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異世界真田太平記  作者: まん丸


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法の元に

 王国北部。

 モンフォール伯爵領へと続く街道を、一組の家族が歩いていた。

 父親と母親、そして二人の幼い子供。

 長年暮らした村を捨て、夜明け前に家を出てから、既に幾日かが過ぎていた。

 背負った荷物は僅かだった。

 家財のほとんどを置いてきた。持っているのは、僅かな食料と着替えだけ。

「父ちゃん、まだ歩くの?」

 幼い息子が弱々しい声を上げた。

「ああ。もう少しだ」

「もう少しって、さっきも言ったよ……」

「そうだったか?」

 父親は苦笑した。

 そして、谷の向こうを指さした。

「ほら、見えるか? あの谷を下りれば伯爵様の領地だ!」

「本当?」

「ああ! だから、もうひと頑張りだ!」

 男は家族を励ました。

 谷の先には、小さな警備小屋が見えていた。

 あそこまで行けば、きっと助かる。

 そう思った時だった。

 ドドドドドッ!

 背後から馬蹄の音が響いた。

「……まずい!」

 男は振り返った。

 数騎の兵士が、土煙を上げながら迫ってくる。

「走れ!」

 男は息子を抱き上げ、妻の手を引いた。

 だが、疲れ切った家族の足では、馬から逃げ切れるはずもなかった。

「いたぞ! 逃亡農民どもだ!」

 兵士たちが一家を取り囲んだ。

「領主様の許しもなく逃げ出しやがって!」

「お願いします! どうか見逃してください!」

「黙れ!」

 馬上から蹴り飛ばされた男が、地面に転がった。

「父ちゃん!」

 子供が悲鳴を上げた。

「連れ戻せ! 逆らうなら痛めつけても構わん!」

「やめてください!」

 妻が夫に覆いかぶさった。

「子供たちだけは……!」

「うるさい!」

 兵士が剣を抜いた。

     ◇ ◇ ◇

 その一部始終を、谷の先にある警備小屋から見ている者たちがいた。

 モンフォール伯爵領の警備隊である。

「隊長! あれを!」

「ああ、見えている」

 隊長は険しい顔で街道を見つめていた。

「農民の一家のようです。追っ手に捕まったのでしょう」

「……」

 隊長は腰の剣に手をかけた。

「行くぞ」

「はっ?」

「助けに行く」

 部下が慌てて声を上げた。

「お、お待ちください! あそこはまだ男爵領ですぞ!」

「分かっている」

「他領へ兵を入れれば、問題になります!」

「それも分かっている」

「では、なぜ!」

 隊長は部下を見た。

「見捨てろと言うのか?」

「……!」

「あそこには幼い子供もいる」

「し、しかし……」

 隊長は静かに告げた。

「責任は俺が取る」

 部下たちは顔を見合わせた。

「……隊長」

「お前たちに無理強いはせん。だが、俺は行く」

 隊長は馬に跨った。

 その時、一人の兵士が笑った。

「まったく……隊長だけにいい格好はさせられませんな!」

「俺も行きます!」

「俺もです!」

 次々と兵士たちが馬に跨った。

 隊長は小さく笑った。

「……馬鹿どもめ」

 そして剣を抜いた。

「行くぞ! 民を守る!」

「おおっ!」

 警備隊は一斉に駆け出した。

 領境を越え、男爵領へ。

     ◇ ◇ ◇

「待て!」

 突然の怒声に、追っ手の兵士たちが振り返った。

「何者だ!」

「モンフォール伯爵領の警備隊だ!」

「何だと!?」

 追っ手の隊長は目を見開いた。

「ここは我が男爵領だぞ! 何の権限があって踏み込んできた!」

「その者たちを放せ!」

「ふざけるな! こいつらは我が領民だ!」

 警備隊長は馬から降り、農夫へ近づいた。

「お前たち、どこへ行くつもりだ?」

「……上田へ」

「上田?」

「はい……真田様の領地へ行きたいんです!」

 農夫は涙ながらに訴えた。

「俺たちは、ただ、子供たちに腹いっぱい飯を食わせてやりたいだけなんです!」

 隊長は黙って聞いていた。

「どうか……助けてください!」

 農夫は地面に額をつけた。

 隊長は頷いた。

「分かった」

 そして部下たちに命じた。

「この家族を守れ!」

「はっ!」

 追っ手の隊長が怒鳴った。

「貴様! 他領へ勝手に踏み込んだうえ、我が領民を奪うつもりか!」

「この者たちは助けを求めている」

「知ったことか! 男爵様の命令だ!」

 警備隊長は剣の柄に手を置いた。

「こちらにも、守るべき法がある」

「法だと?」

「真田の法だ」

 隊長は静かに告げた。

「我らは、その法に従う」

「盗賊上がりの作った法など知るか!」

 追っ手の隊長が剣を抜いた。

「邪魔するなら、貴様らも斬り捨てろ!」

「構え!」

 警備隊も一斉に剣を抜いた。

 次の瞬間、両軍が激突した。

