第23話 王女の真意
爽やかな柑橘の香りが漂う廊下には、ひとときの沈黙が落ちていた。
その沈黙を破り、リンカの澄んだ声が響き渡る。
「ところで──
なぜ勇者キリアが、ダルタディオ様のお屋敷にいるのかしら?」
翡翠の瞳を鋭く光らせ、リンカが問いかけた。
賢帝の勇者たるリンカの勘は鋭く冴え、彼女の好奇心を刺激する。
その問いに、厳しい表情を浮かべたダルタディオは腕を組み、恐る恐る答える。
「それについては……
まだ、お話できる段階ではございません。」
「あらそう。」
リンカは天使のように微笑んだ。
だが、その笑みはどこか危険な香りも滲ませていた。
「じゃあ、選ばせて差し上げるわ。
あのクソ……いえ、アレクに会わせるか。
それとも、その話を聞かせるか。
もう一つは、お屋敷が灰になるか──どれがお好みかしら?」
翡翠の瞳が再び鋭く光る。
その眼光は、彼女の放った言葉が冗談ではないと告げていた。
執事の翁は慌てて間に入ろうとする。
「王女殿下……!またそんな無茶を……!」
だが、リンカの眼光は一瞥で翁を黙らせた。
「ひっ……!」
ダルタディオは深くため息をつき、額に手を当てる。
「はあ……仕方ありませんな……。」
セルドリクよ。皆様を、応接室にお通ししてくれ。」
「承知いたしました。
皆様……こちらでございます。」
ダルタディオの指示に従い、セルドリクは一同を応接室へと案内した。
屋敷の中心にある広い部屋──
そこには豪奢なソファが置かれ、壁には高価な絵画が並んでいる。
キリアは、緊張した面持ちで部屋に入った。
あとに続くリックもどこか落ち着かず、胸が浮つくようだった。
リンカはソファに腰を下ろすなり、足を組んで言った。
「さあ、早く聞かせていただけるかしら?」
ダルタディオは静かに頷き、キリアの“養子縁組”について語り始めた。
キリアは緊張しながらも、リンカの反応を伺うようにその表情を見つめた。
だが、リンカは俯き動かなくなった──
沈黙が落ち、部屋は静寂に包まれる。
ダルタディオもセルドリクも、息を呑んで様子を見守る。
そして──
「ふふっ……あーはははは!!」
リンカは突然、腹を抱えて笑い出した。
「ど、どうされたのです……?」
ダルタディオの額に冷えた汗が滲む。
リンカは顔を上げ言い放った。
「なによそれ……!
あなたたち、ふざけているのかしら……!?」
場の空気が凍りつく。
だが、次の言葉はさらに予想外だった。
「そんっな面白い話……
あたし抜きで進めるなんて許せないわ!
キリア。あなた、養子になりなさい。
もう決まりよ──異論は一切認めないわ。」
「えっ……!?」
キリアは目を丸くした。
寄り添うリックも目を見開き固まっていた。
そんな二人の様子を意にも介さず、リンカは言葉を続ける。
「そうすれば、婚約破談の件は不問にしてあげる。
国交の件も、あたしからお母様に取り次いで差し上げてもよくてよ。」
ダルタディオは眉を寄せ、セルドリクは目を丸くした。
「王女殿下……それは本当ですか?」
「な、なんと……」
「王女の言葉が信じられないのかしら?
公式文書にでもして差し上げればよくて?」
リンカは不快さを滲ませ、呆れたように言った。
キリアは慌てふためく。
「ちょ、ちょっと待って……!
僕、まだ返事してないよ!?」
「グル……ルルル……」
リックはもう訳がわからず、困り果てていた。
リンカはキリアを指差し、堂々と言い放つ。
「異論は認めないと言わなかったかしら?
王女であるあたしの決定は覆らないの。
ご両親には直々に話をして、相応の額をあたしが用意して差し上げるわ。」
「いや……えっと……
僕に、両親は……いないから……。」
キリアは少し困ったように告げた。
思いがけない言葉に、リンカは一瞬だけ目を見開き、すぐに視線を落とした。
「……それは……
不躾なことを言ってしまったかしら。
配慮が足りなかったわね。謝罪させていただくわ……。」
つい先程まで、傍若無人の限りを尽くしていたあのリンカが──
彼女の見せる意外な優しさに、キリアの胸が少し温かくなる。
「ううん、大丈夫。
僕は森で捨てられていたらしくてね。
村長さんと奥さんが、親代わりなんだ。」
「そう……
なら、その二人にご挨拶が必要ね。」
リンカは静かに呟いた。
「ふふふっ。
僕が養子になるのは、やっぱり決定なんだね。」
そう言ってキリアは微笑み、勇気を出して尋ねた。
「なんでリンカ様は……
そんなに……僕に養子を勧めるの……?」
リンカは少しバツが悪そうに視線を逸らした。
「……あなたを……
あたしの友人にして差し上げたいのよ。
公爵家の娘になれば、あたしと対等に話すには十分な格となるわ。
勇者とはいえ、村民の身分では気軽にお付き合いできないの。」
キリアは思わず口元を緩めた。
「ふふっ。そっか。
それならそうと、早く言ってくれればよかったのに。」
「そんな恥ずかしい事……
王女であるあたしが、軽々しく言えるはずないでしょう?」
照れを隠すように不貞腐れるリンカは、そのまま話を続ける。
「それに──
あたしが養子の話を推す理由は、それだけじゃないの。」
そう言うと、リンカはまっすぐキリアを目を見つめた。
「これは、公爵家の威信を取り戻すだけではないのよ。
“帝国”と“聖統国”の未来を左右する、重大な意味を持つと思ってちょうだい。」
キリアは息を呑んだ。
リンカは少し間を空けて、再びゆっくりと口を開く。
「これから話すことは……
勇者としての、あなたの人生を大きく変えるわ。」
こうして──
“聖統国の王女”としてのリンカの真意が語られようとしていた。




