5章-106.(グレン視点)異形の少女との戦い(□)
不気味な少女の影を追った先に広がっていたのは、そこだけぽっかりと空間が空いたかのような広大な空き地だった。
崩れた瓦礫が転がるその中央に、赤黒いローブを着た少女がぽつんと立っている。
「君は……一体何者だ」
私が槍の先を向けながら問うと、少女はくすくすと幼い声で笑った。
「私はお父様の使いの者。あなた達がとっても会いたがっているから、少し遊んできてほしいって頼まれたのよ」
「へえ、お父様ね……。君は、そのお父様のことが大好きなの?」
アルが探るように、親しみやすい口調で尋ねる。
「もちろんよ。お父様は私のすべて。……そっちにいるそこの男は、あんなに良くしてもらった恩を忘れて、裏切ったみたいだけどね」
少女の冷ややかな視線がヴィルへと向けられる。
ヴィルは何も言い返さず、ただ不快そうに目を細めた。
「俺達はそのお父様に直接会いたいのだけど、本人はここに来てくれないの?」
「お父様はとっても忙しいもの。あなた達みたいな有象無象には、わざわざ会ってなんてくれないわ」
「俺はお父様に会いたいけどなあ。それほど君が慕うなんて、とても魅力的な人なんだろう?」
「当たり前でしょ! お父様は行き場を失っていた私を救ってくれた、世界一素敵な人なの。そのお父様に害をなそうとする奴は……誰であろうと私は絶対に許さない!」
少女が一歩前進すると、辺りに熱波が生じたように足元が焦げ付いた。
「……もうお喋りは終わり? せっかくの美しいレディと、もっと色々とお話ししたいのに」
アルが肩をすくめると、少女の瞳から一切の感情が消え失せた。
「私はあなたとこれ以上話す理由も、必要もないわ」
「……ここまでか。もっと有力な情報を引き出したかったけれど、仕方ないね」
アルの呟きと同時に、少女が身にまとっていた赤黒いローブが、ハラリと脱ぎ落ちた。
だが、そこにはもう少女の姿はなかった。
代わりにその場で膨れ上がったのは、不気味な赤い影。
それは少女の身体どころか、周囲の建物をも見下ろすほどに巨大な、おぞましい怪物へと姿を変えていた。
「なんだ、これは……!」
私は、その異形の姿に思わず声をあげる。
「俺も流石にこれは見たことがないな。ヴィル、心当たりは?」
「暗殺組織にも、こんな奴は存在しなかった。……組織とはまったくの別勢力、あるいは未知の存在だ」
赤黒い獣のような化け物が天を仰いで咆哮する。
同時に、周囲の空気を焼き尽くさんばかりの強烈な熱波が辺り一帯を支配した。
「二人とも下がって……!」
アルが素早く両手を振ると、私たちの周囲の空間が断減され、押し寄せる熱波から隔絶される。
「……アル、ヴィル。あの怪物を生け捕りにできそうか?」
「うーん。あの質量を相手に生け捕り前提だと、逆にこっちが危なそうな気がするよ」
「見ろ。あいつの身体の周りに……白と黒の鎖が浮遊している。あれは、かつて暗殺組織でも使われていた、闇と光の属性を持つ特殊な鎖だ。力を分解する特性、そして光の守護も備わっているはずだ」
「なにその鉄壁。それじゃあ、空間制御でそのまま捕獲するのも難しそうだね。……よし、生け捕りにするかどうかは二人の判断に任せるよ。サポートは俺が全部受け持つから、どんどん攻撃しちゃって」
「わかった……!」
アルの空間制御に守られながら、私は一歩踏み出し、化け物に向けて女神の槍を勢いよく振るった。
しかし、化け物の周囲を漂う白い鎖が、生き物のような動きで私の槍を弾き飛ばす。
そこに間髪を入れず、ヴィルの黒い魔力をまとった強烈な斬撃が叩き込まれた。
しかし、それすらも白く輝く鎖の防壁に阻まれてしまう。
「なるほど、あの白い鎖がかなり厄介だね。それなら……」
アルが一歩前に出て、怪物の頭上へ右手をかざした。
