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境界線 ―1999、世界は十三分止まった―  作者: 夕花
第三部『???』

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25/31

- Introduction III - 同じ朝

数日後。


青年は、朝の通勤電車に揺られていた。


決まった時間に家を出て、混雑する車内で吊革につかまり、乗り換えを一度挟んで会社へ向かう。


休暇を取る前と同じ朝だった。


窓に映る乗客の顔にも、流れていく街並みにも、世界が十三分間停止した痕跡は残っていない。


調査局で《対象間接続 継続》と表示された異常も、この朝には何の兆候も見せていなかった。


少なくとも、そう見えた。


青年はポケットの上から携帯端末へ触れた。


神崎からの連絡は、まだ来ていない。


佐伯との面会には、本人の同意だけでなく、過去の記録との照合や現在の身元確認が必要だった。調査局から関係機関への確認も行われており、すぐに会えるわけではないと説明されている。


待つしかなかった。


電車が駅へ到着する。


開いた扉から人が降り、その流れと入れ替わるように新しい乗客が乗り込んできた。


青年は、扉の上にある表示へ目を向けた。


次の駅名が表示されている。


見慣れた文字だった。


表示が切り替わる。


一瞬だけ、同じ駅名が二つ並んだ。


青年は顔を上げた。


左右に分かれた案内欄の両方に、次の駅が表示されている。


路線案内と乗り換え情報が重なっただけにも見えた。画面はすぐに通常の表示へ戻り、周囲の乗客は誰も反応していない。


青年はしばらく表示を見ていた。


もう一度切り替わった画面に、異常はなかった。


会社へ戻ってからも、同じだった。


休暇中に滞っていた連絡を確認し、引き継がれていた仕事の状況を聞き、予定されていた業務へ戻る。


机も、端末も、休暇前のまま残されていた。


青年が不在のあいだに処理されたものには必要な記録が付けられ、残された案件も整理されている。急いで修正しなければならない問題はなかった。


「思ったより早かったな」


隣の席の同僚が、画面を見たまま言った。


「もう少しかかると思ってた」


「一度、戻れることになったんです」


「そうか」


理由を尋ねられることはなかった。


青年が休暇中にどこへ行き、何をしていたのか。同僚は知らない。


体調や身内の事情だと思われているのかもしれない。それでも、詳しい説明を求める者はいなかった。


昼食へ向かう時間を聞かれ、休暇中に変更された作業の手順を教えられ、戻ってきた仕事を以前と同じように割り振られる。


その距離が、青年にはありがたかった。


一定の評価を受ける大学を卒業し、安定した会社へ入った。特別な成功ではない。大きな失敗もなく、求められた仕事を覚え、少しずつ任される範囲を増やしてきた。


残業もあり、予定どおりに帰れない日も珍しくない。それでも、自分が行った仕事が誰かの判断や次の作業につながっていくことには、確かなやりがいを感じていた。


以前なら、机に向かえば目の前の仕事へ意識を切り替えられた。


今は、一つの作業を終えるたび、別のことを考えている。


佐伯真紀。


二十七年前、別の世界から帰還した女性。


別世界に残った青年。


所在を確認できない五名。


そして、調査局で確認された文字列。


《対象間接続 継続》


《接続先 照合中》


資料を確認していた青年は、入力の手を止めた。


画面に並ぶ数字の一つが、直前に見たものと違っている。


元の資料へ目を戻す。


数字は一致していた。


入力した内容にも誤りはない。


青年は一度画面を閉じ、同じファイルを開き直した。


先ほどまで違って見えた数字は、正しい値へ戻っている。


変更履歴を確認する。


記録はない。


自動保存の時刻にも、不自然な点はなかった。


疲れているだけかもしれなかった。


数字を読み違えた。


そう考えれば、それで終わる程度のことだった。


青年は確認を続けた。


同じ箇所を見直しても、もう変化は起きない。


調査局から渡されている機器にも反応はなかった。


机の脇に置かれた小型の観測機器は、周囲の時間と位置情報を記録し続けている。異常を示す表示はなく、保存された数値も一定の範囲に収まっていた。


青年が見たものだけが、どこにも残っていない。


午後の会議でも、似たことが起きた。


前方の画面へ資料が映し出される。


説明が進み、ページが切り替わる。


その瞬間、青年には一つ前のページがまだ残っているように見えた。


新しい文字の下に、消えたはずの表が薄く重なっている。


二つのページが同じ位置に存在していた。


瞬きをする。


重なりは消えた。


会議は止まらない。


説明をしている者も、資料を見ている者も、何も気づいていなかった。


青年は手元の端末を確認した。


表示されているのは、現在のページだけだった。


会議室を出たあと、観測機器の記録を開いた。


観測機器が記録していたのは、異常のない時刻と座標だけだった。


調査局で起きていた現象とは違う。


《23:31》は表示されない。


白い線も現れない。


存在しない場所へ導かれることもなかった。


日常の中で、一瞬だけ何かが重なる。


そして、青年が確かめようとする前に、最初から何もなかった状態へ戻っている。


仕事を終えたとき、外はすでに暗くなっていた。


周囲には、まだ何人か残っている。


青年は最後に保存した資料を確認し、端末を閉じた。


作業そのものは終わっている。


期限にも遅れていない。


だが、以前より時間がかかっていた。


何度も同じ数字を見直し、表示が変わっていないことを確かめなければ、次へ進めなくなっている。


「今日は帰るのか」


同僚に声をかけられ、青年は時計を見た。


「はい。続きは明日にします」


「それがいい。休み明けから飛ばしても仕方ないだろ」


普段と変わらない言葉だった。


青年も、普段と同じように返した。


会社を出る。


夜の街には人の流れが続いていた。


信号が変わり、車が進み、店の明かりが歩道を照らしている。


青年は交差点の手前で足を止めた。


向かい側の歩道に、信号が変わるのを待つ人々が並んでいる。


その列が、一瞬だけ二つに見えた。


同じ場所に、わずかに位置のずれた人影が重なっている。


信号が青へ変わる。


人々が一斉に歩き始めたとき、重なりは消えていた。


異常が起きたという証拠はない。


自分が異常を見つけているのか。


それとも、自分の認識だけが、別の何かに触れているのか。


答えを考えようとするほど、二つの違いが分からなくなった。


ポケットの中で、携帯端末が振動した。


青年は交差点を渡りきったところで画面を確認した。


神崎からだった。


周囲の音が、わずかに遠ざかったように感じられる。


青年は連絡を開いた。


手続きと本人確認が完了したこと。


佐伯本人へ、これまでに確認された事実と接触に伴う危険性を説明したこと。


そのうえで、面会への同意が得られたことが記されていた。


最後に、日時と場所を調整するための短い文が続いている。


青年は画面を閉じなかった。


行き交う人々の間で、佐伯の名前だけがそこに残っている。


数日間、日常へ戻ろうとしても頭から離れなかった人物。


記録を通してしか知らなかった女性が、青年と会うことを選んだ。


佐伯真紀との面会が決まった。


2027/07/29 解析端末仕様整理に伴う修正

2027/07/27 解析端末仕様整理に伴う修正

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