手紙
王国の大軍が上田から去り、戦の後始末もようやく一段落した。
街には人の声が戻り、市場には荷車が行き交っている。壊れた道の修繕はまだ続いていたが、それでも上田は少しずつ、戦の前の日常を取り戻し始めていた。
そんな日の昼下がり。
「殿」
六郎が三通の文を手に、幸村のもとを訪れた。
「何じゃ?」
「殿宛てに、文が届いておりまする」
「文?」
「はい。三通ほど」
「三通もか」
幸村は露骨に嫌そうな顔をした。
三万を超える敵を前にしても眉一つ動かさなかった男が、三通の文を前にして面倒そうな顔をしている。
六郎が苦笑する。
「いずれも、無視するには少々難しい相手からにございます」
「……聞くだけ聞こう」
「では、こちらから」
六郎が一通目を開いた。
「差出人は、アルベール・ド・ラヴァル公爵」
「ラヴァル……」
幸村の表情が変わった。
「あの賢者か」
「はい」
王太子アレクシスとの会談の場にいた男。
王国随一とまで言われる魔法使いでありながら、騙し討ちには加わらなかった。
そして先の戦では、最後まで王太子を諫め続け、王国軍が崩壊した後には騎士団長から全軍の撤退を託された人物でもある。
「何と?」
「少々長うございます」
「短く申せ」
「殿」
「何じゃ」
「文とは本来、書いた者の言葉を読むものにございます」
「……読め」
「はっ」
六郎は小さく息を吐き、文へ目を落とした。
そこにはまず、王国軍を追撃しなかったことへの礼が記されていた。
特に、騎士団長をはじめ多くの王国兵を生かして帰したことについて、ラヴァルは感謝を述べていた。
そして文は、王国の現状へと移る。
王太子を失った王都は混乱している。
だが、その混乱の中にあってなお、王国の上層部は敗北そのものから目を背け、誰に責任を負わせるかを巡って争っているという。
「『私は長らく、この国を守ることが、先王陛下の遺志を守ることだと考えていた』」
六郎が読む。
「『だが今は、それすら分からなくなりつつある』」
幸村は黙って聞いていた。
「『真田殿。貴殿が何を守ろうとしているのか。そして、貴殿が上田に何を築こうとしているのか。この目で見てみたいと思っている』」
そこで文は終わっていた。
「…………」
幸村は腕を組む。
「王国を見限った、ということか?」
「そこまでは書かれておりませぬ」
「されど、そのようにも読める」
「はい」
六郎も否定しなかった。
先王の時代から王国を支えてきた公爵が、今の王国そのものに疑問を抱き始めている。
それは決して小さな話ではない。
「……あの賢者がのう」
幸村はもう一度、文を見た。
◆
「では、二通目にございます」
「まだあるのか」
「三通と申し上げました」
「左様であったな」
六郎が次の文を手に取る。
先ほどとは違う。
上質な紙に、見慣れぬ紋章の入った封。
「こちらは帝国より」
「帝国?」
幸村が眉を上げた。
「差出人は?」
「帝国皇帝、レオポルト三世」
「……帝?」
「はい」
幸村は少し姿勢を正した。
「それは、さすがに聞かねばならぬな」
「最初からそのようにしていただければ助かりまする」
「細かいことを申すな」
六郎が文を読み始める。
内容は、意外にも簡潔だった。
オルレーヌ王国との戦に勝利したことへの祝辞。
王太子アレクシスを討ち取ったこと。
そして、三万を超える王国軍を僅か二千の兵で退けた、その戦ぶりへの称賛。
六郎が読み進めるにつれ、幸村の表情が変わっていった。
「待て」
「はっ」
「今、二千と申したか?」
「そのように」
「何故、帝国の帝が我らの兵数を知っておる?」
「……さて」
「王太子を討ったことも、既に知っておるのだな?」
「文を見る限りでは」
幸村の目が細くなる。
戦が終わってから、それほど時は経っていない。
