第18話 邂逅と旅立ち
応接室の扉が静かに閉じられる。
目の前に立つキリアは、戦場での勇ましい姿とは違い、柔らかい表情を浮かべる普通の少女だった。
確かに綺麗な顔立ちをしているが、まだあどけなさを残す彼女。
こんな少女が、苦難の日々を送りながらも誇りを捨てず、ついには真なる勇者へと覚醒した。
その事実はセルドリクの胸を高鳴らせ、切磋琢磨した若き日の熱を思い起こさせた。
彼はしばし、感嘆と畏敬のあまり言葉を忘れてしまう。
キリアは少し困った様子で口を開いた。
「……あの……ええっと……
セルドリクさん、でしたっけ?」
セルドリクはふと我に返り、慌てて言葉を返す。
「は、はいっ……!
デュランダール公爵家執事筆頭、セルドリク・カーマインと申します……!
先日は、窮地をお救いいただいたにも関わらずきちんとお礼ができず……
あの時は、誠にありがとうございました。」
そう言って、彼は深く頭を下げた。
だが、キリアの隣にいたリックが低く喉を鳴らした。
「グルルルルルッ……。」
「……っ!」
その音に、セルドリクの背筋を冷えた汗がなぞっていく。
リックはアレクと似た匂い──
“デュランダール家の気配”を敏感に察知していた。
キリアはリックの頭をそっと撫で、「大丈夫だよ」と小さく囁いた。
リックは鼻を鳴らし軽く威嚇すると、セルドリクをじっと見つめる。
その瞳には、ただの魔獣とは思えない知性と警戒が宿っていた。
セルドリクは息を呑み少し間を空けると、騒つく気持ちを整え口を開いた。
「キリア様……
ダルタディオ公爵閣下が、あなたとお話がしたい……と申しております。」
その瞬間、キリアの表情が青ざめた。
子どもが親に怒られるかのような、そんな幼い雰囲気を滲ませる。
「……そ、それって……。」
淡紅の瞳が揺れ、彼女の肩は小さく震えていた。
「アレクの……いえ、アレク様の件……ですよね……?
ぼ、僕……罰を受けるんでしょうか……。」
声が震えていた。
リックも鼻に皺を寄せ、荒く喉を鳴らす。
「グァルルルッ……!」
キリアを守るためなら、公爵家の使者であろうと容赦しない──
そんな、確固たる意志と気迫が伝わってくる。
セルドリクは慌てて両手を広げた。
「ち、違います!
今回の件、明らかにアレク様に非がございます!
キリア様に罰を与えるなど……断じてあり得ません!」
その声は震えていたが、誠実さが滲んでいた。
「もし万が一、ダルタディオ様が理不尽なことを仰ったとしても……
私が命に代えて、あなたの盾となると誓います。」
その言葉に、キリアの瞳が大きく揺れた。
彼女は、少し安堵した様子で呟いた。
「……セルドリクさん……。」
リックも喉を鳴らすのをやめ、静かにキリアの足元へ伏せた。
セルドリクは敵ではない──
その行動には、彼が信頼に足る人物だと判断したリックの意思が伝わってくる。
キリアは胸に手を当て、小さく息を吸った。
「……わかりました。
僕……公爵様のところへ行きます。」
その声は震えていたが、勇者としての覚悟が宿っていた。
強張っていたセルドリクの表情が和らぐ。
彼はそっと胸を撫で下ろすと、深く腰を折り頭を下げた。
「ありがとうございます……!
では早速、と言いたいところですが……
旅支度もあるかと思いますので、出発は明後日の朝にいたしましょう。」
彼の提案に、キリアは小さく頷いた。
──その夜。
セルドリクはアイザックに誘われ、ギルド近くの酒場で久しぶりの酒を酌み交わしていた。
友人とこうしてお酒を楽しむのも、今の職に就いてからは滅多にないことだった。
「それにしても、お前が公爵家の執事筆頭とはな!」
「お前こそ、ギルドマスターなんて柄じゃなかっただろう。」
「俺もお前も、昔はもっと尖ってたのになぁ。」
「はははっ。確かにな。お互い歳をとったということだ。」
そんな他愛ない昔話をする二人。
それは、緊張と街の冷ややかな反応で沈んでいたセルドリクの心を、少しずつ解きほぐしていった。
一方その頃。
キリアは小屋の寝室で、落ち着かない様子で旅支度をしていた。
「どうしよう……
僕、正装なんて持ってないよ……。
宮殿に行った時は、勝手に用意されてたし……。
勇者ってみんな、そういうの持ってるのかな……?」
「ガウッ!ガウッ!」
リックがいつもの防具と服の前で吠える。
──何を着てもキリアは可愛い!──
言葉を発せない自分がもどかしいリック。
この時ばかりは魔獣である自分を恨めしく思った。
だが、その想いが伝わったのか、キリアがリックの頭を撫でて呟いた。
「ありがとう、リック。
いつもの自分でいいってこだよね!
リックが居ればどこへ行ったって、僕は“勇者キリア”でいられる気がするよ。」
そう言って微笑むキリアの言葉は、リックの胸を熱くし、自分が勇者としての彼女を支えられている事を実感させてくれた。
キリアが王都へ行ったのは、“天恵の儀”で勇者の称号を授かった日だけだった。
その時は、宮殿の一室で侍女に囲まれ着替えさせられたのを覚えている。
あの時は、荘厳な雰囲気での緊張や寄せられる期待、勇者としての希望で胸がいっぱいだった。
だが今回は──
「アレクの件で呼ばれたんだよね……
はぁ……もっとワクワクする理由だったらよかったのにさ……。」
ベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めるキリア。
リックは心配そうに鼻を鳴らし、狭いベッドでキリアの隣に寄り添った。
「……ありがとう、リック。
お前がいてくれれば怖いものはないね!」
リックは自慢げに喉を鳴らし、キリアの肩にそっと頭を押しつけた。
──翌朝。
街の門壁周辺には、アイザック、リエット、そして街の人々が集まっていた。
「キリアちゃん!気をつけてな!」
「リックも、キリアを頼んだぞ!」
「何かあったら、俺たちがついてるぞ!」
「キリア姉ちゃん!早く帰ってきてね!」
街の歓声にキリアの瞳は揺れる。
胸の奥が、じわりと温まるのを感じた。
「みんな……
ありがとう……!行ってくるよ!」
セルドリクが馬車の扉を開け、紳士的な振る舞いでキリアを誘導する。
「キリア様、どうぞ。」
照れくさそうにキリアが乗り込み、馬車の後ろに続く荷台へリックは飛び乗った。
セルドリクも続いて乗り込むと、キリアの正面に座る。
「うちの勇者様を頼んだぞ!」
アイザックが拳を差し出した。
「ああ。任せておけ。」
セルドリクも拳を合わせて答える。
「キリア!おみやげ楽しみにしてるわよ!」
リエットは瞳を潤ませ手を振った。
「うん!いってきます!」
キリアの澄んだ明るい声が響いた。
御者の鞭を打つ音と共に、馬車がゆっくりと動き出す。
向かう先は──
王都近くの公爵領に建つ、デュランダール家の屋敷。
それは、不安と緊張を胸に抱くキリアと、彼女を守ると誓ったリックの、二人で歩む初めての旅路だった。




