空白
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オルレーヌ王国、王城。
長い会議卓を囲む貴族たちの顔には、誰一人として余裕がなかった。
王国各地より集められた三万を超える大軍が敗れた。
総大将であった王太子アレクシスは討たれ、生き残った兵たちは敗残兵となって王都へ戻ってきた。
それから既に幾日かが過ぎている。
だというのに、王国は次に何をするのかさえ決められずにいた。
「私は、真田との和議を進言いたします」
重苦しい空気の中、一人の貴族が口を開いた。
その言葉に、何人かが顔を上げる。
「和議だと?」
「左様。これ以上の戦は避けるべきです。使者を送り、まずは互いに兵を出さぬことを約する。その上で条件を詰めればよい」
「悠長なことを申す」
「悠長?」
男は相手を睨んだ。
「私は、できることなら明日にでも使者を出すべきだと考えております」
「明日だと?」
会議卓の向こうから、嘲るような笑い声が上がった。
「これは驚いた。臆病にも程がある」
「……卿」
「三万の軍が一度敗れた程度で、王国が賊徒に頭を下げると申されるか。王太子殿下まで討たれたのだぞ。今こそ王国の威信にかけて、奴らを討たねばならぬ時ではないか!」
それに同調する声が上がる。
「その通りだ!」
「ここで退けば、王国の威信は地に落ちるぞ!」
和議を唱えた貴族はしばらく黙っていたが、やがて静かに問い返した。
「卿の領地は、真田の支配する地から随分と離れておりましたな」
「それがどうした」
「だから、そのようなことが言えるのだ!」
別の貴族が卓を叩いた。
「我が領地から上田まで何日かかると思っておる! 真田が次に兵を向ければ、最初に戦場となるのは我らの領地なのだぞ!」
「我が領地も同じだ!」
「次の討伐軍はいつ来る! 一月後か!? 半年後か!?」
「王国が兵を集めている間、我らだけで真田を食い止めろと申すのか!」
声を上げたのは、いずれも真田領に近い場所に領地を持つ者たちだった。
反対に、真田から遠く離れた土地を治める者ほど、抗戦を唱えている。
「だからといって、敵に頭を下げる理由にはならぬ!」
「敵と言うなら卿が戦え!」
「何だと!?」
「真田など恐れるに足らぬのであろう? ならば我が領地と卿の領地を交換していただこうか!」
「馬鹿なことを申すな!」
「何が馬鹿だ! 安全な場所からなら、誰でも勇ましいことは言えるわ!」
「貴様!」
「皆様! お静かに! どうかお静かに!」
宰相が慌てて立ち上がった。
だが、その声に耳を貸す者はほとんどいない。
「臆病者!」
「ならば貴様が兵を集めてみろ!」
「王国への忠誠はないのか!」
「領民を守るのも領主の務めだ!」
怒号が飛び交い、ついには席を立つ者まで現れた。
もはや会議と呼べる状態ではない。
「お静かに! ここは陛下の御前……」
そこまで言って、宰相は言葉を止めた。
上座に置かれた椅子。
本来そこにいるはずの人物は、今日もいない。
国王は王太子アレクシスの死以来、自室へ閉じこもったままだった。
「……その陛下は、いつお出ましになられるのですかな」
誰かが呟いた。
広間が静かになった。
先ほどまでとは違う、重苦しい沈黙が落ちる。
「それは……」
宰相が言葉を探していると、年嵩の貴族がゆっくりと立ち上がった。
「陛下のお悲しみは、我らとて察しております」
誰も口を挟まなかった。
「王太子殿下は、陛下にとってただ一人の御子。政務に手がつかぬほどのお悲しみも、分からぬわけではない」
一度、言葉を切る。
「されど、この国難にあって、いつまでもお姿を見せられぬというのは如何なものか!」
広間に緊張が走った。
国王への公然たる批判だった。
以前であれば、誰かが咎めたかもしれない。
しかし、誰も何も言わなかった。
それどころか、真田領に近い貴族たちの何人かが小さく頷いている。
「我らには決められぬことが多すぎる。和議を結ぶにせよ、再び兵を出すにせよ、最後には陛下の御裁可が必要となる。陛下がお出ましになれぬのであれば、せめて代わりに御裁可を仰げるお方を立てるべきではないのか」
「その通りだ」
「王弟殿下がおられるではないか」
その名が出た途端、何人かの貴族が何とも言えない顔をした。
宰相もまた、困ったように視線を落とす。
「……王弟殿下は」
「何だ?」
「昨日、新しく王都へ届いた絵画をご覧になるため、離宮へ向かわれたと……」
「この時にか!?」