彼の空間圧縮の力が一点に集中し、防壁となっていた白い鎖を爆散させる。
「白の鎖自体は、力技で弾き飛ばせるってことは前の戦いで実験済みだからね。グレン、今だよ!」
アルの頼もしい声に合わせて、もう一つの防壁である黒い鎖に狙いを定めた。
「闇の魔力でできた鎖なら、この神聖の力で消し去れるはずだ……!」
神聖な光を宿した槍の穂先で、うごめく黒い鎖を正面から弾き飛ばす。
二つの盾を失った怪物から再び強烈な熱波が吹き荒れたが、すかさずヴィルの一撃が走り、その熱波を瞬時にかき消した。
「悪く……思わないでくれ……!」
防壁をすべて剥ぎ取られた赤黒い化け物の胸元へ、私はありったけの力を込めて女神の槍を深く突き刺した。
槍から放たれたまばゆい光に貫かれ、赤黒い化け物が天を裂くような声で絶叫する。
巨躯は激しくのたうち回った後、自らの身体を崩壊させながら消えていった。
「……倒したか。すまない、生け捕りにはできなかった」
私が槍を引きながらつぶやくと、アルが軽く首を振った。
「しょうがないよ。自分たちの命を守るのが最優先だからね。それにしても、一体全体なんだったんだろうね、こいつは」
「……異形へと姿を変える前は、どこからどう見ても普通の人間のように見えたが」
ヴィルが消滅した異形の残滓を睨みつけながら口を開く。
「あとはさっきの言葉。お父様、だっけ。あの頭領という男は、ヴィルといいさっきの少女といい、幼い子供を拾って育てては都合のいい手駒にしているわけか。……胸糞悪いね」
「……となると、頭領はそれなりの年配者になるということか?」
「暗殺組織の中には二十年以上も所属している者もいた。その頃からすでに頭領の座にいたとすると、少なくとも若者ではないはずだ」
「……まあ、それはあいつが普通の人間だった場合の話だけどね。俺みたいに肉体を自在に操作しているかもしれないし、老いることのない身体を手に入れていることだって可能かもしれないよ」
アルの不穏な推測に、誰もが一瞬口をつぐんだ。
その沈黙を埋めるように、ヴィルが静かに言葉を重ねる。
「頭領は、肌ひとつ誰の前でも晒さなかった。見た目の年齢にはとらわれない方が賢明だろうな」
「……ねえ、今度はエリオスもこの調査に連れてこようか。竜人の目と知識があれば、あの化け物の正体を分析できそうじゃない?」
「それは流石に、彼に危険が伴いそうだが……」
私が懸念を示すと、アルは少し考えるような間を置いてから言葉を続けた。
「最近のエリオスは成長も目覚ましいし、十分に戦力としても頼りになるんじゃないかな。……何より、彼自身もこの件とは無関係ではないのだしね」
「……それもそうか。しかし、頭領はこちらの動きをどうも見透かしているようだったな。まるで、手のひらの上で弄ばれているようで気味が悪い……」
「まるで俺達を挑発するようにね。腹立たしいよ、まったく……。でも、これでひとつ分かった。頭領は間違いなくこっちを見ていて、確実に何か良からぬことを企んでいる」
「……俺はこのあたりをもう少し調べる」
ヴィルが言いながら、周囲の闇へと目を向けた。
何かを感じ取ろうとするように、その視線が暗がりの隅々まで見渡す。
「俺もヴィルに付き合うよ。グレンは一度帰って、公爵邸の様子を見てきて。ルナリアとエリオスのことも心配だからさ」
「わかった。では、また後で会おう」
帰路に就くため、私はアル達と別れて、すっかり暗くなった夜空を見上げた。
真っ先に脳裏に思い浮かぶのは、愛するルナリアの穏やかな笑顔。
敵の正体や目的はいまだ判然としないけれど、危険はすぐそこまで迫っている。
「早く、女神の槍の真の力を引き出さなければ……」
焦る心をどうにか落ち着かせながら、私は月夜の街を歩き出した。




