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第2夜「滅びの夜(2)」

 俺は自分の置かれた状況を冷静に確認した。片手が鎖に繋がれ、暗い鉄格子の中。肌寒さのある外気は感じられ、柵越しには夜空見える。ここは地下牢ではなく、地上にある檻の中。まぁ、おそらく奴隷を輸送する前の簡易的な拘束場だろうな。別に驚きはない。偽善、興奮、油断。当然の結果だ。


「よぉクソガキ。気分はどうだ?」


 しばらく静かに俯いていると、兵士の男が松明を手に持ち、俺のもとにやって来た。その顔は余裕で満ちており、まさに高みの見物といったところだ。腹立たしい。


「・・・さっきまでは静かで最高だったよ。その汚い顔が俺の目の前に現れるまではな。」


「テメェ死にてぇのか? 俺は帝国兵士だ。しかも帝都中央本隊のな。奴隷はもちろん、帝国民だろうと、罪には問われねぇぞ?」


「はっ、やってみろよ。そんな度胸あんの───」


 そんな安い挑発すら、今の状況では完全に無意味だった。なぜならば、その男の心を燻るまでもなく、すでに彼は怒り心頭だったから。


「───ぐっ!」


 兵士の男は牢屋の施錠を解き、鉄格子の扉を乱暴に開けると、俺の目の前にまで詰め寄り、殴った。何度も何度も殴り続けた。頭部、胴体、急所。こちらも必死で防ぎ抵抗するも虚しい。鈍い痛みが蓄積していく。それに同調するように赤い血を吐き出す。


「おらっ! おらっ! さっきの威勢はどうしたっ!?」


「───くっ、そ。」


 兵士の暴行は止まらない。それは昼間の失態の鬱憤を晴らすように、傷つけられたプライドを取り戻すように、ただ一方的な暴虐を楽しんでいる。

 あぁ、最悪だ。その愉悦に浸る顔も、この程度で血を吐き出す弱き自分も。何もかもが嫌になる。やはり、本質的に、俺はあの日から何も変わっていない。 あの時、炎の中で全てを失って、失った気でいて、何もせずに生きて。それなのに自分から死ぬこともできず。宮殿で教わった剣の腕を、あの日々をなぞるように力を磨くことだけ。

 このまま終わって、一体何が残る、今まで一体、何が残せた。俺があの人に託されたものは、こんなんじゃ・・・


「ははっ、お前を殺すのは明日にとっておく。今夜は奴隷どもを送らねぇといけねぇからな。そのまま寝てろ。おいっ、こいつ見張っとけよ。遊ぶなら程々に、なっ!」


「───ぐっ。」


「了解しました、っと。」


 そして兵士の男は最後に俺の顔を蹴り飛ばすと、少しは満足したように去っていた。この場を、この俺の見張りを部下に任せるのだ。割と悪くない立場だったのだろうな。


「さて、死ぬ手前まで痛ぶってやるよ」


「・・・」


 それから部下の男は上官がいなくなったのを確認して俺に振り返ると、それはもう下衆な笑みを浮かべた。ほら、これだ。帝国の人間は、帝国兵士は平等に腐ってやがる。本当に清々しいほどのゴミばっかだな。


「おらっ、もっと泣けよっ、もっと叫べよ! もっと血吐いて、俺を楽しませろよ!」


「・・・っ!」


「はぁ、はぁ。お、俺もな、ストレス溜まってんだよ。あの人うざいけど、強えからさ。」


 部下の男は血に染まる自分の拳を見つめ、興奮気味に上官への鬱憤を吐き出す。あの男、力はあっても人望はないらしいな。さすがだ。

 そんな男に隙を見せて投獄させられて、なすすべなく殴られている俺は、もっと滑稽だろうか。

 こんな惨めな姿、あの人が見たら悲し・・・いや、絶対に笑うのだろうな。


「・・・」


「まぁ、これぐらいにしておくか。これで死んだら俺が怒られるしな。」


 その時、部下の男は牢屋の扉を施錠して、平然と檻の前に立つ。

 暗い鉄格子の中に残されたのは、血を流し、血を吐き出し、冷たい床にうずくまる赤茶髪の男のみ。

 あ、そうだ、確か俺はあの時も、今と同じように地面に倒れていたっけ。なんだ、やっぱり何も変わらないじゃないか。何も。


 あの情景が脳裏に浮かぶ。色褪せない幼き日の光景が鮮明に思い出される。

 泣き叫ぶ人々を笑いながら殺す兵士。熱く眩い炎の中で燃える家族と宮殿、歴史ある王都。

 あの夜、俺の故郷は一瞬にして燃え尽きた。

 西から侵略してきた帝国によって、最も容易く。王も王妃も殺された。生きたまま燃やされた。剣術指南役の師匠も、世話役の臣下も、俺のことを支えてくれる筈だった民たちも、無慈悲に殺された。

