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なにになろう? ―「もしも魔法が使えたら」の未来―  作者: コペルニクス2号


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第11話 四秒のあと

 事故の翌朝、医務室のヤミノは上体を起こすことを許されていた。


 右腕は固定具の中だった。右脚も。本人いわく「右半身が、返事をしない」。左手だけは動くので、見舞いに来たひろしの顔を見るなり指ぬき手袋の親指を立てた。昨日と同じ仕草。担架の上のときより、ずっと弱かった。


「相棒。……来たか」


「ああ。星の巡りがそう告げてたか?」


「面会名簿だ」


 軽口の在庫が互いに一往復分しかなかった。


 落ち着いたヤミノが最初に要求したのは、鎮痛剤の追加ではなく、自分の機体のログだった。座学で管制ログの誤記を三件見つけた実績が基地の医務班にも知れ渡っている。担当の衛生兵は周囲を確認して携帯端末を差し出す。ひろしが来たのはちょうどその後だった。


 ヤミノはその端末を左手だけで操作してひろしに見せた。


「……相棒。ここを見ろ」


 画面には事故の三十秒間の警告表示が時刻付きで並んでいた。『内部循環補助』。『速成ACM補正』。『ペア安全切替』。


「この三つ、貴様の機体に出た表示だ。順番がおかしい。安全切替は本来最初に出る。それが最後に出て──ここだ。切替先だけが我の機体へ移って、表示が消える。その四秒後に、我の制御系が死んでいる」


「四秒」


「表示消失から制御喪失まで、四秒だ。偶然なら、ゼロ秒か、でなければバラバラになる。四秒は──たぶん、何かが『判断』に使う長さだ。……たぶんな。断定はしない。一件のログで断定する奴は、二流だ」


 ログはそこから先を語らない。語る前に扉が開いた。


 白い作業服の一団だった。胸に技術研究部門の徽章。先頭の技官は挨拶より先に寝台へ歩き、ヤミノの手から携帯端末を抜き取った。


「本件は調査対象です。関連ログは全て隔離します」


「読んでいたのは当事者ですが」ひろしは思わず言った。


「当事者だからです」白服技官は初めてひろしを見た。少し長く。「回復に専念してください。調査は、こちらで正しく行います」


 正しく、の発音だけ妙に滑らかだった。技官たちが抱えていったのは端末と、医務室の記録装置と、ついでに十七番機の整備記録の綴り。所要五分。扉が閉まる直前、先頭の技官が振り返って手元の端末に何かを打ち込んだ。視線の先にいたのはヤミノではなかった。


「……なんで俺を見た?」


「貴様、昨日、命令無視で同調率九十超えを出したからな」ヤミノは天井を見たまま言った。「機体にごめんなどと話すやつは、目立つ」


 その記録が隔離された先のことをヤミノは知らない。ただ、この夜、別の建物で紙が二枚書かれていた。一枚は、事故の原因を書き、そこで原因の行を全部消して「瑕疵は認められない」の一行だけを残した、技官の紙。もう一枚は、候補生十六番の「気付いてから機体が応えるまで、四秒」を三度計算し直した紙。二枚は重ねられて機密の箱へ入った。箱の背の通し番号は〇四七。ただの整理番号だ。まだ、誰の目印でもない。箱の中では、十二日前の姿勢制御の異常報告の控えが先に眠っている。承認列の画面のほうは、まだ四番目のままだ。二枚の書き手は、互いを知らない。


 *


 翌日、シゴキ軍曹が医務室に現れた。


 見舞いの果物カゴを椅子に置き、扉を確認して懐から折り畳んだ紙を一枚出す。手書きだった。数字の列と機体の姿勢を示す略図が几帳面な字でびっしり並んでいる。


 軍曹の側から見ればこれは規則違反の見舞いだ。当直の夜、管制の記録卓の前を通りかかり、そのまま消える前の記録を手で写した。何を守ろうとしているのか、自分でもうまく言えないまま手だけが動いた。四日目に停止を上申した、あの時と同じ動き方だ。


「ホムラ候補生。事故の夜、本官は当直だった。管制の記録卓の前を、たまたま、二時間ほど通りかかった」


「二時間、たまたま」


「たまたまだ」軍曹は紙をヤミノの禁忌録の上に置いた。「十七番機の機動解析だ。素人の写しだ、理解も及ばぬし正式な証拠にもならん。だが、正式な記録がどこかへ行ったとき、写しはないよりある方がいい」


 ヤミノは左手で紙を開いた。四秒の列も写してあった。


「教官。これは……」


「本官は何も見ていないし、何も書いていない。果物を届けに来ただけだ」軍曹は立ち上がり、いつもの怒鳴り声の十分の一の声で付け加えた。「──三週間で仕上げろと言われたとき、本官は諸君の誰かがこうなる日のことを、毎晩恐れていた。恐れていただけだった。すまん」


