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なにになろう? ―「もしも魔法が使えたら」の未来―  作者: コペルニクス2号


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第17話 戸締りはしない

 保安主任トジマリ・オサムの仕事は、要するに錠前係だ。


 五十を過ぎた古参兵で、勲章は少なく書類仕事は速い。錠前係の仕事の九割は、鍵のかかっていない扉を地道に探して歩くことでできている。


 出港四日目の夜、トジマリは当直室で明朝の巡回任務の編成表をめくっていた。哨戒艇一、訓練機二。艇長、操舵、観測狙撃、機関、通信──。


 通信の欄で指が止まった。


 通信担当、イヴイヴ。階級欄、空白。所属欄、家政部。


「……家政部?」


 トジマリは呟いた。二十六年この軍にいるが、聞いたことのない部署だ。彼は編成表を置き、艦の部署一覧を出した。ない。旗艦の編制表にも、軍全体の編制表にもない。次に人員名簿を出した。出港時の乗員名簿、来客名簿、報道関係者名簿、貨物同乗者名簿。イヴイヴの名は、どこにもなかった。念のため表記を揺らして検索した。イブイブ。イヴ・イヴ。エヴエヴ。該当なし。該当なし。該当なし。


 名簿にいない者が、明朝の任務編成表に通信担当として載っている?


 *


 当直の部下を呼んだ。部下は編成表を見て、ああ、と言った。


「イヴイヴさんですか。優秀ですよ。機関部の洗剤も食堂の在庫表もあの人が」


「優秀かどうかは聞いていない。名簿にいるかを聞いている」


「名簿に……いや、いるでしょう? さすがに。もう四日も艦で働いて」


「いない」トジマリは検索結果を部下へ向けた。該当なし。部下は画面を三度見て、真顔になった。名簿にいない者が四日間艦で働いていて、誰も報告していない。報告がないから警報も鳴らない。


 その夜のうちに、トジマリは艦じゅうから証言を集めさせた。終わったのは夜明け前。集まったのは調書ではなく、推薦状の束だった。


 機関部の整備長。「補給部の応援の方でしょう。うちの洗剤の配合を直していかれた。本官が二十年かけて決めた配合をです。悔しいが、手が荒れなくなりました」


 補給部の主計。「士官食堂の人では? 在庫表の誤記をいくつも直されました。本部の間違いまで見つけた人を、自分は初めて見ました」


 士官食堂の炊事長。「医務室の配膳係さんだよ。配膳の間、スープが一度も波を立てない。うちの若いのが弟子入りを志願して、断られた。『職掌が違います』って」


 医務室の医務官。「ああ、あの優秀な子。夜勤明けに彼女の淹れた茶を飲んでね。処方箋に書きたいくらいの茶だった。所属? 機関部の応援の子じゃなかったかな」


 輪が、閉じた。四つの部署が、きれいに互いを指している。全員が彼女の仕事に助けられ、誰一人、所属を確かめていなかった。


 保安部の調査で、宛先のない推薦状ばかりが積み上がっていく。調べれば調べるほど相手が褒められていく調査を、トジマリは知らない。


 証言の中に水耕区画の新兵のものが一枚あった。フツー区の英雄候補生ひろし・ただのとかいう新兵。トマトに水をやっていたら、そのメイドがやたらまっすぐ水平にトレイを持って現れて、「水の量が一・三倍過剰ですよ。優しさは量ではありません」と言い残して去ったという。


「……メイド?」


 トジマリは証言を読み返した。四人とも、服装には一言も触れていない。この艦にはメイドの制服で歩く者が一人いて、四日間、誰もそれを不思議がらなかった。


 貨物記録にも妙な点が一つあった。出港前日に搬入された清掃機材一式。受領印はあるのに現物の所在が確認できない。積み込み台帳の連番がそこだけ飛んでいる。欠番一つ。


「清掃機材が、歩いて出ていったとでも言うのか」


 記録は答えなかった。


 *


 トジマリは椅子の背にもたれた。天井の通風孔がかすかに鳴っていた。


 この者が何者でどこから来たのか。名を「イヴイヴ」と名乗り、四日間、完璧に働いてきた。それ以上のことは今夜のうちには分からない。分からないものを、明朝、戦時の通信席に乗せる。記載漏れかもしれないし、ウオモイ群にはサスペンス区がある。奴らは当たり前のように大事なことを報告せず、我々に謎解きをさせた気でいるのだ。


