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第6夜「月夜に浮かぶ女神」

 そして数日後。あの日からルテナは俺の狭い家に押し寄せてきて、その相変わらずの我儘ぶりに振り回され、それを煩わしく思いつつ、俺は日々を忙しなく動き回っていた。

 朝から昼過ぎまでは学舎へ、多くの学友たちと平和に過ごす。その間も裏では淡々と下準備を。

 そして夜になると、俺は本格的に動き出す。あの焼け落ちた宮殿から持ち出した王家の剣を手に、夜の暗い闇に潜みながら、来るべき日への火種を増やし続けていた。


「あら、お帰りなさい。今夜はどうだった?」


「まぁまぁだ。」


「ふーん。まぁまぁ、ねぇ。」


「・・・」


 その日も俺が夜遅くに帰宅すると、その女は寝床の上で退屈そうに寝転んでいた。そして、ルテナは不敵に微笑みながら、どこからか盗み取ってきた粘土板を俺に見せてつけてくる。

 そこに記された文字によると、それはある種の手配書のようだった。


 どうやらここ最近、王国残党の反乱活動が頻発しており、散らばっていた勢力が集いつつある。さらに特に夜が深まった時間帯、闇に紛れて奴隷を解放する、謎の剣士に警戒されたし、と。


 まぁ、これは俺のことだ。この数日間、俺は適度に帝国兵士を襲いつつ、囚われていた奴隷たちを解放していた。これは単純に戦力拡大の意図もあるが、そこには私的な思いも含まれている。そして、自由にした彼らを取り込みつつ、既存の反乱勢力と顔を繋げ、備えさせる。

 当然ながら、帝国側もこの動向を察知しており、この時になって活発化している反乱分子の原因を、彼らは躍起になって探している最中といったところだ。


「随分とご活躍みたいじゃない。闇夜の剣士さん。」


「口外するなよ。絶対に。」


「ふふ、心配しなくても大丈夫よ。だって面白くないもの。」


「そうか。あと、そろそろどいてくれ。もう寝たい。」


 ルテナの態度は相変わらず気に食わないが、今は仕方がない。現状、この存在には信用も信頼もない。だが今裏切られては困る。これとは一定の距離を保ちつつ、適度に扱わなくては。あと眠い。今日は疲れた。とにかく眠い。


「あら、何を言ってるの? 夜はこれからでしょう?」


「え?」


 しかし残念ながら、俺が睡眠を取ることはできなかった。ルテナは微笑みながら立ち上がると、ローブを着こみ、この狭い家から颯爽と抜け出す。それはこちらに視線を送り、楽しそうに手招きしながら。

