第12話 辞退期限は明朝八時
前線試験課程は講堂ではなく、格納庫で行われた。
演台の代わりにドリーマーが一機、背景として立たされていた。広報の趣味だと思う。集められた候補生は三十四人だった。四十人で始まった課程は四日目の回転ゴンドラ事故で三人が離脱し、その夜に二人が辞退の紙を出し、先の模擬戦でもう一人が離脱して、この人数になっていた。事故で四人──ゴンドラの三人と、模擬戦の一人。辞退で二人。
照明が落ち、正面の大画面に艦の映像が映った。大きい艦だった。大きいというより、長い。長いというより、砲だった。艦体の半分が砲でできている、冗談みたいなシルエット。
『諸君が加わる第一次亀裂方面派遣艦隊、その旗艦〈グランドリーム〉である』
録画の音声が朗々と言った。候補生たちがどよめく。かっこいいという意味のどよめきだ。ひろしも半分そう思った。もう半分で、引っかかった。
──亀裂、方面?
『本作戦の目的は、亀裂宙域の奪還、および恒久確保である』
どよめきが種類を変えた。隣の候補生が笑いかけた口の形のまま黙った。
『諸君も知るとおり、亀裂は現在、青星の管理下にある。よって本作戦の開始をもって、ウオモイ群は青星に対し、正式に開戦する。宣戦布告の日時は追って──』
映像が続く間ひろしは「調査航海」という言葉を探していた。募集ののぼりの近くに書いてあった気がする。パンフレットにあった気がする。受付の下士官が言った気がする。どこで聞いたのかは思い出せないのに、その言葉で全部を理解した気になっていたのは確かだった。
調査じゃない。取りに行くのだ。向こうが管理しているものを。戦争をして。あの青くて、下に町が沈んでいる星の上で。
映像が終わり、照明が点いた。壇の脇にシゴキ軍曹が立つ。録画ではない、生身の声で言った。
「以上が作戦の概要だ。ここからは本官の権限で話す」
軍曹は候補生を端から端まで見渡した。
「辞退期限は明朝八時。書式は一枚、理由欄はない。書かせない。辞退した者の名を、本官は誰にも渡さん。経歴にも残らんよう、本官が処理する」
「……教官」誰かが手を挙げた。「辞退したら、除隊ですか」
「基地勤務か、輸送か、整備か、道はある。恥はない。──いいか、諸君。諸君が軍に入ったことは、承知の上だろう。この群は、昔から軍を持ち、いつでも戦える顔をしてきた。だが、諸君が志願したとき、あの紙に書いてあった任務は『調査』だ。今日聞いたのは、青星に正式に喧嘩を売る、本物の『戦争』だ。軍務と戦争は別物だ。別の商品には、別の判子がいる。それだけの話だ。──ついでに言っておくが、今日の集まりには『前線試験課程』という名前が付いている。試験というわりに本官が預かっているのは前線への辞退届と参加届だけで試験用紙は一枚もない。賢明な諸君であれば意味はわかるであろう」
軍曹は「以上」と言っていつもより長く敬礼した。
*
消灯後の談話室は満員だった。誰も部屋に戻らなかった。戻って一人になるのが嫌なのだ。
ひろしは窓際の席で学校で書いた進路希望票と同じくらい白い辞退届を机に置いて眺めていた。
その辞退届の上にふいに影が差した。オリルだ。手ぶらだった。
「決めたよ、主人公。俺は帰る。紙は、明日の朝出す」
「……今出さないのか」
「海でな、船を出すか出さんかは、当日の朝に決める、と言っただろ。決めるのはもう済んだ。だが、出すのは朝だ。手続きにも潮時ってのがある」オリルは見えない縄を手繰るように指を動かした。「今夜のうちに出しちまうと、なんだか夜逃げみたいでな。俺は、朝の光の下で、正面から網を上げて帰りたい」
「……漁協の入札、秋だって言ってたな」
「秋だ。今から帰れば、間に合う。いい魚を回してやるよ、軍にな」オリルは笑った。訓練に来て二度目の、海の男の笑い方だった。「おまえは、まだ前の晩の途中だな。顔が、漁の初日だ」
