新たな家臣
上田城の一室。
真田幸村の前に、ロラン・モンフォール=ヴァレンティエールが深々と頭を垂れていた。
その傍らには海野六郎が控えている。
「此度の一件、まずはお詫び申し上げます」
ロランの声は重かった。
「我が配下が、殿の許しも得ず領外にて武力を行使いたしました。いかなる事情があろうとも、越権行為であったことに変わりはございません」
幸村は黙って聞いていた。
「すべては私の監督不行き届きにございます。いかようなご処分でも、お受けする所存にございます」
「ふむ」
幸村は小さく頷いた。
「ロランよ。そなた、真田の法を覚えておるか?」
「はっ。民を守り、健やかに暮らせるよう取り計らうことと心得ております」
「うむ。その通りじゃ」
幸村は穏やかに続けた。
「では、ひとつ聞こう。その法のどこに、真田の領民のみを守れと書いてある?」
「……は?」
「わしは民を守れと申した。真田の民だけを守れとは、一度も申しておらぬ」
ロランは思わず顔を上げた。
「飢えた者がおれば飯を与え、虐げられた者がおれば手を差し伸べる。そこに領境など関わりあるまい」
「されど、他領の兵と刃を交えたことは……」
「民を守るためであろう?」
「……はっ」
「ならば、咎める理由がない」
幸村は言い切った。
「此度の件、ロランならびに配下の者ども、真田の法に照らして咎めなし。これがわしの沙汰じゃ」
「幸村様……!」
ロランの顔に、わずかな安堵が浮かんだ。
だが、幸村の言葉はそこで終わらなかった。
「もっとも、それでは困るのであろう?」
「……と、おっしゃいますと?」
「相手は貴族じゃ。そなたが正しいと申したところで、素直に引き下がるまい」
ロランは沈黙した。
まさしく、その通りであった。
「領外で兵を動かしたことを口実に、そなたを責め立てるであろうな」
「……はい」
「ならば、こういたせ」
幸村は静かに告げた。
「あの兵を率いた者を、平民に落とせ」
「……は?」
「騎士爵を剥奪し、領地より追放せよ」
「お、お待ちください!」
ロランが思わず声を上げた。
「あの者は民を救うために戦ったのです! 部下を失いながらも、己の信じる正義を貫いた男にございます!」
「うむ。聞いておる」
「ならば、なにゆえ!」
幸村は、そこで初めて笑みを浮かべた。
「ロラン。そなたは相変わらず真面目な男じゃな」
「……は?」
「所払いとなれば、あの者は行く当てを失うのであろう?」
「……おそらくは」
「ならば、上田へ参るよう伝えよ」
「上田へ、でございますか?」
「うむ。どのような人物か、一度会ってみたいものじゃ」
ロランは驚いたように顔を上げた。
「……承知いたしました」
幸村は満足げに頷いた。
六郎はそんな主君を見ながら、小さく息を吐いた。
どうやら、また一人、殿の興味を引く者が現れたらしい。
◇
それから、幾日かが過ぎた。
上田の城門に、一台の馬車が姿を現した。
御者台に座るのは、旅装束に身を包んだ一人の男。
その傍らには妻が座り、荷台からは幼い子供が物珍しそうに顔を覗かせていた。
「父ちゃん、ここが上田?」
「そうだ」
「すごいね! 人がいっぱい!」
男は小さく頷いた。
かつてロランの配下として警備隊を率いていた男である。
あの一件の後、男は騎士爵を剥奪され、領外追放を命じられた。
しかし、処分を言い渡したロランは、男に一通の書状を手渡していた。
『上田へ行け。真田幸村様がお前に興味をお持ちだ』
最初は耳を疑った。
だが、ロランが冗談を言うような人物でないことは、誰よりも知っていた。
そして今、男は家族を連れて上田の地に立っている。
「……これが、上田か」
城門の向こうには、活気に満ちた街並みが広がっていた。
荷車を引く商人たちが行き交い、店先では威勢のよい声が飛び交っている。
道端では子供たちが笑いながら走り回り、それを見守る大人たちの顔にも笑みがあった。
男は驚いていた。
ロランの領地も、王国内では比較的暮らしやすい土地であった。
領主は民を思い、理不尽な税を課すこともなく、兵たちも規律を守っていた。
だが、この街は違う。
民の表情が、まるで違うのだ。
誰もが明日の暮らしに怯えているわけではない。
子供たちは兵士の姿を見ても逃げず、むしろ手を振っている。
「……なんという街だ」
思わず呟いた。
妻もまた、街並みを見渡していた。
「あなた。ここなら、あの子も安心して暮らせるかもしれませんね」
「……ああ」
男は静かに頷いた。
城門の衛兵に、ロランから預かった書状を差し出す。
「ロラン・モンフォール=ヴァレンティエール様より、真田幸村様への紹介状を預かっている」