 謝罪は命令口調のどの言葉より重く落ちる。軍曹は「頼むから、治せ」と言い残して出ていった。写しは禁忌録の間に挟まれた。


 *


 事故から三日目。調査結果が通知された。読み上げる役はシゴキ軍曹。紙は一枚で、結論は三行だった。


『一、訓練機材および速成課程特別設定に、瑕疵は認められない。

 二、ひろし・ただの候補生の命令違反について、処分は行わない。

 三、救助判断および軍務適性を勘案し、同候補生は前線試験課程へ進む』


 紙を机に置いて軍曹はしばらく黙っていた。読み上げた自分の声がまだ耳に残っていた。瑕疵は認められない。処分は行わない。前線試験へ進ませる。三行とも、誰かを守るためではなく、何かを止めないために書かれた文章だった。


「機体は悪くなくて、俺も悪くないなら、ヤミノは何で怪我したんですか?」と、目の前の候補生が聞いた。


 軍曹は答えられなかった。答えの代わりに通知書の裏をめくって見せた。裏には付帯事項が二つ、小さい字で並んでいる。


『付帯一、同候補生は全行動ログを常時提出すること。

 付帯二、同候補生の単独行動を禁止する』


 その下に軍の人事票へ転記する用の登録印が一つ。『軍・観測対象登録済(解除規定なし)』。


 軍曹は長く軍にいるが、この印を初めて見た。処分はなし、行き先は前線、ただし軍はこの候補生をずっと見ている。罰する理由もなく、手放す気もない、ということらしい。


 候補生のほうは印の墨の色に、あの「観」の腕章を思い出している顔をした。だが、別物だ。腕章には三か月の期限があった。この登録には解除規定の欄がそもそもない。同じ「観」の字で、外れる日のない印だった。


 *


 夕方の面会時間にその候補生──ひろしがヤミノの医務室へ来た。


 ヤミノは来る前から相棒の顔を予想している。予想は当たっていた。医官の見立てをヤミノはもう自分で聞いている。あのとき、右側の安全固定具は接触より前に異常作動していて、負傷はそれと内部循環の乱れが重なったもの。相棒の機体との接触が原因ではなく、あのまま隔壁へ当たっていれば命はなかった──はっきりしている。そのうえで機体に乗れる体に戻るには長くかかる。長くかかった後も前と同じには、たぶん……。医官のその「たぶん……」をヤミノは行間ごと読んでいた。読める男に、慰めは効かない。


「相棒。その顔をやめろ」ヤミノは開口一番に言った。「我の代わりに墜ちればよかった、という顔だ。愚かな顔だ。貴様が来なければ我は死んでいた。以上だ。以上の外は、ない」


 相棒は丸椅子に座り、少し迷ってから聴取室の話をした。白服の三台の端末。救助のとき、認知から同調までが速すぎる、と何度も同じことを聞かれた。


「──変なことなのか、それ」


「変どころではない。だが、混同するな」ヤミノは左手の指を三本立てた。「あの日、四秒が三回あった。一つ、貴様が我の異変に気付いてから、機体と同調しきるまで。これが四秒。教本の十数秒を、貴様は四秒でやった。──これが貴様の話だ。二つ、我の機体の表示が消えてから、制御が死ぬまで。これも四秒。たぶん機械が何かを『判断』した長さだ。──これは我の機体を殺した側の話だ。三つ、貴様が我に組み付いてから、二機が止まるまで。これは計器の数字で、四・〇秒。ただの慣性で、おそらく偶然だ。──同じ四という数字が、別の三つの出来事に付いた。並べて一つの謎にするな。数えるときは、いつも、どの四秒かを言え」


 ヤミノの左手が枕の下から折り畳んだ紙を引き出した。シゴキの写しだ。読んだあと禁忌録から移してある。「軍曹どのとの話で、我も考えた。考えて、決めかねていた。だが貴様の顔を見て決まった」


 左手が禁忌録の新しい頁を開いた。いつもの飾り文字ではない。左手ながら定規で引いたみたいなまっすぐな字だった。書きながらヤミノはつづける。


「我は後方に回る。機体診断と戦術分析の課程の願書は書いた。あとは出すだけだ。この身が乗れんのなら、乗る奴の生還率を、我が上げる。次に誰かの機体が、二つ目の四秒で何かを勝手に決めたとき、その四秒のうちに気付くやつが一人はいるべきだ、そう、言うなれば……」


 いつもの癖で大仰な二つ名が喉まで来て、止めた。


「……名は、まだいい。今つけると、たぶん、怒りのぶんだけ大きくなる。悔しさが抜けてから、素面でつける。悔しいか、と問われれば」


 少し間があった。


「悔しい、が。それはそれとして、だ」


 それはそれとして。ひろしは上着のいちばん浅いポケット──期限切れの温泉旅行券が入っている、あのポケットのあたりを一度押さえた。その八文字をしまう場所を決めたようだった。


「前線試験、行くんだろう。相棒」


「……まだ、決めてない」


「決めろ。ただし」ヤミノは禁忌録を一枚破り、左手のまっすぐな字で何かを書いて寄越した。「決める前に、これを読め」


 紙にはこうあった。


『貴様は出鱈目だ──一つ目の四秒──貴様の同調速度には価値がある』


 相棒は紙を受け取り、二度読んで丁寧に畳んだ。畳む手が一度止まった。速いということだけ分かって、なぜ速いのかは白服も通知書も、裏の登録印も、誰も教えてくれない。そのまま、破られた禁忌録の一枚を財布より大事そうにしまい込んだ。


 窓の外で演習区画の照明が落ちた。倒された標的ブイはまだ回収されていなかった。


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