 

 それじゃあ、俺はどうして生きているんだっけ。


 ・・・そんなの決まっているじゃないか。


 あの激しく燃える宮殿の中で、俺のことを信じ、俺を守り、俺のことを逃がしてくれた人がいたから、今もこうして鈍い痛みを感じられる。

 俺のことを最後まで愛してくれた姉がいたから、今も生きている、生かされ続けている。

 あの人に報いるためにも、あの人を探し、見つけ出し、今度こそは俺が守るためにも。

 

 そうだ、何を呑気に寝ているんだ。俺の死場所はここじゃない。俺には立ち止まっている余裕などない。 俺はアルトラ・アーデ、否、俺はアルトラ・ヴィルナ・エルテーラ。歴史あるエルテーラ家唯一の生き残りなのだから。


「は、はは。ははは。」


「なんだ、何笑ってんだ?」


「どいつもこいつも、度胸はないってか。」


「あ?」


 そして俺は盛大に笑い出した。その突然の挙動に見張り番は振り返るも、その動作すら予測の範疇、全ては俺に注意を惹きつけるために。戦う前に対象を苛立たせられれば、なお良い。さて、どうやってこの人間を狩り殺そうか。

 上官への不満、囚われた者への発散、こいつの性格上、この場から取り逃しては面倒だ。ゆえに最適な言葉は。


「腰抜け。」


「───っ。」


 シンプルかつ大胆に。相手の心理を直球的に掴み、揺さぶり、その意識に殺意を込めさせる。

 すると、見張りの男は静かに俯くと、無言のまま腰の剣に手をかけた。その眼光は鋭く、その手には一切の迷いはない。

 瞬間的に向けられた殺気に、肌がピリつき、本能が

危険を知らせる。


「・・・決めた、隊長に譲るくらいなら、俺が殺して───」


「・・・」


 男は牢屋の錠を外そうと、懐から鍵を取り出す。それを持って、この檻の中に入り込んだ瞬間、俺は即座に切り捨てられるだろう。もちろん抗うが。


 さて、どうやってその武器を───


「───え?」


「───あっ・・・べぇ??」


 しかし、その刃が俺に振り下ろされることはなかった。さらに正確に、はその男が檻の中に入り込むことはなかった。

 それは見張りの男が鍵を差し込もうとした瞬間だった。

 男は見事に真っ二つに切断されて、その生命の機能を完全に停止した。俺の目の前にある、この鉄格子ごと、それは大量の血と臓物をこぼしながら、ただ淡々と、ぐちゃりと音を立てて、死んだ。

 俺を捕らえていた檻も、何かに切り刻まれて、一瞬で破壊されて、死んだ。


「っ!?」


「・・・」


 その瞬間、俺は僅かに腰を抜かしながら、不意に驚いて後退りした。その男が突然と死んだことにではない。その切断された肉塊の背後から堂々と現れた人影に、異様なほどの危険を感じたのだ。

 

「な、何だ・・・誰だ、お前?」


「・・・」


 俺は呼吸を落ち着かせながら問いかけるも、返答はない。それは擦り切れたローブを着ていた。その手には鎖のちぎれた枷、そして裸足だった。

 その顔は夜の暗い影に覆われて、はっきりとは見えずとも、輝く青紫色の瞳が覗いている事は分かる。

 あぁ、その目。あの時、俺が解放した奴隷か・・・でも、一体どうして。


「・・・力が欲しいか?」


「?」


「全てを変える、王の力が。」


「・・・っ。」


 そう、その女は静かに呟いた。こちらの反応など無視して、ただ一方的に、半壊した檻の中で座り込む俺の瞳を、ただ真っ直ぐに見つめて。

 普通なら理解が追いつかない状況ではあるが、なぜか不思議と俺の頭は冴えていた。冴えすぎていた。ゆえにその女の問いに対して、余計な思考が走り続け、止まらない。


「俺は・・・俺は・・・」


「お前には覚悟があるか?」


「!?」


「この醜く争う世界で、王になる覚悟は。この大きく小さな星で、全てを奪い、殺し、築く覚悟は。」


「俺は・・・」


 フードの女は抑揚のない口調で言葉を続けた。それはある種の作業のような、確認のような、どちらにせよ感情のない声色だ。

 