にもかかわらず、遠く離れた帝国の皇帝が、勝敗だけではなく真田の兵数まで知っている。
「見られておったか」
「某も、その可能性が高いかと」
「間者じゃな」
「おそらくは」
幸村は腕を組んだ。
「上田に入り込んでおるのか」
「あるいは王国軍の中にいたのかもしれませぬ」
「両方ということもあるか」
「否定はできませぬな」
「…………」
幸村は少し不機嫌そうに文を睨んだ。
「気に入らぬ」
「されど、敵意は感じませぬ」
「それが余計に気に入らぬ」
六郎がわずかに笑う。
「続きを」
「はっ」
皇帝レオポルト三世からの文は、真田に対する要求も、警告も記してはいなかった。
最後に記されていたのは、ただ一言。
「『真田幸村殿。いずれ機会があれば、貴殿とは直接言葉を交わしてみたいものだ』」
六郎が文を閉じた。
「以上にございます」
「…………」
幸村はしばらく黙った後、鼻を鳴らした。
「随分と馴れ馴れしい帝じゃのう」
「殿がそれを申されますか」
「何じゃ?」
「いえ、何も」
◆
「さて、最後にございます」
六郎が三通目を手に取った。
「今度は誰じゃ?」
「聖国より」
「聖国?」
幸村には、あまり馴染みのない名だった。
「教会と極めて結びつきの強い国にございます。この辺りの教会にとっても、無視できぬ存在かと」
「ほう」
六郎が封を開く。
読み始める。
やがて、その眉間に皺が寄った。
「…………」
「どうした?」
「殿」
「何じゃ」
「これは少々、面倒にございます」
「申してみよ」
六郎は文を机へ置いた。
「我らが教会を迫害している、と」
「…………は?」
幸村が首を傾げた。
「教会を迫害?」
「そのように書かれておりまする」
幸村はしばらく考えた。
「誰か坊主を斬ったか?」
「斬っておりませぬ」
「寺を焼いたか?」
「教会にございます」
「焼いたか?」
「焼いておりませぬ」
「祈るなと申したか?」
「申しておりませぬ」
「では、何を迫害したのじゃ?」
六郎が少し考える。
「……銭でしょうな」
「銭?」
幸村の顔色が変わった。
「あやつが何かしたのか?」
「いえ。金の方にございます」
「……ああ」
幸村は納得した。
上田では、商いをするために教会の許しを得る必要はない。
教会へ多額の献金をしなければ商売ができぬという仕組みも廃した。
商人は定められた税を上田へ納める。それさえ守れば、誰であろうと商いができる。
幸村にしてみれば、それだけの話だった。
「つまり、金が入らなくなったと申しておるのか?」
「それだけではございますまい」
六郎が答える。
「教会にとっては、商いを認める権利そのものが権威なのでしょう。それを我らが奪った、と考えているのかと」
「奪った?」
幸村が眉を寄せた。
「ここは上田じゃぞ」
「我らはそう考えておりまする」
「違うのか?」
「向こうは違うのでしょうな」
「面倒じゃのう」
「まことに」
六郎が再び文へ目を落とす。
「教会が以前有していた権利を元へ戻すこと。失われた献金その他について補償すること。そして、教会に対して謝罪することを求めておりまする」
「断る」
「まだ続きがございます」
「まだあるのか」
「従わぬ場合、聖国は我らが神の秩序を乱す者であるか否か、改めて判断する、と」
「…………」
幸村はしばらく文を見つめた。
そして、机の端へ押しやった。
「放っておけ!」
「……よろしいので?」
「何もしておらぬ者に、何を詫びるのじゃ。教会で祈りたい者は祈ればよい。坊主も好きにすればよい。儂らは何も邪魔しておらぬ」
「はい」
「ならば終わりじゃ」
「……承知いたしました」
六郎はそう答えたものの、机の端へ追いやられた文へ一度だけ目を向けた。
◆
「六郎」
「はっ」
