第1夜「滅びの夜」
それは遥か昔。人類の文明が発達し始め、人々が剣を手に、国をつくり始めた頃。大陸の南、砂漠の多い荒野、大きな山の麓に王国があった。人々が語り継ぐ歴史によると、最初の王様は月から舞い落ちた一体の魔女と契約を交わし、戦場を駆け抜け、王となり、国を繫栄に導いたのだという。
しかし、それも今は昔のこと。その王国は十年も前に、大陸の西から進行してきた帝国によって滅ぼされ、世界は新たな時代を迎えた。当時の王国の人々は身分を追われ、帝国の人間たちに支配された。そして、その王族に至っては・・・
「───はい、今日の講義はここまで。」
その言葉が合図となり、大人しく清聴していた若者たちは大声で騒ぎながら、一斉に学舎から飛び出す。退屈な講義に、覚える価値のない歴史。こうした学生たちの反応は、きっといつの時代も変わらないだろう。
「はぁ。」
そういう俺も、その有象無象のうちの一人。こんな廃れた国の歴史になんて興味はない。壁際の床から立ち上がり、急ぎ足で学舎を後にする。
建物の外に出て陽の光を浴びながら、赤茶色の髪をかき上げていると、背後から俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「アルトラ! もう始めてるよ!」
「・・・フララか。よしっ、いま行く!」
この明るく元気そうな少女の後を黙々とついていくと、校舎の中庭には多くの学生たちが待機していた。彼らは各々の武具を手入れしながら、燃えたぎる闘争心に満ちている。
これから始まるのは学生たちの剣の稽古。帝国のさらなる繁栄のために、我々若者は知識を学び、剣を鍛えて力を蓄える。それが国としての方針、国民としての義務。あぁ、気持ち悪い。吐き気がしそうだ。
「おいアルトラっ、今日こそ一本とるぞ! ほら、俺と向き合え!」
「・・・あぁ、受けて立つ!」
その時、同年代にしては体格の良い、肌の浅黒い男に声をかけられる。これは堂々とした対戦の申し込み。こちらも二つ返事で了承。この大勢の前で、断るのは大恥だ。
「じゃあ今日も私が見届けするね。」
「よし、頼んだぞフララ。アルトラの手当ては任せた。」
「おいどうした、はやく来いよ、鈍間。」
「言われなくても、行ってやらぁぁぁぁ!」
「───っ!」
その瞬間、木製の剣と剣が衝突する。学舎にはカッカッとした乾いた音が響く。沸き立つ学生たちの歓声の中、その剣は軽く、重く、鈍い衝突を繰り返し、俺と男の剣闘は加速する。
「ははっ、どうしたアルトラ、そんなものか!」
「───はっ、まだまだっ!」
俺たちはお互いに笑いながら、木剣を本気で叩き合う。正確に間合いを詰め合いながら、一進一退の攻防を続け、お互いの技を磨く。それでも俺からしたら、こんな戦いもどきは緩いものだが。
「───なっ!?」
その時、俺は力任せの大振りを放ち、相手の剣を弾いて、その体勢を僅かに崩す。それを立て直そうと、弾かれた剣を大きく振り下ろしてくるのも予想済み。あとは流れるように男の懐に入り込んで、その首筋に剣を淡々と運ぶだけ。
「はい、死亡。」
「・・・くっ、くそ、また負けた。」
「はは、昨日よりかは良かったぞ。」
俺は笑いながら剣闘後の握手を交わす。相手の男は本気で悔しがりながらも、その手に応じつつ、その目は死んでいない。とすると。
「おらっ、隙やり───」
「───っ。」
「───ぐっ!」
やはり男は諦めずに剣を振ってきたので、俺は最小限の動きでその攻撃を回避して、彼の利き腕にこちらの剣を力一杯に叩きつけ、武器を握る力を失わせる。
「ち、ちくしょう。」
「はは、見え見えだ。」
男は悪態をついて腕を押さえつつ、地面に膝をつく。最後に立っているのは俺。誰が見ても文句なしの勝敗。瞬間、巻き起こるのは歓声と拍手だ。
「まったく、相変わらず強えな、アルトラ。」
「いやいや、僅差だよ、僅差。」
俺は男の手を取って立ち上がらせる。今度こそ不意打ちはないだろう。その目にはもう闘志はない。この戦いは終わった。その後、俺たちはお互いの剣を褒めて、指摘して、研究し合う。こうして切磋琢磨する事で日々成長していく。いつか訪れる戦いのために。
