5章-115.(グレン視点)現れた二つの異形、片鱗をみせる女神の槍(□)
黄昏が終わりを告げ、夜の帳が下りる。
雲の間から月明かりが差し込み、荒涼とした砦跡は物音ひとつなく、ひっそりとしていた。
風すら動かない、息の詰まるような静寂だ。
「さて、ここまで移動してきたけど……何か気配感じる?」
アルが砦に落ちる闇へ目を配りながら、私へと問いかけてくる。
不気味な静けさではあるが、以前の戦いの跡が生々しく残っている以外に、この砦に大きな変化はないようだ。
私は意識を研ぎ澄ませ、周囲の気配を探った。
「私は特に感じないな。エリオス、君はどうだ?」
「うーん……」
エリオスが金色の瞳をゆっくりと閉じ、次いで静かに開く。
何かを感じ取るように、じっと闇の中へ意識を向けているようだった。
「えっとね、あっちにひとつ。こっちにも。大きな魔力の塊がある」
その言葉に、私はアルと視線を交わす。
やはり、奴らは私たちの動きを待っていたのだ。
「さっそく来たわけか。思った通り……それとも、あっちの思い通りなのかは分からないけど」
「どちらにしろ、あちらの戦力を削れる良い機会だ。エリオス、アルと私の後ろにいてくれ」
「わかった!」
私が女神の槍を手に顕現させた瞬間。
地を揺るがすような重い気配とともに、二体の大きな影が夜空から舞い降りた。
一つは、長い緑の毛を夜風になびかせた、禍々しい緑の異形。
もうひとつは、岩肌のような質感を持つ、硬質な黄色の土人形。
どちらも、白と黒の鎖を幾重にも周囲に浮遊させ、じりじりとこちらを威圧するように揺らしていた。
「グレン、こっちの緑のは俺が受け持つよ。そっちの黄色いのは任せる。エリオスもサポートしてあげて」
「ああ。エリオス、無理のない程度に加勢してくれ」
「まかせて、パパ!」
アルの言葉に短く応じ、私は眼前の黄色の土人形へと切りかかった。
だが、昨日遭遇した赤黒い異形の時と同様に、周囲を浮遊する白い鎖の防壁によって、女神の槍の刃は無情にも弾き返されてしまう。
「……っく……」
今は私一人の力で、この不可思議な鎖の守りをどうにか突破しなければならない。
胸の内に生じる焦りを抑え込むように、大きく息を吐き出して意識を整える。
(この鎖を打ち砕くための、圧倒的な力が私にあれば……!)
愛するルナリアを運命から守り抜くためにも、ここで一歩も引くわけにはいかない。
その強い願いを刃へと乗せ、私は再び女神の槍を大きく振るった。
——パキーン!
先ほどまで絶対的な盾として立ちはだかっていた白の鎖が、女神の槍の穂先が触れた瞬間に、ガラス細工のように脆く砕け散った。
「……!?」
思わず息を呑む。
予想だにしない展開だった。
しかし盾を失った土人形は怯むことなく、すぐさま天を裂くような咆哮を上げた。
地響きとともに地面が大きく裂け、強烈な衝撃波が嵐のようにこちらへと迫ってくる。
「パパ、伏せて!」
エリオスの凛とした声が響き渡ると同時に、人間の耳では聞き取れないような、不可思議な魔言の呪文が紡がれた。
直後、私に迫っていた衝撃波が、嘘のように霧散する。
それと同時に、土人形が激しい苦悶の声を上げてのけぞった。
「お兄ちゃんの術式の応用をやってみたんだ。敵の術式へ直接介入して、内側から魔力ごとかき乱してみたの。今がチャンスだよ、パパ!」
「ありがとう、エリオス!」
私は行く手を阻む黒の鎖を力任せに弾き飛ばし、無防備になった土人形の懐へと一気に踏み込んだ。
そのまま間髪入れずに、その胸の核心へと女神の槍を深々と突き立てる。
土人形はおぞましい断末魔の叫びを上げ、やがて細かな塵となって夜の闇へと溶けていった。
「倒したか……」
私は手元にある女神の槍へと視線を落とす。
(先ほど白の鎖を打ち砕いた、あの力はいったい……)
しかし、女神の槍はいつも通り純白の光を淡くたたえているだけだ。
私の戸惑うような視線を受けても、それ以上何か反応を示すようなことはなかった。
「そっちも無事に終わったみたいだね。俺の加勢は必要なかったか。グレンもエリオスも、見違えるほど強くなったね」
漆黒の髪を夜風になびかせ、真紅の双眸を煌めかせたアルが、こちらに向かって歩んでくる。
その足取りを見る限り、緑の異形は彼の手によって迅速に片付けられたのだろう。
「アルも怪我がないようでよかった。……エリオス、竜人の目で彼らはどう見えた?」
「うーん……」
エリオスは指をあごに当て、難しそうに考える仕草で夜空を見上げる。
「えっとね、魂の形がぐちゃぐちゃ? 元は人間みたいだけど、肉体と魂が離れているような感じ。魂が変質しすぎて、よくわからなかった」
「元は人間の異形を使役しているのは間違いないか。今回は最初から話もできなかったし、ちょっと手がかりが乏しいね」
アルの言葉に、私は小さく息を吐き出す。
「……そうだな……」
今回の敵の動きも、ただこちらを挑発するためのものだったのだろうか。
それとも、私達をここへ引きつけるための、別の何かのためなのだろうか。
(以前アルが言っていた通り、私は重大な見落としをしているのではないか……?)