衛兵は書状を確認すると、すぐに姿勢を正した。
「お待ちしておりました。ご案内いたします」
「……お待ちしていた?」
「はい。殿より、あなた様がお越しになれば、すぐにお通しするよう申し付かっております」
男は再び驚いた。
爵位を失い、領地を追われた自分を、領主が待っていたというのか。
ほどなくして、男は上田城の一室へと通された。
妻子は別室に案内され、温かい食事が用意された。
そして男は、初めて真田幸村と対面することとなった。
◇
「そなたが、ロランの申しておった男か」
幸村は男を見据えた。
傍らには海野六郎が控えている。
「はっ。此度はお目通りを許され、恐悦至極に存じます」
「堅苦しい挨拶はよい。まずはひとつ、聞きたいことがある」
「何なりと」
「なにゆえ、領境を越えて戦った?」
男は顔を上げた。
「民を救うためにございます」
「ほう」
「貴族となった以上、民を守ることこそ我が務めと心得ております」
幸村は頷いた。
「では、そのために主を危うくし、部下を死なせることになってもか?」
「……はい」
男の返答に、迷いはなかった。
「我が主も、我が部下も、民を守るためにこの世にあると信じております」
「それが主の考えと違うてもか?」
「主君には主君のお立場がございます。されど、目の前で民が殺されようとしているのを見過ごすことは、私にはできませぬ」
「ふむ」
「無論、判断を下した責はすべて私にございます。部下に罪はなく、ロラン様にも罪はございません」
男はまっすぐ幸村を見つめた。
「この身を処刑されようとも、あの時の判断が間違っていたとは思いませぬ」
しばし、沈黙が流れた。
やがて幸村が、口元を緩めた。
「……面白き漢よな、六郎」
「左様にございますな」
「主を危うくし、部下を死なせ、それでもなお己の信念を曲げぬと申すか」
「はっ」
「気に入った」
幸村は膝を打った。
「今日は旅の疲れを癒やすがよい。明日より、わしの家臣として働いてもらおう」
「はっ! ありがたき幸せ!」
男は深々と頭を下げた。
だが、その時である。
「殿。少々よろしゅうございますか」
六郎が口を挟んだ。
「何じゃ?」
「殿。この者を召し抱えることに異存はございませぬ。されど、ロラン殿の立場もございます。以前の名のままでは、いささか差し障りがありましょう」
「……ふむ」
幸村は顎に手を当てた。
「確かに、そうじゃな」
しばし考え込む。
そして、何かを思いついたように男へ顔を向けた。
「そなた、名を変える気はあるか?」
「名、でございますか?」
「うむ。今までの名を捨て、新たな名でわしに仕えてもらいたい」
男は一瞬驚いたが、すぐに頭を下げた。
「この身はすでに、爵位も職も失った者にございます。殿のお好きなように」
「よし!」
幸村は満足げに頷いた。
「では、今日よりそなたの名は……」
一瞬、幸村の目が遠くを見た。
「木村重成とする」
「……キムラ、シゲナリ」
男は、聞き慣れぬ響きを確かめるように、その名を繰り返した。
その傍らで、六郎が目を見開いた。
「殿……その名は!」
「うむ」
幸村は静かに頷いた。
「忘れ得ぬ名じゃ」
男は不思議そうに二人を見比べた。
「恐れながら、その名には何か由来がございますので?」
幸村はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「わしの故郷に、木村重成という若武者がおってな」
「若武者でございますか」
「うむ。幼き頃より、ある高貴なお方に仕えておった。若年ながら武勇に優れ、忠義厚き、まこと見事なもののふじゃ」
幸村は懐かしむように目を細めた。
「大坂夏の陣にて……いや、大きな、それは大きな戦さがあってのう」
その声が、わずかに沈んだ。
「重成は若くして兵を率い、敵の大軍を相手に見事に戦った」
「その方は、どうなされたのでございますか?」
「……討死じゃ」
幸村は静かに答えた。
「されど、その武勇と忠義、今も忘れられぬ」
六郎は黙って目を伏せた。
「惜しい男であった。あのような若者が生きておれば、また違う世になっておったやもしれぬ」
幸村は新たな家臣へと向き直った。
「そなたの心意気を見て、あの男を思い出したのじゃ」
男はしばらく言葉を失っていた。
やがて、深く頭を垂れた。
「……身に余る光栄にございます」
その声は、わずかに震えていた。
「この名に恥じぬよう、誠心誠意、お仕えいたします」
「うむ。頼りにしておるぞ、重成」
「はっ!」
こうして、一人の男が真田家に加わった。
その名を、木村重成。
かつて日の本にて散った若武者の名が、異世界の上田に再び刻まれることとなった。