しかし俺にとってはどうでも良かった。必死であった相手には悪いが、こんな所で、一般学生を前に、いくら緩い稽古を続けようとも、何の足しにもなりはしない。このレベルはもう何年も前に通った道。あの頃の修行の日々に比べたら、これはおままごとに等しい遊びだ。
ゆえに俺が本気など出すはずもない。必死な思いで会得した技など用いずとも、些細な駆け引きだけで勝てる。それが素人相手には十分だ。
そして、それからも剣の衝突音は響き続け、学生たちの熱は高まり続けるが、彼らは日が暮れ始める前に身支度を始める。
例に漏れず、俺もいつものように、彼らとともに他愛もない会話をしながら帰宅し始める。これが俺の日常。十年前、全てを失ってから、漠然と繰り返してきた予定調和。
「なぁ聞いたか、また帝都に送る奴隷増やすらしいぞ。」
「聞いた聞いた。隣国との戦争に使うんだろ? この前帝都のお貴族様が嬉しそうに話してたよ。」
「はは、俺たち帝国学生には関係ないとはいえ、旧国の奴らは、ほんと気の毒だよな。」
学生たちが吞気に街を歩きながら話す。ここは帝国領の辺境、大きな山の麓の都市、ヘテルミア。かつて滅ぼされた国の王都であった場所。その当時の面影はあるものの、舗装された道を行き交うのは帝国の人間ばかり。大多数の旧王国の民は、都市の郊外か、領地の隅に追いやられているのが現状だ。
「ちょっと皆んな、品がないよ?」
「別にいいだろ。これが俺たち帝国の人間の特権さ。なぁ、アルトラ?」
「・・・」
「アルトラ?」
「アルトラ、どうしたの?」
「あ、あぁ。何でもないさ。」
「なにボケっとしてるんだよ。せっかくのイケメン顔が台無しだぜ。」
「はは、悪い悪い。」
俺は自然な愛想笑いを見せながら、学友たちに向き合い、こころのなかで静かに反省する。過去はどうであれ、今は普通の学生なんだ。
アルトラ・アーデ。十六歳、男。赤茶色の無造作な短髪に、白い肌、濃緑色の瞳。人より度胸と愛嬌のある人間。そう、これが俺だ。あるべき姿の俺なんだ。
それから数刻、俺はアルトラ・アーデという帝国学生の仮面を取り戻し、緩い日常に務めようとしたが・・・
「───っ。」
中高層の建物の角、この大きな道の先で、その光景を目撃して、咄嗟に立ち止まった。
俺の瞳に一瞬でも映った擦り切れたローブ、その隙間から溢れた靡く黒髪。それはとても懐かしいような、得体の知れない感覚。それを俺は、いつか、どこかで。
「あ・・・えっ、ちょっと!?」
そして、気がつくと俺は何も考えずに走り出していた。その挙動に困惑するフララや学友たちのことなど捨て置いて、その視界の先へ。
「どうしよう、アルトラ行っちゃった・・・」
「ほっとけほっとけ。アルトラ! 俺たち先行くからな!?」
「ほーら、フララも帰ろう。」
「う、うん。」
学友たちは何事もなかったようにして、各々自由に帰路に着く。その中でも少女だけは心配そうな視線を送るも、飛び出した少年の後を追うことはなかった。
「くそっ、ほんと、最悪だっ!」
俺は全力で走りながら、心の中の苦しみを解き放つように悪態をついた。そう、確か昔からこうだった。
自分でも納得がいかない光景を目の前にしたら、我慢できずに突っ走ってしまう。父や母、師や姉にも咎められていた悪癖。
「おいっ、待てっ!」
「───っ。」
そして俺は追いついた。そこは明るくも建物の影になっていた曲がり角の先で。武装した兵士と、その男が手に持つ鎖に繋がれた人々が歩く場所に。
「何だお前。帝国学生が何の用だ?」
「その人たち、どうするつもりなんだ?」
「はぁ!? 見りゃ分かるだろ、奴隷だよ、奴隷。これから帝都の客に届けて売り払うんだよ。つかテメェには関係ねーだろ。」
兵士の男は感情を荒ぶらせ、大声で叫ぶ。すると、鎖に繋がれ列をなす老若男女の奴隷たちは、最後尾にいた一人のローブ姿の奴隷を除き、全員が同時に震えて悲鳴を上げる。
