第21話 お電話代わりました
通信席のイヴイヴは勝ち筋の推理をとうの昔に終えていた。
白銀の機体は、正面で静止している。武装のない訓練機二機、推進の潰れた哨戒艇。この数分で、エースと推測される白銀の機体から艇と二機の全員が生き延びる筋道は一切見当たらなかった。
イヴイヴの耳は通信の底に紛れた場違いな音を捉えていた。物流網を行き交う商船の業務通信、その端で混線している、どこかの取次の保留音。なごやかなメロディが戦場のすぐ隣の周波数を流れている。ここは民間の網の中で、電波は入り乱れたままだ。
いや、ちがう。これは──使える。まだ、鳴らせる音がある。
イヴイヴには監督官がつくのが条件だ。いまは、その条件に全員の命も含まれているように感じた。条件を守ったままなにもしなければ、記録は正しいまま全員が死ぬ。──生きるために必要なピースが足りないのであれば、作らなければならないのだ。
「権限外行為を、開始します」
イヴイヴはそう宣言した。誰の許可も求めない告知だ。
ギールが反応した。規定は緊急切断──レバーに手を掛け、そして、倒さなかった。切れば正しい。切って正しいまま、全員で死ぬ。ギールはレバーに手を掛けたまま、倒さないほうを選んだ。
通話は始まった。本来の艇の通信のどこにも流れていない通話だ。
短い信号音が三つ等間隔で送られた。艦の通信とは違う。
白銀の通信機宛、場違いに明るい保留音が流れ、業務的な声が割り込んだ。
「──おつなぎします」
*
「もしもし。家政部です。中性洗剤二十リットルと、研磨剤の追加発注の件でお電話しました」
沈黙が、戦場に落ちた。
白銀の機体は狩りの間合いのまま、動かなかった。たっぷりと間をおいて硬質な声が返ってくる。
『……回線を、間違えている』
「失礼しました」イヴイヴは謝った。謝りながら続けた。「ですが、ついでに伺います。そちらの機体は手入れが完璧ですね。関節部の焼け残りが、一切ありません。洗浄は何を使っていますか?」
『……交戦中だ』
「存じています。ですが、良い機体でしたので」
もう一度沈黙があった。今度のはさっきより長かった。
『……専用の溶剤だ。配合は私が調整している』
「やはり。ご自分で整備を」
『機体との間に、他のものを挟まない主義だ』
「よい主義ですね」
メイドは断定した。
通信は白銀の武器を下げさせてはいない。だが、一拍の呼吸をとらせたのだ。
『……妙だな』硬質な声が独りごちるように漏れた。『なぜ精鋭部隊に家政婦が……? 洗剤の発注など行う?』
殺気が一度、途切れた。
『……』
通信の向こうで照合をやり直す気配がした。数秒の後、声に困惑が混じった。
『識別コードのみ精鋭部隊。機体そのものは訓練機二、測量仕様一。──訓練機?』
そこで初めて、白銀が武器を下げた。
「だからさっきからそう言ってるだろ!」ひろしが思わず叫んだ。「塗装! 広報! 絵になるからって!」
『広報? 広報だと?』
禅羅はその二文字を世界の敵みたいに繰り返した。
『作為で塗られた、偽りの姿、ということか。──度し難い。機体は、あるがままであるべきだ』
遠くで待機していた二つの光点が、ゆっくりと下がっていくのが、レーダーに映った。
『聞け、ウオモイの訓練兵。訓練機をわざわざ沈める趣味はない。武装と推進は奪った。救援が間に合わなければそこまでだ。まったく……これだからウオモイの奴らは』
白銀は三機の周りをゆっくり一周した。値踏みではなく確認の周回だった。
『次に戦場で会うときは訓練兵とは扱わない。それまでに選び直せ。立つのか立たないのか。──立つのならその塗装を剥がして裸で来い。お前たち自身の色でな』
白銀は反転し、来たときと同じ意味の分からない加速で小さくなっていった。
残されたのは武装の剥がされた訓練機二機と、推進の潰れた哨戒艇と、沈黙だった。
*
最初に口を開いたのは、セリーナだった。
「……い、生きて、いますのね。アテクシたち」
「みたいだ」とひろし。
「生きているなら、聞きますわ。──そこのメイド」
セリーナの声が通信席のイヴイヴに向いた。
「なぜ貴女、敵の回線を知っていましたの」
「発注先へおかけしたところ、あちらへ接続されましたね。表示の間違いですかね?」
「たまたま、敵のエースに繋がりますの!?」
「混線では」ヒロミが疲れた声で言った。「ほら、さっきセンサーマスト折られたし、うちの艇」
「混線です」イヴイヴが即座に採用した。「次からは気を付けます」
そこへギールの硬い声がイヴイヴの後ろから聞こえた。
「──通信記録の確認、終わったわ。本艇の発信記録に、いまの通話は存在しません。発信権限なしの条件下で、よ。……よくわからないから持ち帰るわ」
ギールの指摘に答える者は誰もいなかった。答えられる一人は、黙っていた。
「救援要請は、ギール様が送信済みです」イヴイヴが続けた。「それと、皆様に、お知らせがあります」
「……何」とひろし。
「レーダーに、新しい反応。多数です。青星軍の艦隊が、こちらへ向かっています。発信者名は──テッテ・イテキ大佐」
ゆっくりと青星軍が近づいていた。
*
『こちらは青星統一防衛軍、テッテ・イテキ大佐である。停止中の、ウオモイ軍所属機へ。青星航宙規約第五章二節、遭難者保護条項──および同章四節、交戦勢力構成員の拘束条項に基づき貴官らを保護し、かつ拘束する』
