第十七話 仏像の歴史(2)天平仏
次は奈良時代すなわち
和銅三年(710)の平城京遷都から、
延暦十三年(794)の平安遷都までを天平時代とも言いますが、
この時代の仏像を天平仏といいます。
それまで仏教や仏像は貴族を中心としたものでしたが、
聖武天皇の代になって、天皇自身が仏教に帰依し、
仏教の性格が前代よりもさらに国家的要素を加え、
造寺造仏も国力を傾けて造営されるようになります。
まずは平城遷都にともない
藤原京やその付近にあった大安寺・興福寺・薬師寺などの大寺が
平城京に移転し、
たちまち奈良の都は寺院、仏像の建立ラッシュとなります。
さらに聖武天皇は、
天平十五年(743)諸国に
国分寺・国分尼寺を建立する勅令を出し、
平城京には総国分寺として
毘盧舎那仏像(奈良大仏)を本尊とする、
東大寺の造営を行います。
このように天平時代の大半は、
歴代天皇の庇護のもとに国家仏教として、
奈良の都を中心に空前の仏教芸術の花が咲いた時期です。
仏像彫刻も、遣唐船や留学僧などによって、
もたらされた、唐様式の新しい仏像様式や、
乾漆、塑像等の新しい素材をとり入れた造像が行われました。
特に、東大寺の造営に際しては
造東大寺司という役所が設けられ、
仏像はその中の造仏所で多くの工人たちによって
組織的に行われ、
旺盛な仏像の需要を背景に、
乾漆や、塑像等、
流れ作業的に制作出来る造像法と相俟って
かつて無い程大量の仏像が作られたといいます。
天平仏として、代表的なものを列挙するとすれば
金銅仏としては
東大寺の盧舎那仏像(膝の部分が天平当初のもの)を
はじめ同寺誕生仏及び半跏思惟像、
脱乾漆像では、
東大寺三月堂の不空羂索観音像をはじめ、
梵天・帝釈天・四天王像、興福寺十大弟子・八部衆立像、
唐招提寺盧舎那仏像、
木心乾漆には、
奈良聖林寺十一面観音像や京都観音寺の十一面観音像など、
塑像の像としては、
法隆寺五重塔塑像群をはじめ、
東大寺三月堂の日光・月光菩薩立像、
同寺戒壇院の四天王像、
同三月堂執金剛神像や
新薬師寺の十二神将像など、
天平彫刻、引いては
日本仏教彫刻を代表する作品がひしめいています。
天平仏の特徴は、
前時代の形式的な造形に比較し、
写実的な要素が極めて大きくなります。
面相も白鳳時代の童子形から脱却し、
円熟した理知的写実性を持つものが多くなるのです。
東大寺戒壇院四天王立像や法華堂(三月堂)諸像など、
写実性を保持しながら、
内面的な崇高な精神性を表現した像は、
日本の仏像文化の頂点と言ってよいのではないでしょうか?




