第15話 嵐の予感
蒼霹の剣を失い、無様に地へ伏した剣帝アレク。
その姿を前に、周囲の人間は一切の声を忘れ唖然としていた。
誰もが予想を裏切られ、代わりに立つ少女と魔獣を静かに見つめ続けている。
“最弱”と蔑まれ続けた勇者キリアと、ただの“ペット”と見下されていた魔獣リック。
その光景は、カルシオーネの街に生きる者たちの価値観を根底から覆した。
「おいおい……
──まさか、ここまでとは……。」
アイザックが呆然と呟く。
彼もかつては、Aクラス冒険者として名を馳せた強者の一人だ。
だが、その声には驚愕と畏怖を滲ませていた。
「キリアーッ!すごい、すごい!!」
リエットが歓喜の声を上げる。
観衆を掻き分け、子どものようにはしゃぎながらキリアに抱きついた。
「わっ……とと。
あははっ、痛いよリエ姉……!」
キリアは照れくさそうに笑いながら、リエットの背中を軽く叩いた。
リックも嬉しそうに尻尾を揺らし、二人の姿を眺めている。
やがて、アイザックの指示を受けたギルド職員たちが、アレクの元へ駆けつけた。
彼を担架に載せると、ギルド本部横の救護宿舎へと運んでいった。
その背中を見送りながら、言葉を失っていた街の人々が喧騒を取り戻し始めた。
「アレク様が……負けた……?」
「殺して魔力を奪うとか言ってたぞ……。」
「……なんか……無様だな……。」
「見た目が良くても、中身があれじゃぁ……。」
カルシオーネの街は揺れていた。
剣帝アレクの敗北と、そこに至るまでの品格を欠いた振る舞いの噂が街中を埋め尽くした。
──そして数日後。
その噂は瞬く間に王族や貴族の耳へ届いた。
もちろん、デュランダール公爵家にも。
広大な土地に聳える屋敷の一室。
アレクは傷の手当てを受け、寝台に伏していた。
側付きの侍女が、重々しい空気の中世話をしている。
だが──問題は身体ではない。
彼の瞳には光が宿らず、その顔からは“生気”が失せ、まるで屍人のようだった。
衆目の中で、貴族が恥をかかされたまま黙っている訳にはいかない。
それが公爵家ともなれば、その重責は計り知れないものだった。
豪奢な一室。
重厚な机の前に座る男が、額に拳を当て、深く俯いていた。
その脳裏には息子の無様な姿が刻まれ、胸の奥に鈍い痛みを滲ませる。
男の名は、ダルタディオ・デュランダール。
デュランダール公爵家の現当主である。
数多の戦場を駆け抜け、数え切れない魔獣を屠ってきた“剣帝の中の剣帝”。
大柄な身体。
野生の魔獣のような鋭い眼光。
その見た目とは裏腹に、振るう剣は繊細でありながら剛砕独覇を体現する。
肌にまとわりつくような重い空気に、側付きの執事が息を呑む。
しばらく沈黙が続いたのち、ダルタディオはゆっくりと顔を上げた。
眉間には皺が深く刻まれ、その瞳には怒り共に哀惜の色を滲ませていた。
周囲の空気が、さらに重く張り詰める。
「……遣いを出せ。」
低く、重い声が部屋に響く。
「勇者を──ここへ呼び寄せよ。」
「はっ!……ただちに!」
執事はすぐに頭を下げ、部屋を後にした。
執事は素早く旅支度を済ませると、護衛数名を連れカルシオーネの街へ馬車を走らせた。
その車輪の音は荒々しく──
まるで新たな嵐の訪れを告げるかのように、静かな街道に響き渡っていた。