「うるせぇ!」
「おいっ、同じ国の・・・同じ人間だろ。」
俺は男が振り上げようとした拳を止める。しかし、兵士は不機嫌そうにしたかと思えば、瞬時に顔色を変えて、愉快そうに笑い出す。
「はっ、青臭いガキだな。いいか、こいつらは揃いも揃って、クソの罪人さ。奴隷になって当然のクズどもだ!」
男はその勢いのまま、目の前にいた奴隷の少女を強く蹴り飛ばす。しかし、その暴挙によって地面に倒れた少女には目線も移さない。まるで物のような扱いだった。
「それによ、帝都兵の俺からしたら、旧王国の人間なんざ問答無用で家畜だ。」
「───っ!」
「なんだ、何か文句あるのか? もしやお前も───」
その瞬間、薄暗い日陰の路地の空気が変わり、兵士の男の手が腰の剣に触れそうになるが、俺はその動作を阻むように小さな笑い声を上げる。
「いやー、悪い悪い。ちょっと滑稽でな。」
「あ? なんだ───」
「だって俺の目から見ると、あんただって身の丈に合ってない皮を被った豚に見えるからさ。なにも自分の功績でもないのに勝ち誇って。お飾りの服に、お飾りの剣を見せびらかす。ふっ、だからさ、あんた、自分で自分を───」
「テメェ!?」
「───っ!」
その時、兵士の男は叫び声を上げると同時に剣を抜いた。しかし、それは欠伸が出るほど緩い所作だったので、俺はその間抜けな男の剣を素早く蹴り飛ばした。
「───なっ!?」
「隙だらけ、だな。」
そして、仮にも兵士のくせに、愚かにも状況を理解できていない男の腹に、拳を強く叩き込んで、その意識を容易に刈り取る。
それから俺は地面に落ちた剣を拾って、奴隷にされた人々の鎖を順に破壊していき、その手足を自由に開放する。
「はやく逃げろ!」
しかし解放された筈の人々は、しばらく困惑してその場に立ち止まっていたので、俺が剣を振り上げて叫ぶと、揃って怯えるように逃げ始めた。
最後まで面倒を見ないのは無責任かもしれないが、俺はそこまで優しくも、ましてや今はその力も余裕ない。
こんな事を肯定するのは吐き気がするが、奴隷は客にとって商品であることに変わらない。
そして兵士は国家にとっての武器。
俺はただの学生でありながら、その大切な戦力に手を上げて、売却予定の商品を勝手に解き放った。
安い正義感と復讐心、その衝動的な行動だったとはいえ、まったく割に合わない。はやく俺もこの場から逃げなければ───
「・・・」
「?」
───そう思って、適当に剣を捨て去り、逃亡しようと顔を上げた時だった。
擦り切れたフードを被った奴隷がこちらを真っ直ぐに見ていた。
俺もその姿を不意に見ていた。
その顔は暗く隠されて見えないが、かろうじて確認できる腕や足の細さからは、おそらく女性だろう。し
かし、一体どうして逃げないのだろうか。
「・・・」
その女性は何も言葉を発しない。ただ恐ろしいほど静かに、黙々と俺の姿を見つめている。まるでそこにいて、そこにいない、亡霊や幻覚を見ている気分だ。
・・・まさか枷ごと壊してほしいのだろうか。
そろそろ気絶させた兵士も起きるだろうし、時間を取られるのは勘弁してほしいのだが。
「───おい。」
「え───」
そして、俺がその女性に歩み寄ろうとした時だった。その瞬間、後頭部に強い痛みと衝撃が走り、俺は力なく地面に倒れた。
そこからは情けないほど悲惨なものだ。怒り狂った兵士による暴行と、鼓膜が破れそうなほどの罵詈雑言。
まったく、五月蝿いうるさい。こんなガキ相手に、そんなに、叫ばなくても。
激しく揺れる視界、薄れゆく意識の中、最後に視界に映ったのは、俺の姿を遠くから見下ろすようなローブ姿の女性の、その暗闇から覗いていた青紫の瞳だった。
その後、目が覚めると、曲がり角の路地から景色は一変。時間は淡々と流れ、まだ明るかった筈の空は暗く、いつの間にか世界は夜になっていた。寝坊にしてはタチが悪い。やけに硬く冷たい床からの目覚めも悪い。
そして・・・
「・・・はぁ。最悪だ。」
・・・そして俺は見事に暗い檻の中にぶち込まれていた。




