手ごたえ
「我、この経験を糧とし、力を得ん」
祝詞を唱えて鉈を構える。
先ほど切れ目を入れた竹に対して意識を集中させ、次の一撃もその切れ目へと向けるべく足の位置を調整する。
今度は少し重心を下げて、鉈を振る。
切れ目をさらに延長するように俺の鉈は竹へと食い込んだ。
「我、この経験を糧とし、力を得ん」
再び祝詞を唱える。
さらに鉈を構えた。
今度は体に対して左側に鉈を持つ。
右から左へと鉈を振るうのではなく、その反対の左からの横振りを行うためにフォームを整える。
これは、薪割りの時にもしていたことだ。
いつも同じフォームにすると、どうしても利き手である右ばかりを使うことになる。
だが、それだと体の使い方が偏ってしまうことになるので、意識して反対側も使うようにしていた。
なるべく両方の手を自由自在に使いたいと考えてのことだ。
先ほどの二撃で大きく竹に切れ目を入れていたその反対側から新たに切れ目を入れることで、より竹を伐る時間を短縮できないかという思いもある。
右手を主体にした横振りの時とは正反対になるように構えて鉈を振る。
狙い通りに竹に鉈が当たる。
いや、ちょっと角度が甘かったかもしれない。
それでも、竹の自重でしばらくするとメキメキという音をたてながら、竹が倒れた。
竹を伐り倒すのに必要だったのは、鉈での三回の横振りだった。
やはり、ノコギリを使った時よりは効率がよさそうだ。
だが、もっとうまく伐れるんじゃないか。
そんな気もする。
「我、この経験を糧とし、力を得ん」
さらに祝詞を重ねて鉈を振る。
一回鉈を振るたびに祝詞を唱え、その経験を体に刻み込んでいく。
もちろん、ただ祝詞の力に頼るのではなく、漫然と繰り返すのでもなく、頭で考えながら鉈を使う。
鉈を持つ場所。
手の握り方。
左右の手の置き場と高さ。
鉈を振る速度。
竹に当てる角度。
腰の振りや重心移動。
体幹を捻る角度。
左右の足の開き具合。
つま先や膝の向き。
竹と足の距離。
いろんなことを考えながらも、余計な雑念は捨てて鉈を振る。
理想は竹を一撃で伐ることだ。
普通ならばそんなことはできないかもしれない。
が、この世界には魔法や魔術なんかがあるんだ。
俺はそれらの力が使えないけれど、その代わりに闘気法を使うことができる。
鉈の振り方だけではなく、闘気の扱いも意識する。
内気功でより体の中の気の巡りを活性化させる。
体内の気の密度を上げる。
気の巡る速さを速める。
外気功での鉈への気の注入も強めていく。
闘気によって切れ味を上げ、また刃の耐久力も底上げできるように丁寧に気を送る。
まだだ。
まだもっとできるはずだ。
ひたすら繰り返される竹を伐るという行為。
だんだんとその動きがよくなり、二撃で竹を伐ることもできるようになってきた。
けれど、一撃には足りない。
何が足りないのか。
力だ。
圧倒的に力が足りない。
おそらくだが、俺にもっと力があればここにある竹は一撃で伐り倒すことができると思う。
だけど、今すぐに俺の力を倍増させることは難しいだろう。
ならば、どうすればいい?
今、俺が持つ力を百二十パーセント発揮できたとして、その力で一撃で竹を伐るにはどうすればいいだろうか。
そう考えているときに振るった鉈の一撃は、これまでどおり一回の振りでは竹を伐ることはできなかった。
だが、手ごたえが違った。
さっきまでよりはほんの少し切れ込みが深くまで到達している。
なぜだろうか。
構えも振りも、それまでと大きく変わったつもりはない。
なのに、違いが生まれた。
気になって、その竹の切り口をよく見る。
「……もしかして、竹にも闘気がある、のか?」
なにかが見えたわけではない。
だが、その時になってふと思った。
今までの薪割りと今回の竹の伐採で決定的に違うこと。
それは、薪小屋に置かれていた丸太などは、すでに伐られている木材であること。
それに対して、俺が今伐っている竹は、地面に生えた状態の生きた木ということ。
であれば、もしかしてこの竹にも気が存在しているのかもしれない。
そして、その気は場所によって偏在しているのかもしれない。
つまり、同じ一本の竹でも、切れやすい場所と切れにくい場所があるのではないか。
ただの思い付きの仮定の話だ。
だけど、そうであれば可能性はある。
俺の今の力でも竹を一撃で伐り倒すことができるのではないか。
そう考えた俺は、内気功で目に闘気を集中させて竹を観察してみることにしたのだった。
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