- Interlude - 約束
白い線は、通路の奥へ続いていた。
青年が接続地点を離れると、足元に固定されていた六つ目の点も動き始める。
佐伯は記録媒体を持ったまま、そのあとに続いた。
画面には、三つの記録が残されている。
《変更要求者 佐伯真紀》
《移行対象 佐伯真紀》
《整合対象 佐伯真紀》
その下には、照合を終えたことを示す表示があった。
《整合条件 成立》
帰還に必要な条件は、すでに揃っていた。
最終確認を終えれば、処理は実行へ進む。
佐伯は元の世界へ戻る。
その先に何が起きるのかは、表示されていなかった。
ただ、すべてが今のまま残るわけではない。
青年には、そう思えてならなかった。
根拠はない。
それでも、ここで処理を進めれば、何かが失われてしまうような感覚があった。
二人で歩いたこの通路も、交わした言葉も、今とは違うものになってしまう。
そう考えたわけではない。
ただ、まだそこにあるはずのものが、触れる前から少しずつ遠ざかっていくように思えた。
通路の先で、白い線が曲がった。
壁しかない場所へ入り、その向こうへ続いている。
青年が近づくと、表面に細い継ぎ目が現れた。
記録媒体の構造図にも、同じ位置に新しい区画が加わる。
「ここです」
佐伯が足を止めた。
壁の前には、二つの円が並んでいた。
一方は佐伯の位置と重なり、もう一方には六つ目の点が表示されている。
青年が自分の位置へ立つ。
白い線が二つの円を結び、壁の奥から低い駆動音が返ってきた。
《最終確認地点を照合》
《接続維持対象を確認》
六つ目の点が固定される。
続いて、佐伯の個体記録が画面の中央へ移動した。
《変更要求者 佐伯真紀》
《移行対象 佐伯真紀》
《整合対象 佐伯真紀》
表示は変わらない。
佐伯が選んだ結果が、もう一度確認されている。
「ここから先へ進めば、もう取り消せないかもしれません」
青年は画面を見たまま言った。
何が起きるのか、すべて分かったわけではない。
佐伯が元の世界へ戻ったあと、この場所に何が残るのか。
自分たちが交わした言葉まで、今と同じ形で残っているのか。
予測表示にも、その結果までは示されていなかった。
「分かっています」
佐伯はそう答えた。
声に迷いはなかった。
それでも、その指は記録媒体の縁に触れたまま動かなかった。
画面の端では、元世界に残された欠損領域が明滅している。
その近くに、五つの点が残っていた。
佐伯が帰還を選んだ理由は変わっていない。
青年にも、それを否定する理由はなかった。
帰ると決めたのは佐伯だ。
その先に何があるのか分からないまま、それでも進むと決めたのも佐伯だった。
青年は、その選択を変えようとは思わなかった。
ただ、一つだけ、途中で変わらなかったものがある。
佐伯を元の世界へ返す。
理由を説明できない不安を覚えたあとも、その意思だけは変わらなかった。
記録媒体の駆動音が途切れた。
進行線が止まる。
《実行確認 保留》
佐伯が画面へ触れる。
反応はない。
代わりに、三つの記録を囲んでいた線が消えた。
《変更要求を確認》
青年は表示を見つめた。
「もう成立していたはずです」
「成立しています」
佐伯も画面を確認する。
《整合条件 成立》の表示は消えていない。
それでも、新たな照合が始まっていた。
《要求内容を照合》
三つの記録が順に明滅する。
変更要求者。
移行対象。
整合対象。
いずれも佐伯真紀で一致している。
その外側で、青年を示す六つ目の点が反応した。
青年は何も操作していない。
佐伯の手も、すでに画面から離れていた。
《変更要求を確認》
同じ表示が繰り返される。
青年は佐伯を見た。
佐伯は帰ることを選んでいる。
その先に何が起きるのか分からないことも承知している。
青年も、その決定を認めている。
二人の意思に、食い違いはない。
それでも処理は、まだ何かを確認しようとしていた。
青年の足元で、白い線が強くなる。
六つ目の点から伸びた線が、佐伯の個体記録へ重なった。
《要求内容 帰還対象の維持》
佐伯が顔を上げた。
「あなたの要求ですか」
青年には答えられなかった。
新しい条件を求めたつもりはない。
整合対象を変えようとも考えていない。
佐伯が選んだ結果を、覆そうとしたわけでもなかった。
ただ、佐伯を帰す。
その意思を変えなかっただけだった。
画面上で、三つの記録が一つの枠へまとめられる。
《変更要求として受理》
《整合対象 再照合》
進行線が最初の位置へ戻った。
佐伯真紀と表示されていた整合対象の欄が明滅する。
その下に、六つ目の点から伸びた白い線が残った。
佐伯を元の世界へ返す。
その意思だけは、変わらなかった。