 俺はその仕草に困惑しつつ、疲労と眠気を抑え、顔を隠すようにローブを装備し、大人しくその手に付き添うと、ルテナは深夜の寝静まった街を歩き始めた。

 彼女はこっちの事情などお構いなしに、その足取りは軽く、その表情はどこか心地良さそうで・・・率直に、嫌な予感がする。

 それからローブ姿の俺たちは静かな夜を徘徊し続けたが、やはりルテナは急に立ち止まり、その目の前に現れた大きな建物を見上げた。


「ほら、着いたわよ。」


「え、ここは・・・」


 それはこの街でも割と目立つ大きな場所。嫌でも目に入る建物。そこには多くの帝国兵士たちが駐在し、戦いに備え、日々生活する。そこは彼らの兵舎だった。

 入り口付近には明かりと槍を持った門番が立っている。こんな場所、近づくことさえ危険なのだが。ルテナは一体何を考えているのだろうか。嫌な予感が増す。


「なぁルテナ、どうしてこんな所に───」


「あ、手が滑った。」


「───え。」


 そして、その予感は見事に的中した。最悪な事に、してしまった。

 それは誠に信じられない事に、その黒服の女は兵舎の建物に向けて手を広げて伸ばすと、悪魔のような笑みを浮かべ、その手を強く握りつぶした。

 その瞬間、空間は謎の力で圧縮され、目の前の煉瓦壁には亀裂が走り、兵舎は大きな爆発音と共に破壊された。

 その理屈や原理は分からずとも、そんなこと今はどうだっていい。なぜならば、これをやらかした犯人は俺の隣にいる、この頭のイかれた女で確定だからだ。


「なっ、なんだ!?」

「敵襲か!?」

「おいっ、どこの死にたがりだ!?」

「門の前! 誰かいるぞ!」


 建物が崩れると共に、兵士たちは途端に騒ぎ始め、反射的に剣を手に取る。そして、俺は武装していた門番たちと目が合った。まずい。


「なっ、なっ、お前っ、何やってるんだ!?」


「ふふ、だから手が滑ったって。これは事故よ、事故。」


「くっ、このっ!」


「いいの? 早くしないと・・・ほら、虫が湧いてきたじゃない。」


「っ!?」


 ルテナが心底愉快そうに笑いながら、兵舎の門に視線を運ぶと、そこからは武器を持った兵士たちが溢れ出していた。

 彼らの怒号がはっきりと聞こえる距離。こちらに向けられる大量の視線と殺気。思わず後退りしそうな数だ。


「あはは、これは逃げないと死ぬわね!」


「笑い事かっ! くそっ!」


 そして、俺とルテナは全力で走り出した。今はこいつに怒りをぶつける時間も余裕もない。この状況、即座に逃げなければ、確実に死ぬ。それだけが鮮明に頭をよぎった。


「お前らっ、待てごらっっっ!!」

「兵舎に襲撃なんざ、タダじゃおかねぇぞ!!」

「おいっ、誰か弓持ってこい!!」


「あははは、あははは! スリリングな追いかけっこね!」


「これで死んだら殺すぞ! ルテナ!」


 とても楽しそうに笑う彼女。その隣で怒り声を上げる俺。この理不尽、この暴挙、俺は全速力で逃走しつつ、追いついてきた兵士たちを切り伏せる。飛んできた矢を弾く。先回りしてルテナの前に現れた敵を蹴り飛ばす。そう、自然と自分の身とルテナを守っていた。

 

「あのさ〜、そろそろ私疲れ───」

「伏せろ!」


 しかし、ルテナが言葉を呟こうとした瞬間、俺は咄嗟に彼女の頭を押さえて、剣を前方に構えた。


「───っ!」


 そして弾かれる剣、飛び散る火花。その風圧で顔隠しのフードを剥がれそうになるが、その死角からの襲撃者と距離をとって、被り直す。

 ルテナは露わになった顔を堂々と見られている。というか隠す気がない。本当にこの女は。


「ふっ!」


「っ!?」


 兵士の男は不敵に笑うと、長い剣を構え、こちらに向かって突撃してくる。そして放たれる斬撃の数々、俺も即座に応戦するも、あまりの気迫に防戦一方にさせられる。


(何だこいつ、強い!)


 この銀髪褐色の男、並の兵士とは比べ物にならないほどに剣の腕が洗練されており、僅かな隙もない。

 これは取り繕った剣技ではなく、人を殺すためだけの剣、数多の血みどろの戦場を経験してきたような、そんな実践的な剣だ。


「ふっ、いい腕だ。」


「くっ!」


 男は剣を払って笑いつつ、こちらの肉を容赦なく削ぎ落とし、切り続けてくる。

 だめだ、視野が狭まれる。ローブのフードが邪魔だが、顔を見られるわけにもいかない。その実力は恐らく互角だが、条件や疲労も相まって押され続ける。このままじゃ・・・


「───ねぇアルトラ、空を飛んだことはある?」


「は?」


 その時、男の剣を防ぎながら後退し続けていると、いつの間にか俺の背後に忍び寄ったルテナが意味不明な言葉を囁いてくる。

 空を飛ぶ? この状況で何の冗談を言っているのか───


「───まっ!」


 しかし、その冗談は現実に。魔女の囁きは絶対的に。

 その瞬間、ルテナは俺の襟元を掴むと、その場から飛んだ。彼女は軽やかに地面を踏み込み、星の輝く夜の空に舞い上がった。その手に俺の体を携えて。


「───っっっっ!?」


 あり得ない。俺、本当に、飛んでいる。空を、鳥のように、自由に飛んでいる。荒野の大地から飛び立ち、星の重力から解放されて、夜の風を肌で感じている。

 実際に飛んでいるのはルテナで、俺は引っ張られているだけだが、確かに俺たち二人は夜の空に浮かんでいる。俺を、彼女を横から照らす月が一際大きく見えた。


「あはははは!! やっぱり夜に飛ぶのは気持ちいわねっ!! あら、口閉じてないと舌噛むわよ!」


「───っ。」


 さすがに経験したことがない高度に恐れつつ、心臓を爆発させながら慌てふためいていると、ルテナは高らかに笑いながら、何も縛るものがない空中で俺の手を引いた。

 それはとても美しい光景で、とても魅惑的だった。それは自然と二人だけの幻想的な世界を作り出し、まるで夜の踊りの誘いのようだった。

 そして俺とルテナは白く輝く大きな月を背に、暗く眩い空の上で、軽やかに手を取り合って踊り続ける。 彼女にはこちらの不慣れさと不器用さを笑われるが、なぜか悪い気はしなかった。ただ、大きな月に照らされながら、暗い空に漆黒の長髪を靡かせ、夜を楽しむ彼女の姿は、とても、そう。とても美しかった。