     ◇ ◇ ◇

「農民たちを下がらせろ!」

「はっ!」

 警備隊の兵士たちは、家族を背後へ逃がしながら追っ手を迎え撃った。

 人数に大きな差はなかった。

 だが、騎馬を巧みに使う追っ手に対し、警備隊は農夫一家を守りながら戦わねばならない。

「右から来るぞ!」

「防げ!」

 剣と剣がぶつかり合った。

 馬が嘶き、土煙が舞う。

「父ちゃん! 怖いよ!」

「見るな! 母ちゃんの手を離すな!」

 農夫は子供たちを抱きしめた。

 その時、一騎の兵士が警備隊の脇を抜けた。

「そこをどけ!」

 追っ手の剣が、農夫の妻へ向けて振り下ろされた。

「危ない!」

 若い警備兵が飛び出した。

 その剣を受け止める。

 だが、その瞬間。

 別の追っ手が突き出した槍が、若い兵士の脇腹を貫いた。

「ぐっ……!」

「おい!」

 仲間が叫んだ。

 若い兵士は膝をついた。

 それでも、農夫一家の前から退こうとはしなかった。

「……下がれ!」

 農夫たちへ叫ぶ。

「早く……!」

 警備隊長が駆けつけ、敵兵を斬り伏せた。

「しっかりしろ!」

 若い兵士を抱き起こす。

「……隊長」

「喋るな!」

「……家族は?」

 隊長は振り返った。

 農夫は妻と子供たちを抱きしめていた。

「無事だ! お前が守った!」

「……そう、ですか」

 若い兵士は、かすかに笑った。

「……よかった」

 そのまま、目を閉じた。

「おい……!」

 隊長は兵士の肩を揺さぶった。

「おい!」

 返事はなかった。

 隊長は歯を食いしばった。

 そして、ゆっくりと立ち上がった。

「……押し返せ!」

「はっ!」

「これ以上、一歩も通すな!」

 警備隊の兵士たちは、仲間の死を目の当たりにして奮い立った。

 やがて追っ手は押し返され、隊長の撤退命令とともに街道を引き返していった。

 静寂が戻った。

 負傷した兵士たちが、仲間に肩を借りて立ち上がる。

 そして、一人だけが、二度と立ち上がることはなかった。

     ◇ ◇ ◇

「あ、あの……」

 農夫が警備隊長へ近づいた。

「何だ?」

「俺たち……」

 男は倒れた若い兵士を見た。

「あの人は、俺たちを守って……?」

 隊長は静かに頷いた。

「ああ」

「……どうして?」

「どうして、とは?」

「俺たちは、ただの農民です」

 農夫の声が震えた。

「貴族様の兵隊が、俺たちなんかを守るために命を懸けるなんて……」

 隊長はしばらく男を見つめた。

 そして、言った。

「民を守るのが、我らの務めだ」

「……!」

「それだけのことだ」

 農夫は何も言えなかった。

 これまで知っていた兵士とは、まるで違っていた。

 税を取り立て、逆らう者を殴り、領主の命令で村人を連れ去る。

 農夫にとって、兵士とはそういう存在だった。

 だが、目の前の兵士たちは違う。

 見ず知らずの農民を守るために戦い、命まで失った。

「……ありがとうございます」

 農夫は深く頭を下げた。

「本当に……ありがとうございます!」

 妻も子供たちも、涙を流しながら頭を下げた。

 隊長は小さく頷いた。

「怪我はないか?」

「はい……」

「子供たちも無事だな?」

「はい!」

 隊長は安堵したように息を吐いた。

「……無事で良かった」

 そして街道の先を指した。

「この谷を下りれば、伯爵領だ。そこから上田へ続く道に出られる」

「はい!」

「気をつけて行け」

 農夫は何度も頭を下げた。

 妻も、子供たちも。

 やがて一家は、再び歩き始めた。

 隊長は、その背中が見えなくなるまで見送った。

 そして、倒れた若い兵士へ目を向けた。

「……よく守ってくれたな」

 静かに、その亡骸を抱き上げた。

     ◇ ◇ ◇

 数日後。

 モンフォール伯爵領、領主館。

 ロラン・モンフォール=ヴァレンティエール伯爵は、家臣から差し出された報告書を読んでいた。

「……領境付近で戦闘か」

「はい」

「我が警備隊と、隣領の兵が?」

「その通りでございます」

 ロランは報告書に目を落とした。

 逃亡した農民一家。

 それを追う男爵領の兵士たち。

 そして、農民を守るために戦った警備隊。

 読み進めるうちに、ロランの表情が険しくなった。

「……一名が戦死、数名が負傷」

「はい……」

「農民たちは?」

「一家四人、全員無事でございます。既に上田へ向かったとのこと」

「そうか……」

 ロランは静かに目を閉じた。

 しばらくして、ゆっくりと口を開いた。

「……良くぞ民を守ってくれた」

 家臣が顔を上げた。

「閣下……」

「生き残った兵には恩賞を。負傷者には十分な手当てをせよ」

「はっ!」

「そして、亡くなった兵の遺族には手厚い弔慰金を届けよ。私からも弔意を伝えてくれ」

「承知いたしました!」

 ロランは報告書を机に置いた。

「……それにしても」

