分裂
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「我らは……いつ、聖国へ援軍を求めた?」
その言葉に、先ほどまで歓声に包まれていた広間が、一瞬だけ静かになった。
聖国から援軍を送る用意がある。
三万を超える軍勢を失い、王太子まで討たれたオルレーヌ王国にとって、それは救いの手にも思える。
だが、その手を求めた者は誰もいなかった。
「何を申しておる」
抗戦派の貴族が鼻で笑った。
「求めたかどうかなど、どうでもよかろう。聖国が自ら兵を出すと申しておるのだぞ」
「だから聞いておるのだ。何故、自ら申し出てきた?」
「書状にあったではないか。真田は教会の権利を侵し、神の秩序を乱していると」
「ならば聖国が真田と戦えばよい」
「何?」
男は宰相の手にある書状へ目を向けた。
「何故、我が国へ援軍を送る必要がある?」
「…………」
「真田と戦うだけならば、聖国が兵を起こせば済むことではないのか」
抗戦派の一人が呆れたように肩をすくめた。
「だから何だというのだ。敵の敵が味方になる。それだけのことであろう」
「……そうであればよいがな」
「まだ怖じ気づいておるのか!」
嘲笑が上がった。
「聖国まで我らに味方すると分かった今、和議など不要だ!」
「そうだ! 再び兵を集めればよい!」
「今度こそ真田を討つ!」
抗戦派は勢いを取り戻していた。
それまで和議を主張していた貴族の一人が立ち上がる。
「では聞こう。聖国の軍勢は、どこを通る?」
「何?」
「真田と戦うのであろう? ならば聖国軍は我が国へ入り、我らの領地を通って真田へ向かうことになる」
「当然ではないか」
「何人だ?」
「何がだ」
「何人の兵を入れるつもりだと聞いておる。五千か? 一万か? それとも、それ以上か?」
「それは聖国と話し合えばよかろう」
「誰が話し合う?」
言葉が止まった。
貴族は続けた。
「陛下か?」
誰も答えない。
「王弟殿下か?」
何人かが顔を背ける。
「ラヴァル公爵閣下か?」
「公爵閣下は謹慎中だ!」
「だから聞いておる!」
卓が叩かれた。
「誰が聖国と話し合い、誰が兵数を決め、誰が駐留する場所を決め、誰が帰還する時を決めるのだ!」
「…………」
「援軍だからと喜んで門を開き、その後のことは何も決めておらぬではないか!」
「考えすぎだ!」
抗戦派から声が飛んだ。
「聖国は真田を討つために来るのだ。真田を討てば帰る。それだけの話であろう!」
「その保証がどこにある!」
「聖国を疑うというのか!」
「国を預かる者が、他国の軍勢を疑いもせず自国へ入れる方がおかしかろう!」
再び怒号が飛び交った。
先ほどまでの和平か抗戦かという争いとは、少しずつ形が変わり始めていた。
「聖国が来るならば、なおさら戦うべきだ!」
「だから、その戦場になるのは我らの領地だと申しておる!」
「王国のためならば耐えるのが貴族の務めであろう!」
「卿の領地は戦場にならぬから、そのようなことが言えるのだ!」
「またそれか!」
「何度でも言ってやる!」
宰相は両手を上げた。
「皆様! まずは陛下の御裁可を……」
「いついただけるのです!」
近隣の貴族が即座に遮った。
「今日ですか? 明日ですか? 一月後ですか?」
「それは……」
「その間に真田が動けば、誰が我らを守る!」
「真田が動くと決まったわけでは……」
「動かぬという保証もないでしょう!」
宰相は何も答えられなかった。
王国は真田と戦うのか。
和議を結ぶのか。
聖国の援軍を受け入れるのか。
受け入れるならば、どれほどの兵を、どこまで入れるのか。
そのどれもが、決まらない。
そして決めるべき国王は、今日もこの場にはいなかった。
「……もうよい」
小さな声だった。
先ほど、聖国へ援軍を求めたのかと問いかけた貴族が立ち上がった。
「何だと?」
「もうよいと申したのだ」
男は宰相を見る。
「今日、この場で何かが決まることはあるのですかな」
「それは……」
宰相は答えられなかった。
「ならば、私は領地へ戻らせていただく」
「逃げるのか?」
抗戦派から嘲笑が飛ぶ。
男は振り返らなかった。
「好きに申せ」
それだけを残し、広間を出ていった。
◇
「旦那様」
王都にある屋敷へ戻ると、家臣が男を迎えた。
主人の表情を見ただけで、会議がまとまらなかったことを察したのだろう。
「いかがでございましたか」
「何も決まらぬ」
「……やはり」
「それどころか、聖国が援軍を出すと申してきた」
家臣の顔が明るくなった。
「それは……! では、まだ王国にも勝機が」
「支度をせよ」
「はい?」
「馬を用意せよ。供は少なくてよい」
家臣が首を傾げた。
「どちらへ向かわれるのでございますか?」
「真田のもとへ向かう」
「…………」
家臣の顔から、先ほど浮かんだ喜色が消えた。
「真田幸村のもとへ、でございますか?」
「そうじゃ」
「お、お待ちください。まさか、真田と和議を結ばれるおつもりで?」
「和議ではない」
男は静かに答えた。
「真田に付く」
「…………!」
家臣は息を呑んだ。
「旦那様、本気でございますか!」
「本気じゃ」
「しかし聖国が援軍を送ると申しているのでしょう!? 今ここで真田へ付けば、王国への反逆と見なされます!」
「そうであろうな」