 夜風が静かに吹き付ける。目の前では擦り切れたフードが揺れている。空の光は厚い雲が深く閉ざし、世界は未だに暗いまま。

 正直言って、やはり意味が分からない。この問答には一体何の意味があるのだろうか。この女は何者なのか、味方なのか、敵なのか。

 ───全てを変える力。

 その言葉は真実か、偽りか。この女は俺をどうしたい? 俺は、俺をどうしたい?


 それは時間にしては、それほど経過したわけではないだろう。ただ、俺が困惑して悩む姿が見るに耐えなかったのか、或いは滑稽だったのか、女は静かに俺を見下ろしつつ、僅かに項垂れてため息を吐いた。それはどちらかといえば、失望に近い仕草だったと思う。


「・・・外れか。読み違え───」


 そして、フードの女は落胆しながら振り返ろうとした。その場から一人、颯爽と去ろうとした。その時だった。


「俺はっ、この国を滅ぼす力が欲しい!」


「───っ。」


 俺が顔を上げながら大声を吐き出し、夜の闇に消えるはずだった女の歩みを止めたのは。俺が雄叫びを上げて立ち上がると共に、女が不意を突かれたように立ち止まったのは。


「俺は、あいつらを殺し尽くせる、力が欲しい! 全てを変える力が欲しい!」


 全ては俺を生かしてくれた人たちに報いるため。あの人を守れるような、誰もが崇める王になり、幼き日に失ったモノを取り戻すため。今度こそは弱き自分を振り払うため。


「俺に力を、よこせっっ!!」


 そして俺は喉を枯らすほどに叫んだ。狭い世界の檻の中から夜空に向かって、暗い雲を退けるように。

 その時、フードの女は素直に驚きつつ、その場で小刻みに震えて俯いた。俺の突然の大声に恐怖したのか、あるいは・・・


「・・・ふふ、ふふ、あはははははは!!」


「───っ!?」


 そして女は盛大に笑った。ただ純粋に楽しそうに、愉快そうに、嬉しそうに。美しくも恐ろしい声で、高らかな笑い声を夜の空に響かせた。


「ふふ!」


「なっ!?」


 女は小さく笑いながらも、破壊された鉄格子の前にまで勢いよく迫り、俺との距離を一瞬で詰める。

 そのあまりの速度と気迫に押され、俺が尻もちをつくと、微笑む女はこちらを見下ろしながら、そのフードを豪快に剥ぎ取った。それと同時に夜空の暗い雲は消え失せて、眩い月明かりが壊れた檻の中に差し込む。


「───あ。」


 その瞬間を、俺は死ぬまで忘れないだろう。その瞬間だけは俺の視界にはその女しか映らない。それ程までに、その光景は、脳裏に深く焼き付けられるほど、凄まじく、衝撃的で、美しかった。

 擦り切れたフードが取り払われ、露わになったその姿。この地方では珍しい艶のある漆黒の長髪に、宝石のような黒紫の瞳、透き通った白い肌。

 その姿を見る者全てを惹きつける神々しい美貌。白く大きな月に照らされたその姿は、まさに漆黒の女神だった。

 

「ふふ、気に入ったわ。私はルテナ。白き月からの来訪者。漆黒の魔女。」


 その女、ルテナは美しく微笑みながら、俺のことを遥か高みから優しく見下ろす。その時、まだ腕に残っていた手枷を軽々と破壊し、地面に投げ捨てる。


「貴方には期待してるわよ、アルトラ。」


 そして、ルテナは壊れた檻の中に手を差し伸ばした。ただ呆然と目を見開く俺に向かって、真っ直ぐに。その美しく透き通る声で、俺の名を嬉しそうに呼びながら。


 この瞬間こそが俺と魔女との出逢いだった。しかし同時に、それは定められた終わりへの始まりでもあっただろう。

 それでも俺は構わない。たとえこの差し伸べられた手が破滅へ向かうのだとしても、今はただ、夜空の月に照らされた彼女の姿は、こんなにも美しいのだから。



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