疲れた体
「我、この経験を糧とし、力を得ん。また、汝、闘気を糧とし、力を得ん」
自分の体と手に持つ鉈。
その両方に効果が出るように祝詞を唱えて、鉈を振る。
目に集中した闘気で竹の経絡を観察し、弱点となっているであろう場所を確認する。
その後、全身の筋肉の動きとそれに連動した体内の気の流れにも細心の注意を払いながら竹を伐る。
一度成功した感覚は、確かに俺の中に残っていた。
竹を鉈の一撃にて伐り倒し続ける。
今の俺は、最高の一撃を放てている。
けれど、ここが終着点というわけではない。
今の俺は確かにワンアクションで竹を伐ることはできている。
だが、まだ完成には程遠い。
たとえば、この最高の一撃を出すための一連の流れをもっとスムーズに行うこと。
現段階では、しっかりとした竹の観察や筋肉と気の連動、あるいは立ち位置や鉈を当てる角度などをその都度確かめながら行っている。
つまり、一度の振りに対してかける時間はそれなりにあるわけだ。
この一連の流れをさらに洗練させたい。
できれば、無意識の動作だけで、当たり前のようにこの最高の一撃を繰り出せるようになりたい。
そんな想いが湧いてきた。
しかし、それは決して毎回同じ動作を繰り返す、というわけではない。
なぜなら、竹はその一本一本で違うからだ。
その竹ごとの弱点を狙う以上、毎回狙いをつける場所は異なっており、たとえば地面から低いところを狙うこともあったり、高いところのこともある。
また、竹林の中での立ち位置で右から狙う必要があったり、その逆側からでしか鉈が振れない場所もある。
ようするに、その伐るべき竹によって条件が異なるというわけだ。
そんな違いがあっても、一番良い結果が導き出せるように、しかもそれを無意識で行うことを目指す。
そのためには、ひたすら竹を伐るしかないだろう。
イメージトレーニングや素振りだけでは駄目で、実践あるのみだ。
「ふっ、ふう、ふぅ」
何度も何度も繰り返す。
だが、そこで立ちはだかるのが俺自身の肉体だった。
内気功を用いることで、おそらくだが同年齢の子どもよりは体は強くなっていると思う。
だけど、結局は子どもの肉体だ。
木こりたちの斧より軽いとはいえ、金属製の鉈を持ち、それを振り続ける筋力と体力が足りない。
別に疲れたら休めばいい。
そう思うが、俺は立ったまま呼吸を整えるくらいの小休憩は入れつつも、座り込んだりする休憩もなしに竹を伐り続けた。
今後の肉体の強化も必須だと感じながら、体を使い続ける。
これは、疲れた時こそ鍛錬になるのではないかと思ったからだ。
人間の体は普段何の気なしに動かしていると、自分では気が付かない癖などがあり、無駄な動きをしている。
それは、元気な時には気が付かないものだ。
けれど、今の俺のように体力や筋力の限界まで酷使した状態の体であれば、そんな普段は気が付かない無駄な動作もはっきりと浮き彫りになる。
そして、そんな状態では、少しでも体が無理なく動かせるように俺の脳が勝手に動きを最適化してくれる。
疲れ切った体でも最高の一撃を出すために、俺の頭を絞って考えた一連の動作よりも、体が勝手に導き出した無駄のない動きのほうが勝っているなんてことは、普通にある話だ。
だからこそ、その無駄のない動きを手に入れるために、疲れ切った今こそ休まずに動き続ける。
自分の体にその動きを覚え込ませるために。
あるいは、どんな位置にどんな角度で鉈を振ろうとも、体が無意識に正解の動作を導き出せるように。
経験を糧にして力を得るために、竹を伐り続ける。
これは、魔物の出る心配もない村の中にある竹林の管理を任されたからこそできる話だ。
この仕事を振ってくれたギルマスには感謝しかない。
俺はいかつい木こりのおっさんに心の中でお礼を言いながら、一心不乱に鉈を振り続けていた。
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