第14話 将軍は魔法が好きすぎる
のんきなチャイムの残響が消えると画面に演台が映った。
ウオモイ群統合軍の紋章を背に老将軍が立っていた。テロップが出る。『統合軍最高司令官 モミテ・バック・スクラッチャ将軍』。勲章の重さで前傾姿勢になりそうな礼装で、老人は咳払いを一つして始めた。歴代最強、と誰もが言う。何と戦って最強なのかは誰も言わない。
『諸君。私は魔法が好きだ』
乗り継ぎの待機室の全員が画面に釘付けになった。
『諸君、私は魔法が好きだ。魔法ってのは万能だ。大体なんだってできるはずだ。火を出す魔法が好きだ。水を呼ぶ魔法が好きだ。空を飛ぶ魔法が好きだ。牛を増やす魔法が好きだ。教科書の一章で、絵本の挿絵で、じいさまの寝物語で、商店街のポスターで、この群に生まれた誰もがそうであるように、私は魔法に焦がれて生きてきた』
将軍は原稿を見ていなかった。見る必要がない。暗記ではなく、本心だからだ。
『だが諸君。私は一度も、魔法を見たことがない』
声が一段沈んだ。火を、水を、空を、と数え上げるあいだ、演台に置いた老いた指がわずかに動いていた。見たことのない魔法の手つきを、何度も練習して覚えてしまったような動きに見える。
『七十年前、我らの祖先は故郷を追われ、青星の見えないこの場所に置かれた。名目は移住。実態は隔離である。以来我らは、普通に生き、普通に子を成し、普通に過ごす。──諸君、我々はこれに、飽きた』
飽きた、で会場がどよめいた。怒りより先に、飽きた。妙に腹の底に届く言い方だ。ひろしは区役所の端末に出たあの「収容」の二文字を思い出した。将軍の言う「隔離」と、その二文字は同じ根から出ている気がした。避難や救助ではなく、隔離や収容。あの窓口の職員は何も知らない。あの二文字を書いた誰かは、知っていて書いた。
『我らは要求した。孫たちの理不尽な手からの解放を、隔離の終わりを、帰還の自由を。亀裂と魔法を人類すべての手に返すことを。青星は七十年、これに答えなかった。なら、我らの我慢もここまでだ』
将軍はそこで初めて笑った。
『取り戻しに行こうではないか! 頂戴ではない、勝ち取るのだ! 諸君、これより我がウオモイ群は青星に対し戦争状態に入る。目標は亀裂。返してもらうのは、我らのマナだ』
うおお、と画面が揺れた。議場の大歓声に重ねて映像が切り替わった。編隊を組む艦隊。整列する人型機。そして──
「──は!?」
ひろしは待機室で立ち上がった。
画面の中で礼服のひろしが敬礼していた。フツー区の壮行会の映像だ。『僕たちは行きます。祖先の無念を胸に』と叫ぶひろしの横で、健気に見えるように切られたヒロミが頷き、テロップが躍る。『若者たちも、立ち上がった』。
「聞いてない! これ、使うって聞いてないぞ!?」
「ひろちゃん、映り、悪くないよ」
「そういう話じゃない!」
そういう話ではなかった。あの壮行会の日、ヒロミは同意書の『無期限』に線を引いて『出隊広報に限る』と書き直した。二人ともそこへ署名してある。『全媒体』のほうには、線を引かなかった。どの局に流れてもいい。ただし出隊の広報として。そういう紙だ。
いま流れているのは、宣戦布告の演説に差し込まれた戦意高揚の一コマだ。線を上から消したという知らせは来ていない。
ただ、消さずに、またいだのだ。
「……線、引いたのにな」とヒロミが小さく言った。笑ってはいなかった。
ヒロミは帳面を開いて一行だけ書く。
『線は消されず、またがれた。──要観測』
書いてからいつもと違うやり方で、やさしく閉じる。
待機室の他の兵たちが画面とひろしを見比べ始めた。「本物?」「本物だ」「英雄候補生くんだ」。兵の一人が端末をひろしの顔の横に掲げ、画面と見比べた。自分の顔が、二つ同時にそこにある。ひろしは深く座り直した。遅かった。この映像は今、ウオモイ群の全チャンネルとたぶん敵国にまで流れている。座り直して隠せるのは、生身のひろしの顔だけで、流れてしまったほうはもう誰にも隠せない。
*
数時間後、報道枠が青星側の応答を伝えた。
青星軍総司令、マック・カード。胸元に青星の小旗を挿した恰幅のいい男が記者団の前で両腕を広げていた。将軍の演台と違ってそこはどこかのホテルのロビーみたいだった。
『結論から言おう。青星は市民の暮らしを他国の要求の賭け札にはしない。亀裂の管理も、航路の安全も、我々が続ける。なぜなら我々が現に七十年うまくやってきたからだ。青星第一。私の在任中この優先順位は変わらない』
男はそこで一拍置いてカメラへ身を乗り出した。記者団のほうはもう見ていない。レンズの奥のそのまた向こうにいる誰か──顔の見えない誰かにまっすぐ喋っていた。目の前の相手より画面の外の勘定を見ていそうだなとひろしは思った。
『それでも、取引の窓は開けておく。ウオモイの諸君、悪くない条件を出す用意はある。ただし、砲を向けたまま交渉席には着けない。置いて来たまえ。置いて来れば、席と椅子と、温かい飲み物くらいは用意しよう』
温かい飲み物、という言い方にひろしは少し引っかかった。優しい言葉のはずなのに、この男が言うと値札の匂いがした。席も、椅子も、飲み物も、砲を置いた者にだけ用意される。
応答映像の末尾に各勢力の反応が並んだ。エリートコロニーは「青星支援」の四文字。月はうんざりするほど長い中立声明で、待機室の隅の売店から「それ、商機の二文字で伝わりますよ!」とおばさんの声がした。機械国は、いつもどおりの遠隔映像で会議卓の代表が『当国は契約に基づき青星の防衛産業への供給を継続する』とだけ述べ、画面の下に『機械国代表は例年どおり遠隔での出席』とテロップが出る。誰も気に留めない文字だった。ひろしも、そうだった。
映像が終わる。待機室はしばらく静かだった。
やがて一人が「……感じ悪いな」と言い、別の一人が「でも喧嘩売ったのはこっちだしな」と言い、その二つの間でみんなの表情が半々に揺れた。ひろしも、どちらの側にも行けない。
将軍は魔法が好きだと言った。あの男は青星が第一だと言った。それなのに、どちらの画面にも迷っている人間は一人も映っていない。
迷いは映さない。あの壮行会の映像で威勢よく叫んでいたひろし。暗い格納庫で辞退届にペン先を当てていたひろしの迷いはどこにも映っていない。映っていないひろしが、いま、映っているひろしに戦意高揚のラベルを貼られている。自分に、違う自分の顔を貼られた。
顔を貼られる、というのは、こういうことか。迷った自分のほうはどこにも映らない。
「搭乗案内。〈グランドリーム〉配属員は第七ゲートへ」
放送が流れた。ひろしとヒロミは荷物を持って立ち上がった。
ゲートの窓の外で、あの長すぎる砲を持つ艦が着艦誘導灯を点滅させている。あの砲が火を噴く先には青星がある。青星第一、と言った恰幅のいい男と、名前も顔もまだ知らない誰かたちが。撃つ相手にも、映されていない顔がある。