「ならば何故!」
男は窓辺へ歩いた。
王都の街並みが見える。
遠くには王城がそびえていた。
生まれた時から変わらぬ景色だった。
「此度の戦、真田が勝てばどうなると思う?」
「……王国は、さらに追い詰められるでしょう」
「違う」
男は首を振った。
「次も真田が勝てば、この国は無くなる」
「…………」
「既に三万を超える軍を失い、王太子殿下も討たれた。次の戦まで失えば、もはや王国を王国としてまとめる力は残るまい」
「ですが……聖国が勝てば」
「そこじゃ」
男は王城を見つめたまま言った。
「真田を討つため、聖国軍が王国へ入る。王都にも兵が入るかもしれぬ。各地に駐留するかもしれぬ」
「それは、真田を討つまでのことでは?」
「ならば問う」
男が振り返った。
「真田を討った後、誰が聖国に帰れと命じる?」
「それは……陛下が」
「今、会議にすら出てこられぬ陛下がか?」
「…………」
「王弟殿下が言うか?」
家臣は黙った。
「ラヴァル公爵閣下は謹慎中。王国軍は大敗し、貴族たちは互いに罵り合っておる。そんな国へ、聖国の軍勢が入ってくるのだ」
男は小さく息を吐いた。
「真田に負ければ、国は無くなる」
そして再び、遠くに見える王城へ目を向けた。
「勝ったとしても……」
しばしの沈黙。
「その時には、王都に聖国の旗が翻っておるだろう」
家臣は何も言えなかった。
「どちらに転んでも、今の王国に先はない」
「……それ故に、真田へ?」
「そうじゃ」
「しかし……」
家臣は迷いながら尋ねた。
「真田幸村が、我らを受け入れる保証はございませぬ」
「ない」
「ならば……」
「故に、この目で見に行く」
男は迷わなかった。
「三万を超える軍を破り、王太子殿下を討ちながら、敗走する兵を追わなかった男じゃ」
王都へ戻ってきた兵たちから、その話は既に広まっていた。
追撃すれば、さらに多くの兵を討てた。
だが真田幸村は、それをしなかったという。
「その男が何を考え、何を作ろうとしておるのか。それを、この目で確かめる」
「もし……信用できぬ男であったならば?」
「その時はその時じゃ」
男は家臣を見る。
「だが少なくとも、ここに座って王国が何かを決めてくれるのを待っているよりはましだ」
「…………」
「領主である以上、最後に守らねばならぬものは王都の面目ではない」
男の脳裏に、自らの領地が浮かんだ。
村がある。
畑がある。
そこで暮らす者たちがいる。
「我が領地と、そこに住む民じゃ」
家臣はしばらく主人を見つめていた。
やがて、深く頭を下げる。
「……承知いたしました」
「うむ」
「すぐに馬を用意いたします」
「頼む」
家臣が部屋を出ようとする。
「待て」
「はい」
「白旗も用意しておけ」
「……白旗、でございますか」
「兵を連れて真田領へ入れば、戦を仕掛けに来たと思われるかもしれぬからな」
「なるほど」
家臣が出ていく。
男は一人、窓の外に見える王城を眺めた。
「……まさか、このような形で離れることになるとはな」
長く仕えてきた国だった。
憎んでいるわけではない。
むしろ、愛着があった。
だからこそ分かった。
今の王国には、自らを立て直す力がない。
男は静かに王城へ背を向けた。
◇
その決断は、男一人のものでは終わらなかった。
「何!? あの方が王都を出た!?」
「真田のもとへ向かったそうだ!」
「真田へか!?」
噂は近隣の貴族たちへ瞬く間に広がった。
元より真田との和議を望んでいた者たちである。
一人が動いた。
それだけで、迷っていた者たちの心が大きく揺れた。
「我らも使者を出すべきではないか」
「だが、王国への反逆となるぞ」
「このまま待っていれば、我が領地が戦場になる!」
「聖国軍が来れば守ってくれるのでは?」
「その聖国軍がいつ帰る!」
「…………」
そして、別の領地からも馬が出た。
さらに別の領地からも。
まだ誰も、真田へ正式に臣従したわけではない。
ただ、王都ではなく真田へ答えを求める者が増え始めていた。
王国の中央が決断できぬ間に、地方が自らの未来を選び始めたのである。
◇
だが。
真田に近いすべての領主が、同じ道を選んだわけではなかった。
「若様」
一人の家臣が、恐る恐る声をかけた。
「近隣の諸侯が、次々と真田へ使者を送っております」
「…………」
「中には、真田への臣従を考えている家もあるとのこと」
椅子に座る若い男は何も答えない。
「我らも……今ならば、まだ」
「ならぬ」
「しかし!」
「ならぬと言った!」
男が立ち上がった。
その手には、一つの遺品が握られていた。
父が残したものだった。
「父上を殺した男に……」
握る手に力がこもる。
「父上を殺した真田に、我が家が頭を下げろと申すか!」
「若様……」
「誰が降ろうと知ったことか!」
家臣はそれ以上、何も言えなかった。
若い男の目にあるのは、領地の行く末でも、王国の未来でもなかった。
ただ一つ。
父を奪った真田への憎しみだけだった。
「我が家は降らぬ」
男は吐き捨てるように言った。
「何があろうと、真田にはな」
王国は、まだ滅びてはいない。
だがその領内には既に、王都とは別の方向へ歩き始めた者たちがいた。
そして、その流れに背を向ける者もまたいた。
オルレーヌ王国に走った亀裂は、もはや誰にも見過ごせぬほど大きくなり始めていた。




