第20話 予約された航路
巡回任務の再開前夜、ひろしは食堂で噂を聞いた。
「今度の航路さ、予約網に載せたんだって」と先輩が言った。「うちの艇を民間の便名で公開の台帳に混ぜて載せるんだと。隠すようなもんじゃない、時刻表と同じだ、ってさ」
「そんなの、敵に読まれませんか?」とひろしは聞いた。
「読まれるよ。毎晩読まれてる。でも、実は民間船じゃありませんでした! ババーン! ってロマンがやりたいんだろうよ。それに、読まれても撃たれない。あの網は、戦争より前からある、民間の物流網だ」先輩は湯呑みを傾けた。「網の中で撃てば物流が止まる、飯も弾も止まる。月の物流は、青星も、うちも、あの網一本に乗ってる。だから、どっちも網の中は撃たない。開戦してからも、網の中で撃たれた船は、まだ一隻もないんだと。──保安のトジマリさんが最後まで渋ってたけどな」
「予約って、そんなにすぐ取れるもんなんですか」
「順番待ちだよ」先輩は湯呑みを置いた。「枠は早い者順で、軍だからって割り込めない。割り込んだら網に穴があくからな。近いのに遠いってのは、たいてい距離のせいじゃない。順番のせいだ」
理屈はわかる、とひろしは思った。わかるのに、箸はしばらく止まっていた。
*
巡回任務再開の朝、第二格納庫は二日前とほとんど同じだった。
哨戒艇一、訓練機二。同じ三機、同じ配置。違うのは、三つだった。
一つ。哨戒艇の通信席の脇に監督官席が増設されていた。通信席にはあのメイド──イヴイヴが着き、その斜め後ろに、艦の通信担当のギール・アイシスが、緊急切断のレバーに手が届く位置で座っている。審査で通信席を許さなかった副長が、監督と切断レバーを条件に、この一枠だけ判を変えた。
二つ。ひろしとヒロミの訓練機二機の塗装が変わっていた。広報士官が「絵になるので」と、黒地に赤の稲妻が走る、実戦部隊風の派手な塗装に塗り替えたのだ。フツー区の大根の花は稲妻の下になった。識別信号まで「精鋭に見える設定にしておきました」と広報士官は胸を張っていた。欺瞞戦術として司令部の許可も取ったという。前回延期になったぶんだけ気合十分ということらしい。
三つ。発進前の点呼で二日前にはなかった言葉が読み上げられた。
『点呼。艇長、操舵、観測手、機関』
『ルイ・ユミ』
四つとも、同じ声が答えた。席の足りない艇では執事は四つぶんを兼ねる。
『観測狙撃』
『セリーナ・ポリン=レイジョーですわ』
『監督官』
『監督官、ギール・アイシス。切断レバー、確認済み』
『──臨時通信員』
『臨時通信員、イヴイヴ。名簿記載番号、臨時の一』
名簿記載番号。二日前にはこの艦のどこにもなかった言葉を、イヴイヴはID番号でも読むように平坦に言った。艇内回線にセリーナの声が割り込んだ。
『番号がついて、ご満足かしら』
『満足は私の職掌にありませんね。ですが』通信席の声は続いた。『名簿は正しくなり、私はみんなといられるようになりました。良い名簿ですね』
『それって満足ってことだろ?』とひろしは笑って操縦桿を握った。
二日前、点いた順に消えていった発進台の表示が、今日は緑で出そろっている。
隣の発進台でヒロミの機体が先に灯を点けた。訓練機二機と哨戒艇一隻は順番に発進台を蹴り、艦の腹を離れ、予約された第四レーンへ教本どおりの隊形で乗った。
*
巡回に出てすぐ、コクピットでひとり、ひろしは出撃前の訓示にあった副長の言葉を思い出した。戦争の九割は何も起きない場所の確認でできている。残りの一割の話はまだ聞いていない。
「ちょっと、右の訓練機。針路がふらついていましてよ」と哨戒艇の狙撃席のセリーナから。
「ふらついてない。これは、あれだ、警戒動作」
「警戒動作で酔いそうですわ。だいたい、その塗装はなんですの。悪目立ちして仕方ありませんわ」
「文句なら広報に言ってくれ。塗ったのは俺じゃない。俺は水やり係だぞ」
「その自覚がおありなら、せめて艇の陰にいなさいな」
「けんかしないの」ヒロミの声が割って入った。「えっとね、二人とも聞いて。三時方向、遠いけど、何か」
「何か、とは何ですの」
「分かんない。でも、さっきから同じ間隔でセンサーの端に触るの。わざとみたいに」
ひろしのレーダーには何も出ていない。観測手のルイも「感なし」と報告した。だがヒロミは食い下がる。食い下がる声の温度がいつもより高いことにひろしは気付いた。幼馴染の観測はパンの売り切れから人の癖まで外したことがない。それを、ひろしは知っている。
「──通信担当より報告します」イヴイヴの声は平坦だった。「ヒロミ様の報告位置に合わせて、受信の感度を絞りました。三時方向、反応一、接近中。さらに後方に、微弱反応二あります」
「アテクシのセンサーにはありませんわ」
「拾ったのは、艇のセンサーです。私がしたのは、絞って読み直しただけですね」
「絞って、読み直しただけ……?」セリーナの声から、ふっと、からかいが抜けた。
ひろしはレーンの前方を見る。一つ目の通過予定点は誤差ほとんどなく過ぎた。管制の声は穏やかで、前を行く民間貨物船の灯が規定の間隔で瞬いている。二つ目の通過点までのレーンが正面にまっすぐ延びている。ひろしの目に映るかぎり、それはただの穏やかな、誰でも読める航路だった。