「はい……」
「…………」
しばしの沈黙。
「……では、無理だな」
「無理でしょうな」
誰からともなく、ため息が漏れた。
「ならば、ラヴァル公爵閣下をお呼びすればよい!」
和平派の一人が声を上げた。
「なりませぬ」
宰相が即座に答える。
「何故だ!」
「ラヴァル公爵閣下は現在、謹慎を命じられております」
「…………は?」
「先の敗戦の責を問われておりますゆえ……」
「この国難に謹慎も何もあるか!」
卓が激しく叩かれた。
「敗戦の責を問うのは後でもできよう! 今は国をどうするかを決める時ではないか!」
「その通りだ!」
「ラヴァル公爵閣下は、真田幸村と直接言葉を交わしておるのだろう!?」
「左様にございます」
「ならば真田が何を考えているのか、最もよく知る者の一人ではないか!」
「それだけではない。敗れた軍をまとめ、生き残った兵を王都まで退かせたのも公爵閣下だと聞いているぞ!」
「ならば何故、その御方を屋敷に閉じ込めておる!」
「それは……陛下の御命令でございます」
再び、沈黙が落ちた。
「……我が国は、何をしておるのだ」
誰かが小さく呟いた。
返す者はいなかった。
王は姿を見せない。
王太子は死んだ。
王弟は政に興味を持たない。
そして王国随一の魔術師であり、公爵でもあるアルベール・ド・ラヴァルは謹慎を命じられている。
誰も決められない。
それでも、時間だけは過ぎていく。
「……やはり、和議しかあるまい」
和平派の貴族が言った。
「少なくとも時間を稼ぐべきだ。真田が何を求めているのか、それだけでも確かめねばならぬ」
「断る!」
抗戦派の貴族が即座に吐き捨てた。
「王太子殿下を討った者と話し合うこと自体、王国の恥だ!」
「ならばどうする!」
「兵を集める!」
「また三万集めるのか!」
「必要ならば五万でも集めればよい!」
「誰が戦うのだ!」
「兵ならば各地におる!」
「卿の言う兵とは、畑を耕している農民のことか!」
また声が荒くなる。
宰相は額の汗を拭った。
「皆様、どうか……」
その時だった。
広間の扉が開いた。
「会議中、失礼いたします!」
一人の役人が慌ただしく入ってくる。
「何事だ!」
「書状が届いております!」
「書状?」
「はい」
役人は一度息を整えると、その名を口にした。
「聖国よりございます」
空気が変わった。
「聖国……?」
宰相が書状を受け取る。
封を確認し、慎重に開いた。
そして読み進めるにつれて、その表情が変わっていく。
「何と書いてある」
「読み上げよ!」
宰相は一瞬迷った。
だが、隠せるものでもない。
「……聖国は、オルレーヌ王国が真田なる勢力によって甚大な被害を受けたことを、深く憂慮している、と」
貴族たちは黙って聞いている。
「また真田は、神聖なる教会の権利を侵し、神の定めたる秩序を乱している。この行いを、聖国としても看過することはできぬ……」
何人かが顔を見合わせた。
それは、オルレーヌ王国の敗北を慰めるためだけの書状ではなかった。
宰相は続きを読んだ。
「故に……」
一度、言葉を止める。
「オルレーヌ王国が真田討伐を継続する意思を持つのであれば……」
広間にいる全員の視線が、宰相へ集まった。
「聖国は、そのための援軍を派遣する用意がある、と」
「…………!」
抗戦派の貴族が立ち上がった。
「援軍だと!?」
「聖国が兵を出すのか!」
「そういうことになります」
一瞬の沈黙。
そして、
「はは……」
一人が笑った。
「ははははは!」
別の者も立ち上がる。
「聞いたか!」
「まだ戦えるぞ!」
「聖国が我らにつくのだ!」
「これで真田を討てる!」
「和議など必要ないではないか!」
抗戦派から歓声が上がった。
「明日にでも和議を、などと申していた者がおったな!」
「随分と急いで頭を下げたかったらしい!」
「危うく王国の名誉を売り渡すところであったわ!」
嘲笑が飛ぶ。
だが。
和平を唱えていた貴族たちは、誰一人として言い返さなかった。
それを抗戦派は、反論できなくなったのだと思った。
違った。
一人の貴族が、宰相の手にある書状をじっと見つめていた。
やがて、ぽつりと呟く。
「……何故だ?」
「何がだ」
隣の貴族が聞いた。
男はゆっくりと顔を上げた。
「我らは……」
歓声の中、その声だけが妙にはっきりと響いた。
「いつ、聖国へ援軍を求めた?」
今、王国に最大の陰謀が降り掛かろうとしていた。
プロローグを描き直しました、ちっとした変更ですが、宜しければ是非