「はい?」

「嬉しいものだな」

 家臣は首を傾げた。

「嬉しい……でございますか?」

「無論、兵を失ったことは悲しい」

 ロランは静かに答えた。

「だが、見ず知らずの民を守るために、我が兵たちは命を懸けて戦ったのだ」

「……はい」

「誰かに命じられたわけでもない。褒美を約束されたわけでもない」

 ロランは窓の外へ目を向けた。

「ただ、助けを求める者がいた。それだけで剣を抜いた」

 その顔には、誇らしげな笑みが浮かんでいた。

「……真田の法が、ここまで届いていたとはな」

 先ごろ発布されたばかりの法。

 ロランも、その内容を家臣や兵士たちへ伝えていた。

 だが、これほど早く、兵士たちの行動に表れるとは思っていなかった。

「殿……」

 ロランは小さく呟いた。

「あなたの目指すものが、少しずつ形になっておりますぞ」

 家臣は、少しためらってから口を開いた。

「閣下……実は、もう一つご報告がございます」

「何だ?」

「今回の戦闘ですが……男爵領内で起きたものでございます」

 ロランは顔を上げた。

「……ほう」

「警備隊長は、越境を承知のうえで救援に向かったとのことです」

「そうか」

「他領へ無断で兵を入れたことは、重大な問題になりかねませぬ」

「確かにな」

 ロランは静かに頷いた。

「隊長は何と申しておる?」

「すべて自分の責任であると。いかなる処罰も受ける覚悟だそうです」

「……そうか」

 ロランはしばらく考えた。

「その隊長を、ここへ呼べ」

「はっ。処罰をお命じになりますか?」

「処罰?」

 ロランは家臣を見た。

「助けを求める民を守った者を、なぜ処罰せねばならぬ?」

「しかし、領地侵犯は事実でございます」

「そうだな」

 ロランは報告書を手に取った。

「ならば、その責は私が負おう」

「閣下……!」

「隊長には、良くぞ決断してくれたと伝えよ」

 ロランは微笑んだ。

「そして、直接礼を言いたいとな」

「……承知いたしました」

     ◇ ◇ ◇

「さて……」

 ロランは机の上に置かれた、もう一通の書状を手に取った。

「こちらは何だ?」

「隣領の男爵からの抗議文にございます」

「ほう?」

 ロランは封を切った。

 読み進めるうちに、その眉がぴくりと動いた。

「……我が領民を不当に奪い、領地を侵犯し、兵に損害を与えたことについて、謝罪と賠償を要求する?」

「はい。かなり強い調子でございます」

「……なるほど」

 ロランは書状を机に置いた。

「確かに、我が兵が領境を越えたのは事実だ」

「はい」

「だが、なぜ越えた?」

「……農民を救うためにございます」

「そうだ」

 ロランは頷いた。

「助けを求める民を見捨てればよかったとでも言うのか?」

「い、いえ……」

「我が兵たちは民を守るために戦い、一人が命を落とした。そのことを詫びろと言うのか?」

「……」

 家臣は答えられなかった。

 ロランは深く息を吐いた。

「返書を用意せよ」

「はっ。何とお書きいたしましょう?」

「くだらぬ文を寄越す暇があるなら、まず己の領地をまともに治めよ、と」

「……は?」

 家臣が顔を上げた。

「か、閣下?」

「民が逃げ出すのは、逃げ出したくなる領地だからだろう」

「そ、それは……」

「自らの失政を棚に上げ、他領へ責任を押しつけるとは、何とも情けない話だ」

 ロランは椅子から立ち上がった。

「謝罪も賠償も断る」

「はっ!」

「それでも納得できぬと言うのであれば……」

 ロランは微笑んだ。

「いつでもかかってくるがよい、と書き添えよ」

「か、閣下!?」

 家臣が思わず声を上げた。

「そのような文を送れば、戦になるやもしれませぬぞ!」

「そうだな」

「そうだな、ではございません!」

 ロランは愉快そうに笑った。

「何を恐れる?」

「い、いえ、恐れるというわけでは……」

「我が主君は、王国の大軍を打ち破った御方だぞ?」

「それは存じておりますが!」

「ならばよい」

「よくありません!」

 ロランは笑みを深めた。

「もっとも、殿ならば、まず話し合えと仰るかもしれぬな」

「で、では!」

「だが、謝罪するつもりはない」

 その声が、急に厳しくなった。

「民を救った兵たちに、何を詫びよというのだ」

 家臣は口を閉じた。

 ロランは再び椅子に腰を下ろした。

「そのように書いて送れ」

「……承知いたしました」

 家臣は深く頭を下げ、部屋を後にした。

 ロランは窓の外を見つめた。

「……さて、どう出るかな」

 その顔には、かつて王国貴族として生きていた頃にはなかった、晴れやかな笑みが浮かんでいた。

 真田の法は、既に動き始めていた。

 それは領地の境を越え、王国の古い秩序に、静かに波紋を広げようとしていた。

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