「その顔、二回言われた」
「同じ顔してるからだ」
オリルは去り際にひろしの肩を一度だけ叩いた。網の出来を確かめるみたいな、静かな叩き方だった。
入れ替わりにヒロミが向かいに座った。ヒロミも手ぶらだ。
「私、行くよ。もう届け出してきた。参加の方の」
「……早くないか。期限、明日の八時」
「うん。でも、迷ってなかったから」
「ヒロミは、怖くないのか。戦争」
「怖いよ」即答だった。「怖いけど、行かない理由と行きたい理由を並べたら、行きたい方が私の気持ちだった。行かない方は、だいたい借り物だったの。誰かがこう言うだろうなあ、とか」
ヒロミはそこでちょっと笑った。
「ひろちゃんは、ゆっくり決めて。八時まで、まだ時間があるし、使いきってから出せばいいよ」
そして本当に行ってしまった。ひろしは一人で、白い紙と残された。
*
夜中の二時、ひろしは当直兵を一人連れて格納庫へ入った。付帯事項を読んだ当直兵が「一人で行かせられない規則なので」と付いてきたのだ。兵は入口から動かない。単独行動ではない、自由でもなかった。
ドリーマーの足元に座って見上げた。継ぎ接ぎの巨人は暗がりの中でうつむいて眠っている。感情が乗りすぎると踊るあの機体だ。機械に好かれる方じゃなく機械が困る方。年寄りの言葉のとおりだった。
「なあ。おまえ、戦争って知ってるか。……こわいんだ、俺は」
機体は答えなかった。黙ったままの相手にひろしはぽつぽつと話した。夢見る機体という名前の話。魔法の話。ヤミノの四秒の話。青い星の白い線の話。オリルのきれいな手つきの話。「観」の一文字や「収容」の二文字の話もした。答えは一つも返ってこない。
それでも、話しているうちに手が動いていた。
膝の上に、白い辞退届。署名欄にペンの先を当てていた。この紙に自分の名前を書けば、あの青い星の下に町が沈んでいるのを、確かめに行かずに済む。負傷や危険を知らずに済む。「収容」の意味も、たぶん、知らずに済む。済むことばかりだった。済むことばかりの人生を、十八年、向こうから渡されてきた。うまく亀裂が取り戻されたら、魔法も渡されるかもしれない。
この白い紙も、向こうから渡された一枚だ。名前を書けば、また一つ済む。理由の欄さえ、書かなくて済むように刷ってある。──済ませない。沈んでいる町は確かめに行く。負傷や危険は助けに行く。「収容」の二文字も確かめる。
ペンを、辞退届から浮かせた。
「主人公」、「軍隊向き」、誰かに勝手に貼られたラベル、悪くはない。「出鱈目」、ヤミノは俺に価値もつけてくれた。ばあちゃんが言ってた、「英雄は何もないところから突然産まれる」、欠片は集まってきている気がした。それを掴むかどうかは、俺がやる。英雄になろう、なってやろうじゃないか英雄に。
朝七時五十分。格納庫の受付の前にひろしとオリルが前後に並んでいた。
オリルは先に辞退の箱へ白い一枚を入れた。朝の光の下で、正面から。それから振り返ってひろしに片手を上げた。「秋の魚、楽しみにしとけ」。それだけ言って荷物を担いで、格納庫を出ていった。背中は、荷物しか背負っていなかった。
ひろしは白紙のままの辞退届を返却箱へ入れ、隣の箱に参加届を入れた。
受付のシゴキ軍曹は名簿に印を付けながら一言だけ告げる。
「八時十分前。迷うこともいい判断だ」
名簿は四十行あった。事故離脱が四行──ゴンドラの三人と、ヤミノ。辞退が三行──四日目の夜に出た二人と、いま朝の光で出したオリル。残る三十三行にはまばらに参加の印がついていた。軍曹の言ったとおり名簿には理由を書く欄はなかった。
試験の紙は、どの箱にもないまま──
これから、戦争が始まる。