 選択肢を数えた。


 一つ、黙って通す。編成表には決裁印が並びかけている。彼女の仕事ぶりは艦中が知っている。実害の報告は一件もない。巡回任務は予定どおり行われ、誰の顔も潰れない。


 二つ、巡回任務の発進を止める。戦時の初任務を保安部の一存で遅らせる。士気に響き日程がずれ、広報の絵図が崩れ、責任は名簿を管理する自分が負う。


 選択肢の天秤には、一方の皿に安易で便利が大きく載っていた。反対の皿には、名簿の一行がそっと載っていた。


 名簿の一行のほうが軽い。誰の目にもそう見えるだろう。実害はなく、彼女は優秀で、止めれば艦じゅうが自分を面倒くさがる。二十六年かけて積んだ「話の分かる保安主任」という評判は、明朝、秒で崩れるだろう。がしゃりと崩れる音までトジマリには聞こえる気がした。


 だが、錠前係をやってきて知っていることが一つある。実は開いたままの扉は誰も困らない。普通の鍵の閉め忘れくらいは「ごめんごめん、忘れてた」で通るのだ。本当に悪意が通るまでは。困ったときにはもう遅い。だから、軽いほうの皿にリスクを盛り付けるのが錠前係の仕事だ。


 本当に重いのは、いつも、まだ重さを量れていない損害のほうだ。


 彼は副長への直通回線を開いた。


「保安部トジマリ。明朝の巡回任務について、発進の停止を具申します。編成表の通信担当が、この艦の名簿に存在しません。誰が、いつ、どの端末から書き加えたのか判明するまで、この艦が出す任務書類の全部を保安部は信用できません」


 *


 その夜、トジマリは眠らなかった。


 具申は上げた。あとは、艦長がどちらの皿を取るかだ。取らなければ、〇六〇〇に巡回の艇は出てトジマリの名簿は嘘のまま宙域へ出る。取れば、戦時の初任務が止まり、責任の起点としてまっさきにトジマリの判子が呼ばれる。どちらでも、ゆっくり眠れる話ではない。彼は当直室で、部下の入れてくれた冷めた茶を三度温め直した。三度目には、自分でも何をしているのか分からなくなった。茶は一向に減らない。


 *


 第二格納庫。


 哨戒艇の整備ハッチが閉まり、訓練機ドリーマー二機が発進台に並んでいた。裁可はまだ下りていない。任務から外す権限も、裁可が下りるまでない。保安部にできるのは見張ることだけだった。トジマリは携行端末を握って格納庫の隅に立っていた。


 戦時の哨戒艇の通信席にメイド服が一人、座っている。ヘッドセットを着け、通信パネルを起動し、膝の上には銀色の魔法瓶まで置いて、完全に準備を終えている。艦でいちばんの問題が、艦でいちばん準備万端だった。


 発進五分前、トジマリの携行端末が震えた。シャイン艦長の裁可。──発進停止。トジマリはその一行を二度読んで、ようやく、詰めていた息を吐いた。


『巡回隊、発進準備完了を確認。──』


 管制の声が、途切れた。


『──待て。全機、発進中止。艦長権限により本任務の発進を停止する』


 発進台の表示が点いた順に消えていく。哨戒艇から艇長──レイジョー家の執事ルイが降りてきて、トジマリの前で一度足を止め、完璧な角度の一礼をして、何も言わずに行った。読めない一礼だ。


 発進台の脇で整備兵が二人、トジマリのほうを見た。目が合って、そらされた。朝までかけた発進準備を、たったいま無駄にされた二人だ。


 トジマリは保安部の一隊を率いてまっすぐ哨戒艇へ歩いた。


「イヴイヴさん、でよろしいか。保安部のトジマリです。所属の確認が取れるまで任務から外れていただく。同行願えますか」


 イヴイヴは三秒沈黙しヘッドセットを外した。


「確認します。私の所属確認が済むまで、本任務は発進しないのですか」


「しない。巡回は延期になる」


「であれば急ぐべきです」イヴイヴは通信パネルを落とし立ち上がった。「巡回は艦の安全に必要です。私の所属確認が巡回より先に立つのは非効率ですね。しかし──二日かけてでも正しい確認が行われることも大切です。同行します」


「……二日と、誰が言った」


「保安調査の標準日程です。規定七三条の二ですね」トジマリの部下が調べるより先に調査対象が答えた。


 タラップを降りたイヴイヴは、トジマリの正面に立った。すらりと細い体躯。目の高さは、トジマリの胸ほどしかなかった。


 *


 保安部の小会議室で、イヴイヴは呼び出しの時刻ちょうどに現れ、着席し、持参した魔法瓶からトジマリのぶんの紅茶を注いだ。頼んでいない。頼んでいないが、注ぐ手からは目が離せなかった。細い注ぎ口から茶が落ちる間、カップの中の水面は波ひとつ立てず、水平のまま静かに満ちていく。証言の束にあった、あの「やたらまっすぐ水平」を、トジマリは初めて自分の目で見た。


 イヴイヴは自分のぶんを注がなかった。調べられる側だろうと、勤務中は勤務中らしい。


「まず、これを聞く」トジマリは切り出した。核心から行くと決めている。「編成表に、あなたは通信担当として載っていた。所属は家政部。存在しない部署だ。──誰が、あなたをあの表に書いた」


