月を出たあとの三十日で、自分たちの十人に六人が死ぬ、という数字に賭けが立っている。誰かがその数字の上下に金を張って遊んでいる。
ひろしの死ぬ確率は、この街ではオッズだった。
そのオッズの下がる方に、隊長の金が張ってある。
それから三行目を二度読んだ。三度、読んだ。隣の売店の棚。その映像パックが、積んであった。パッケージには、きりもみしながら墜ちていくドリーマーの写真。ひろし自身の機体だった。あの戦いで両腕の武装を斬り落とされ、きりもみに入った、あのドリーマー。それがいま、九八〇ムーンで棚に積んである。知らない誰かがそれを買って、何度でも頭から見るのだ。武装を斬り落とされる場面を、巻き戻して。
「これ! 俺たちのやつ!」
「あら、お客さんたち、本人?」売店の主人は目を輝かせた。「サインしてよ。本人サイン入りなら、高く売れそう」
「なんで俺の負けが売り物になってんだ!?」
「観測そのものは中立だからね。観測データは商品。うちは撮ったものを買った側、正当に売ってるよ。文句は撮って卸した側に言っとくれ」主人は棚を叩いた。「言っとくけど、これ今月の売上三位だよ。白き死神さんのファン、月に多いから」
主人は上機嫌で店の奥の集計板まで見せてくれた。戦争映像部門、月間売上高。桁が多すぎてひろしは二回数え直した。数え直してから、棚のパックへ目を戻す。
英雄特集には、断る相手がいた。この棚には、断る窓口がない。
「配信権、賭け市場、教材使用料。全部足すと、うちのだけで、これくらい」主人は指を何本か立てた。「絵になる兵隊は、それだけで金のなる木なのさ」
「敵のファンクラブが中立圏にありますの……」
セリーナは絶句し、それから棚の別の商品に気付いて、二度目の絶句をした。『レイジョー家令嬢、奇跡の八千メートル狙撃! 解説つき』。解説者は月の射撃教室の講師で、帯には『教材採用』とあった。
「……お待ちなさい。あの的当てを撮れたのは、艦の関係者だけですわ」
扇子が、ぱちりと閉じた。
「アテクシを卸した者が、身内にいますわね」
主人は素知らぬ顔で棚の整理を始めた。セリーナは完敗パックのパッケージを手に取った。きりもみするドリーマーの隅に煙を引く哨戒艇が小さく写っている。セリーナはその哨戒艇を指の先でとんと押さえた。
「……この艇、アテクシですわ。負けたほう」それから隣の狙撃教材をあごで指した。「そっちが勝ったほう。──両方、アテクシ」
「……二つとも買いますわ」
「買うの!?」とヒロミ。
「証拠品ですのよ」
教材の帯を、もう一度だけ見てから、セリーナは付け足した。
「……解説の出来も、確認しますの」
*
昼は市場の奥の食堂に入った。安くてうまい、と港湾作業員が並ぶ店だ。
注文を取りに来たおばちゃんは、ひろしたちの軍服を見ても眉ひとつ動かさなかった。
「ウオモイの子たちかい。はい、メニュー。青星の巡視隊も週二で来るから、鉢合わせたら席は離すよ。喧嘩したら両方出禁。それがうちのルール」
飯は本当にうまかった。うまかったので会計のとき、ひろしはつい聞いてしまった。
「おばちゃんとこは、その、戦争、どう思ってます?」
おばちゃんはつり銭を数える手を止めなかった。
「こないだ、うちの輸送船が徴発されてね。護送中に、どっちのだか分からない流れ弾で沈んだ。中立圏の外だったから、補償はどっちからも出ない。──で、店の売上は、艦隊が来るようになってから四割増えた。周りもみんな景気がいい」
つり銭が、かちゃりと置かれた。
「どう思ってます、って聞かれたらね。両方まとめて早く終われって思ってるよ。はい、六百ムーン。またおいで、味は保証するから」
店を出てからしばらく誰も喋らなかった。
*
艦に戻る通路で沈黙を破ったのは買い出し袋を提げたイヴイヴだった。いつの間にか洗剤を買っていた。携帯端末を確認している。
「ハケン副長より、通達です。港で名刺を渡してきた月極重工の営業担当から連絡があり、明後日一〇〇〇、正式な契約協議のため来艦するとのこと。ひろし・ただの二等兵は──名指しで同席を求められています」
「……俺?」
「はい。先方の資料に、こう書いてあるそうです」
イヴイヴは一字一句を正確に読み上げた。
「『白き死神に敗れて生き残った、あの顔のいい新兵』」
ひろしは自分の顔を触った。
「顔がいい……」「フツーですわよ」「そうだね」「普通ですね」
集中砲火に振り返ると、セリーナの提げた袋の口から、あの敗北映像パックがうらめしそうに覗いていた。
「行く。修理代の代わりに、俺の何を売る気なのか聞いてくる」