 しかし、その姿を地上から見つめるのは、俺だけではなかった。この夜の空から遥か下、俺たちを静かに見上げるのは二つの人影。

 一人は銀髪褐色の兵士の男。もう一人は偶然にも居合わせてしまった少女。それが悲運な悲劇に転ずることを、この時の俺はまだ知らなかった。知り得なかった。


 それからしばらく時は刻まれ、俺が初体験の浮遊感に限界を感じていると、ルテナは頃合いだと見極めたのか、もしくは単に満足したのか、彼女は俺の手を引きつけながら、街外れの丘の上に静かに降り立った。

 

「───そうね、ここなら静かでいいかしら。」


「き、気持ち悪い・・・」


「もう、情けないわね。こんなの私からすれば散歩よ。ま、ちょっと刺激的なやつだけど。」


「そういう、ことでは・・・というか、どうして、こんな。」


「あぁ、それはね。私が退屈だったから。」


「・・・は?」


「私、退屈なのは大嫌いなの。あまり変わり映えのない日々には嫌気がさすわ。だからアルトラ君にはもっとやる気を出してもらわないと困るの。はやく帝国を潰して、私を満足させなさい。」


 ルテナは手で髪を払い、美しく微笑みながら、俺を嘲笑うように見下ろした。

 その仕草は不変的に美しくも、その言動はやはり恐ろしい。我儘どころの話ではない。これはある種の恐喝、彼女の並々ならぬ支配欲が伺える。ここらで抵抗しないと、今後の立場が危うい。


「いやっ、だからってこんな危険なことを・・・それに今日だって着々と───」


「私、うるさい男は嫌い。」


「・・・はぁ。魔女め。」


 前言撤回。やはりこの女には常識は通用しない。対等な立場での会話を求める方が無駄だった。


「ふふ、綺麗な月・・・」


「・・・っ。」


 俺はせめてもの抵抗として、隣で佇むルテナに不満そうな視線を向けるも、彼女には一切通じない。その代わり、ルテナは静かに夜空を見上げながら、どこか儚い瞳で月を眺め続けていた。

 そして、俺はその横顔を、その姿を呆然と見つめ続けていた。


 それから魔女の夜は明け、時刻は次の日の早朝。眩しい朝日に目を細めながら、ひとり学舎についた俺は、得体の知れない違和感を覚える。

 何というか肌が、俺の直感が危険を告げてくるのだ。


(・・・なんだか騒がしいな。)


 それから普段通りに学生たちで賑わっているであろう敷地に入り込むと、何やら学舎は騒めいていた。

 俺は怪訝な顔で中庭に向かって進んでいると、回廊の曲がり角でとある女学生と鉢合わせする。


「あ、アルトラ!」


「おはようフララ。そんなに慌ててどうしたの?」


「あ、あのねっ、今、帝都から帝国兵士が!」


「っ!?」


 少女は息を切らしながらその事実を告げた。その瞬間、俺は勢いよく中庭に飛び出すと、そこには大勢の学生たちが集められていた。

 そして俺は目を見開いて言葉を失う。なぜなら、彼らの視線の先にいたのは・・・


「おはよう、学生諸君。お集まりありがとう。私はベルビル・ローゼンターグ。見ての通り、帝都から視察に訪れたエルスタス本隊の帝国兵士だ。」


「・・・」


 それは昨夜に剣を交えた、銀髪褐色の帝国兵士だったのだ。俺の顔は見られていないとはいえ、ルテナの顔は割れている。もしかしたら、あの夜に剣を見せた俺も・・・

 幸か不幸か、ルテナと俺の本物の剣は家に置いてある。この手には木製の模造の剣しかない。もしあの銀髪の男と戦闘にでもなれば、その辺の真剣で代用もできるが、かなり不利になる。しかし、この状況で物的証拠を見られるよりはマシだろう。

 そう思って、俺は深呼吸をして覚悟を決めたのち、騒めく学生たちの群れの中に混ざりに行った。今は有象無象の彼らに紛れる方が都合がいいはずだ。


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