第49話 獅鬼と拳鬼
カウアードの体が鉄骨の壁を伝い、ずるずると崩れ落ちた。
血の混じった唾が床に滴り、広がった赤がじわりと染み込んでいく。
呻き声すらもう出せない。目は虚ろで、二度と動かなかった。
倉庫の空気は重く、静まり返った。
それまで怒号を上げていた大和連合の兵隊たちは、まるで凍り付いたように固まっていた。
「う、嘘だろ……」
「まさか、カウアードさんが……」
どよめきはやがて恐怖の連鎖に変わる。
蜘蛛の子を散らすように、兵隊たちは一斉に背を向けた。
鉄パイプを放り捨て、チェーンを投げ捨て、誰もが出口へ殺到する。
「化け物だ……!」「敵うわけがねぇ!」
悲鳴に近い叫びが響き、ドタバタと靴音が遠ざかっていった。
残されたのは、血の匂いと汗の蒸気が立ちこめる倉庫と、荒い呼吸を繰り返す二人だけ。
ゴウキは血まみれの肩を上下させ、拳を開いて閉じてを繰り返した。
「……これで、南も終わりか」
声はかすれていたが、その眼差しはまだ消えていなかった。
背後から足音。
ジンキが歩み寄ってきて、血まみれの顔をゆがめながらも笑った。
「やるじゃねぇか。見事にぶっ潰したな」
ゴウキは口元を拭い、少し息を整えてから答える。
「てめぇだって同じだろ。……兄弟まとめて倒した。これで大和連合は終わりだ」
二人は互いに視線を交わし、言葉はなくとも通じ合った。
そのまま夜の街を走り出す。
―
潮多工業の裏手に戻ったのは深夜。
暗がりの中、仲間たちが待ち構えていた。
「来た!」
コウスケが真っ先に駆け寄る。顔には安堵と不安が入り混じっている。
「おい! 無事なのか!?」
「なんとか……な」ゴウキは肩を竦める。
その後ろからジンキがゆっくり歩み出て、にやりと口角を上げた。
「報告だ。南は――潰した」
沈黙。
その一言の重さを理解するまで、皆の頭は真っ白になった。
「……マジで……?」香田が眉をひそめる。
「有森兄弟……二人ともやったってのか?」
ゴウキは短く頷いた。
「もう立てねぇ。あいつらは終わった」
ガリバーが太い腕を組み、低く唸る。
「東に続いて南も、か……信じられねぇ話だな」
そしてマッスルが豪快に笑い出した。
「ははっ! お前ら、やっぱ化け物だ! 東も南も潰したってことは、もう潮多の名は県中に響き渡るぞ!」
コウスケは机を叩くような勢いで言う。
「それが問題なんだよ! 間島のドライブに続いて、大和の有森兄弟まで……こんな短期間で二つの大きな勢力が潰れたんだ。しかも、どっちも“潮多工業の双天鬼”がやったって広まるに決まってる!」
「だからなんだ?」ジンキが笑う。
「来るやつはまとめてぶっ潰す。それだけだろ」
「……それがどんだけ危ねぇことか、分かってんのかよ」コウスケは苦い顔をした。
ゴウキは無言で壁にもたれ、深く息を吐いた。
勝ち取ったものの重さを、体の痛みが物語っていた。
―
数日後。
ゲーセンの隅。
「聞いたか? 双天鬼が南を潰したってよ」
「嘘つけよ。大和連合の有森兄弟だぞ?」
「マジだって! カウアードもミーンネスもやられたんだと」
駅前の広場。
「間島のドライブも潰されてんだろ? これで東と南は潮多のもんだ」
「潮多工業なんてもう名前だけじゃねぇ。今は双天鬼の時代だ」
コンビニ前のたまり場。
「ジンキってやつ、拳だけで全部沈めたらしいぞ」
「ゴウキってのは投げで人間をぶっ壊す怪物だってな」
「拳鬼と獅鬼……らしいぜ。まるで伝説みたいだ」
本人たちが一度も名乗ったわけではない。
けれど呼び名は一人歩きし、恐怖と憧れを混ぜながら広がっていった。
「双天鬼……拳鬼と獅鬼。東と南はもうあいつらのものだ」
―
潮多工業の屋上。
夕焼けの街を見下ろしながら、ジンキが煙草をくわえて笑った。
「最近、やけに視線を感じるんだよな。知らねぇ奴までこっちを見てくる」
ゴウキは手すりに肘をつき、曖昧に答えた。
「……さぁな」
二人の知らぬところで、すでに彼らは“拳鬼と獅鬼”と呼ばれていた。
誰かが作った伝説は、止まることなく県中に広まり、次なる戦いの布石となっていた。
夜風が吹き抜ける。
鉄の街の片隅で、双天鬼の名は確実に歴史を刻みつつあった。