警報が鳴った。
*
それはもう目視できる距離まで来ていた。三時方向の、あの反応一だ。
白と銀の細身の人型機。ウオモイ機のロマン全開の装飾も、青星機の無骨な型番の圧も、どちらもない。無駄が一つもない。
『所属不明機へ。こちらはウオモ──』
定型通告の途中で白銀は加速した。
加速という言葉がふさわしいのかどうか、分からなかった。見てから動いたのでは間に合わない速さで、白銀は三機の間合いの内側にいる。すれ違いざまに、セリーナの乗る哨戒艇のセンサーマストを正確に斬り飛ばしていた。それでもひろしの反撃は出た。ヒロミの勘を疑わず、通告のあいだも引き金に指を置いていたからだ。その反撃が、白銀の残像を切る。
「っ、散開! 散開だ!」
誰の命令でもなく三機はばらけた。通信に初めて敵の声が乗った。低く、硬質で、静かな声。
『義勇士官、禅羅・アストリアス。貴隊の識別は、精鋭強襲部隊のものだ。囮の任、ご苦労。──沈む前に名乗りたい者は名乗りたまえ』
「せ、精鋭じゃない! それ塗装! 広報の!」
『交戦中の欺瞞に、聞く余地はない』
囮の任。白銀はそう言った。
囮──? ひろしの頭の隅でその一語が塗装と、かちりと噛み合った。派手な塗装。精鋭に見せる識別信号。広報が「絵になる」で塗った嘘を、向こうは本気で受け取ったらしい。この三機を、精鋭強襲部隊だと。これだからロマンのないやつは困る。
そしてもう一つ、遅れて理屈がくる。網の中は撃たない、と先輩は言った。だが、物流網が守っているのは民間の物流だ。民間の便名をかたって網に紛れた軍艇は網に関係がない。網をかたった船を撃っても、網は死なない。そのうえ、精鋭のふりまでして俺たちは網の外側に自分から立っている。
いつ、どこを通るかも、先に書いて出してある。
『後方の微弱反応二、間合いを保ったまま接近しません』イヴイヴの声は変わらない。『あの二つはただ、こちらを見ています』
見られている。仕留めるのは、この一機で足りるという判断か。あとの二つは、その一機が仕留めるところを記録していればいい。──ヒロミの勘も、イヴイヴの読みも、外れていなかった。
センサーマストを斬られた哨戒艇は狙いの補正を半分失っていた。
『──直したばかりのマストを。……振動の谷が、読めません。撃ち時を、お渡しできません』ルイの声が初めて揺れた。
それでも、セリーナの腕なら当たるはずの距離だ。セリーナの狙撃が走る。一射目、当たらない。二射目、当たらない。「アテクシの弾が……!?」背骨の定規は外している。外して、なお届かない。三射目は撃つ前に射線を無くされた。相手は射線を読んで、撃てない位置を選んで飛んでいる。それでもセリーナは撃ち続ける。当てる射撃から、近づけさせない弾幕へ切り替えていた。残弾がみるみる減っていく。
「ヒロミ、下!」
ひろしの叫びより、ヒロミの機体の反応のほうが早かった。回避、反転──そして、反転した機首が、逃げる軌道ではなく、戦う軌道に入る。避ける動きから獲物を追う動きへ。速く、滑らかで、そして、ヒロミらしくなかった。通信に、短い吐息が漏れる。笑うような息だった。
「ヒロミ!?」
『──だめ』
通信に、ヒロミの押し殺した声が漏れた。誰かに言ったのではなく自分に言った声だった。機体の軌道がぐっとねじれて曲がる。その半秒の迷いを白銀は見逃さない。
閃光。衝撃。ヒロミの機体の右腕が肩から千切れて飛んだ。
「ヒロミっ!!」
『生きてる、大丈夫、コクピットは無事──』
言葉の途中で哨戒艇が動いた。片腕の機体を拾いに行く軌道だ。白銀はそれを一瞥もせず、すれ違いざまに艇の推進部だけを正確に斬り抜いていく。爆発はない。火も出ない。ただ、進めなくなる。艇は慣性のまま、ゆっくり流され始めた。
次は、ひろしだった。ひろしは操縦桿を握り直す。同調率が九十を振り切る。上がった数字のぶんだけドリーマーはよく動く。白銀の一撃を、ひろしは目で追えた。追えて、避けた。左肩を火花がかすめる。避けたと思った。
だが、自分で避けたのではない。白銀は、哨戒艇の射線を潰し、ひろしに武装を構えさせるためにその位置へ避けさせていた。ひろしが構えるやいなや、二撃目がドリーマーの両腕の武装を続けざまに斬り落とす。撃ち返す手が、ない。
三撃目がひろしの推進器を半分潰した。目を、手を、足を。順番に潰されている。機体がきりもみに入る。模擬戦の日のヤミノ機と同じ軌道だった。同調率の数字はまだ九十の上にあった。数字が上がったところで届かない相手がいる。それを、ひろしは初めて知った。
哨戒艇は流されたまま、狙撃席のセリーナの残弾は尽きかけている。『二人とも、艇の陰に──』と言いかけた声が、途切れた。動けない艇は、盾にならない。哨戒艇の通信席の回線は、まだ、開いたままだった。ヒロミの機体は片腕のままそれでもひろしの前に出ようとしている。
白銀の機体が、正面で静止した。
急ぐでもなく、嬲るでもなく、仕事の残りを数える、狩りの間合い。
『健闘した。だが、おしまいだ』
終わる。その声を聞いた誰もがそう感じた、その時である。
通信機に、場違いに明るい保留音が流れた。
「──おつなぎします」