「私が通信担当を志願しました」イヴイヴは即答した。「巡回に通信担当が一名不足していましたし、私は通信ができます。だから志願の書式を出しました」


「書式は、所属長の承認が要る」


「承認は、下りました。誰も、私の所属を確認しなかったからです」イヴイヴは少しも悪びれなかった。「所属を書く欄に『家政部』と書いたのも私です。存在しない部署ですが、誰もその欄を読まなかったようです。──不備は、私ではありません。読まれない欄を承認できるその仕組みのほうだと思いませんか?」


 質の悪い推理小説の謎解きを見ているようだ。答えは単純だった。誰かが悪意で書き加えたのではない。彼女は正確に、正規の書式で、システムの穴を通ってきた。なぜそんな穴を通れると思ったのだ? 喉まで出かけて、やめた。いま聞いても、返ってくる答えの真偽を確かめる物差しがこちらにない。トジマリはそこをまだ問えなかった。


「あなたは、搬入貨物に紛れて──」トジマリの目は調査書類へ移った。


「お待ちください」イヴイヴは書類へ手を伸ばし、文章を指さした。「ここ。『搬人』は『搬入』の誤りです」


「……ああ」


「それから日付が一日ずれていますね。訂正印はお持ちですか?」


「持っている、が」


「では訂正してください。公文書ですので。誤字があると、調査される側も落ち着きませんから」


 トジマリは調査対象に書類を校正された。錠前係は、鍵のあいたままの扉を長年探してきたが、扉のほうから錠前の閉め方を指摘されたのは初めてだった。


 訂正印を捺し終えて、トジマリは問いへ戻る。


「──で、あなたは搬入貨物に紛れて乗艦した。そうだな」


「清掃機材は良い機材でした」


「肯定か、それは」


「ご想像にお任せします。──というのが、こういう場面の正しい作法だと聞いています」


 出た。


 トジマリは天井を仰ぎたくなった。サスペンス区の作法だ。大事なことを言わず、質問を謎で返し、こちらが調べ当てるのを楽しみに待つ。あの区の出身者は履歴書の職歴欄まで伏せ字にしてくると聞く。気の長い区だ。付き合いきれん。


 イヴイヴはそれきり、紅茶の水面を見ていた。欠番の一つは、欄ごと空白のまま。


 イヴイヴが退室したあと、部下が妙な顔をした。「主任。机の上、揃ってます」


 トジマリは机を見た。調書の角が揃い、朱肉の蓋まで閉まっている。退室までのどの動きにそれが挟まっていたのか、思い出せない。錠前係の机が、調べた相手に戸締りされていた。


 *


 その日の艦内放送で、巡回任務の二日延期が告げられた。理由は「編成上の不備、巡回艇のメンテナンス」とだけ説明された。メンテナンスのほうは交換部品待ちで、調査があってもなくても二日は塞がる日程だったらしい。トジマリの具申は、結果だけ見ればもともと止まる艦を止めたことになる。それでも、止めると具申した重さは変わらない。


 トジマリは報告書の結論欄を前に長く唸った。彼女は手札が多い。彼女を降ろせば、機関部の洗剤の調合法が失われ、食堂の在庫管理が非効率的になり、医務室の配膳が以前の水準へ戻る。二日調べても、保安上の脅威は何も出てこない。平時であれば時間をかければいい。だが今は、普通が難しい。戦時である。


 結論欄に書いた。『当該人員を一時保護観察下に置き、行動記録を毎週提出。退艦措置は次期寄港地の情勢に鑑み保留』。


 要するに、いてもらう、ということだった。


 清掃機材一式の欠番は、どう調べても埋まらなかった。それを正直に書くのも錠前係の仕事だ。書き終えてから、トジマリは自分の字がいつもより丁寧なことに気付いた。調査対象に校正されたのが心のどこかで衝撃だったらしい。二十六年で染みついたはずの雑さが、たった一晩の同席で少し薄れていた。


 報告書はハケン副長へ回った。副長は一言、「優秀なんだろう?」。トジマリは「はい」と答えた。「ウオモイ群にはいろんなヤツがいるからな」。そう呟きながら副長は決裁印を押した。巡回一つを二日止めたことについて副長は何も言わなかった。必要な仕事をした人間を責めない人らしい。〈グランドリーム〉に乗っているのは、なんらかの形で優秀な人材ばかりだ。


 広報士官のほうからは、廊下で絵になるはずだった初任務の愚痴を聞かされた。絵をどう作るかという一時間の勉強会つきだった。おそらく今後使うことのない知識だ。それが、トジマリが巡回を止めた代金だ。


 イヴイヴを艦に残すかどうか、みんな納得ずくで便利さを選んだ。トジマリはそれを承知の上で、自分の判子を最後に押した。


名簿にいないメイドのイヴイヴ、併走開始。


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