「保護して、拘束……どっちですの」とセリーナ。
「両方だろ」と言いながらひろしはふと思った。この几帳面な声は、俺たちを撃たないための条文を、わざわざ先に読み上げている。保護を拘束より先に言った。優しい人なのかもしれない。
レーダーの中で青星艦隊の光点が扇形に広がっていく。教本どおりの隙のない包囲展開だった。武装なし、推進は半分、艇は動けないまま。こちらに残っている手札は、セリーナの残弾五発と、ヒロミの機体の左腕と、メイドの美味しい紅茶だけだ。
「救援の到着予定は」とひろしが聞いた。
「二十分後です」とイヴイヴ。「敵の展開の速さから読むと、包囲の完成は十二分後ですね」
「八分、足りませんわね」
セリーナは哨戒艇の観測席で狙撃銃を組み直した。残弾五発で艦隊と戦う気だ。冗談ではなく本気の顔がひろしの通信に映る。
「待て待て、撃ったら保護が全部、拘束になる」
「では、座して待てと? アテクシ、捕虜になった令嬢の家がどうなるか、家庭教師に習いましたのよ。歴史の授業で、五回中三回、クッコロが出ましたわ」
言い合いに答えを出したのは敵だった。先頭の駆逐艦から拘束用アンカーが五基射出された。
「……保護の手つきではありませんわね」
セリーナが撃った。五発。接近するアンカーが順に砕け、敵の第一波は仕切り直しになった。
「もう残弾はありませんわ。二十分後の救援では防げませんことよ」
その隙間に通信の向こうから場違いに陽気な声がした。
『やあやあ、巡回隊。生きてる?』
「〈グランドリーム〉!?」
『操舵手のヤライです。救援予定、二十分後って聞いてたでしょ。急いで来たよ。そのまま浮いてて。あ、揺れます』
揺れます、の意味を三人は十秒後に知った。
突然、旗艦〈グランドリーム〉が来た。旗艦が来る速度ではない。冗談みたいな主砲を進行方向へ向けたまま、艦体を斜めに倒し姿勢制御を左右交互に吹かして蛇行しながら突っ込んでくる。──いや、蛇行ではなかった。無茶な速度で突っ込んだ艦が姿勢を取り戻しきれずに、右へ左へ振られているのだ。当てさせないための機動ではなく、止まりきれない艦のなりふりかまわない帳尻合わせ。まるでコメディのステッキダンスだ。
テッテ大佐の声はまだ落ち着いていた。『ウオモイ旗艦の接近を確認。規約第三章に基づき、警告する。貴艦の機動は──』
そこで、途切れた。
『……貴艦の機動は、規約第三章七節の、想定機動一覧に……該当するものが……照合中。照合中。当該機動は、後進、ではない。回頭、でもない。横滑り、に、艦体規模が……』
「処理落ちしてますわ」
「まぁ、わけわかんないよな、あの動き」とひろし。
包囲の扇は、まだ閉じきっていない。足りないはずだった八分は、ヤライの操舵が無かったことにした。〈グランドリーム〉は減速しなかった。減速せずに、艦腹の格納庫ハッチを全開にして二機と一艇の真横を通過する。通過の瞬間、ハッチから射出された作業ポッドが四つ球形の白い塊になって飛んできた。
『お嬢様ぁぁぁ! お迎えに上がりましたぁぁ!』
ゴメンず(四人)だった。
球形のポッド〈マ・モール〉が四機、牽引ワイヤーと展開式の防護盾を広げて飛んでくる。二機が哨戒艇を左右から挟み、残る二機が訓練機を一機ずつ掴んだ。
『お嬢様、お怪我は!? あ、艇が凹んでる! 我々がお側にいれば! 申し訳ありません!』
『謝罪は後! 牽引優先!』ルイの声が飛ぶ。『三、二、一──回収!』
ワイヤーが張られ、慣性がひろしの内臓を後ろに置き去りにした。景色が流れる。青星艦隊の光点がレーダーの端へ滑り落ちていく。〈グランドリーム〉は二機一艇をぶら下げたまま、来たときと同じ蛇行で戦域を離脱する。ヤライが『回収完了』と言い、格納庫のどこかで洗濯物が一枚宙を舞っていた。主砲は結局一発も撃たなかった。
『……ウオモイ旗艦へ』
遠ざかる通信の最後に、テッテ大佐の声がした。処理落ちから復帰した声はまた几帳面に戻っていた。
『本日の貴艦の機動を、当職は規約違反として、本国へ報告する。該当条文は……追って、特定する。以上だ』
*
格納庫に降りたとき、ひろしの足は少し震えていた。ステッキダンスで振り回されたからではなく、武者震いでもない。
ヒロミの機体は右腕がなく、ひろしの機体は武装がなく、哨戒艇はセンサーマストがなかった。あるのは全員の命。
整備班が群がり、広報士官が「絵になる損傷ですねえ」と言って整備班長に睨まれ、通信士が艇の記録を回収して首をひねった。
「あれ。交戦中の発信記録が一件、欠落してますね。時刻からすると……敵機が攻撃をやめた、ちょうどその辺の」
「混線では」
メイドが即答した。魔法瓶を回収しながらの完璧に平坦な声だった。
「混線かあ。マスト折れてたしなあ」
通信士は納得して行ってしまった。
ひろしは納得しなかった。しなかったが、口にする言葉がまだ見つからなかったので、代わりの言葉を置く。
「なあ、イヴイヴ。……ありがとな」
「混線しただけです」
メイドは澄まして言った。それから、ひろしの震えの残る手を一瞥して付け足した。
「温かいものを飲んでくださいね。生きている人の仕事です」