「佐助と才蔵を呼べ」
ほどなくして、二人の忍びが姿を現した。
「殿、呼んだ?」
佐助がいつもの調子で座る。
その隣で才蔵が膝をついた。
「お呼びにございますか」
「うむ」
幸村は最初の手紙を持ち上げた。
「佐助」
「うん」
「お主、王都へ行け」
「また?」
「またじゃ」
佐助が嫌そうな顔をした。
「今度は何すんの?」
「ラヴァル公爵に会って参れ」
佐助の表情が変わる。
「あの賢者?」
「うむ。この文が本心から出たものか、それとも何ぞ企んでおるのか。会って確かめて参れ」
「殿」
六郎が口を挟む。
「佐助に会って分かりまするか?」
「何となく分かるじゃろ」
「何となくって……」
佐助が笑った。
「まあ、分かると思うけどね」
「ほれ」
「…………」
六郎は黙った。
「では佐助、頼んだぞ」
「了解」
幸村は続いて、二通目の文を手に取った。
「才蔵」
「はっ」
「お主は帝国へ行って参れ」
才蔵がわずかに目を見開いた。
「帝国へ、にございますか」
「うむ。帝より祝いの文を頂いた。返礼もせぬというわけにはいくまい」
「承知いたしました」
「六郎。返書を頼む」
「既にそのつもりにございます」
「さすがじゃの」
「長い付き合いにございますれば」
幸村が笑い、それから才蔵へ向き直った。
「それとな、才蔵」
「はっ」
「帝国を見て参れ」
才蔵の目が鋭くなった。
「見て、と申されますと」
「どのような国なのか。どれほどの兵がおるのか。帝はどのような男なのか。そして、我らをどう見ておるのか」
「御意」
「それから」
幸村は皇帝から届いた文を指先で叩いた。
「何故、この者が我らのことをこれほど詳しく知っておるのか。それも探って参れ」
「帝国の間者を?」
「うむ」
「上田に入り込んでいる者がおれば?」
幸村は少し考えた。
「まずは探れ。手は出すな」
「よろしいので?」
「帝は祝いの文を寄越してきたのじゃ。こちらから喧嘩を売る必要もあるまい」
「……御意」
才蔵が深く頭を下げる。
佐助が横から才蔵を見る。
「帝国か。遠いな」
「お主は王都か」
「うん」
「気楽なものだな」
「じゃあ代わる?」
「断る」
「即答かよ」
「某は殿より帝国へ行けと命じられたのでな」
「真面目だねえ」
「お主が不真面目なのだ」
「何だと?」
「何だ」
「お主ら」
幸村の声に、二人が同時に振り向いた。
「遊びに行かせるのではないぞ」
「分かってるって」
「無論にございます」
「ならばよい」
二人が立ち上がる。
「頼んだぞ」
「了解」
「御意」
佐助と才蔵が部屋を出ていった。
幸村は、二人の背中を見送った。
一人は王都へ。
一人は帝国へ。
これまで上田に集まってくる情報を待っていた真田が、今度は自ら外の世界へ手を伸ばそうとしていた。
「殿」
「何じゃ?」
六郎が机の端を指した。
「聖国はいかがいたします?」
そこには、三通目の文が置かれている。
幸村は一瞥した。
「申したであろう」
「はい」
「放っておけ!」
「……御意」
◆
三通の手紙。
一通は、王国を見限り始めた賢者から。
一通は、遥か遠くから上田の戦を見ていた帝国皇帝から。
そして一通は、真田の行いを問い質す聖国から。
少し前まで、上田はオルレーヌ王国の片隅にある一地方に過ぎなかった。
だが今や、その名は王国の外にまで届き始めている。
「六郎」
「はっ」
「戦が終わったというに、何やら余計に騒がしくなっておらぬか?」
「上田が、それだけ大きな存在になったということでございましょう」
「儂は静かに暮らしたいのじゃがのう」
六郎は真顔で答えた。
「それはもう、諦められた方がよろしいかと」
「……左様か」
「左様にございます」
幸村は大きく息を吐いた。
机の上には三通の手紙。
そのうち二通に対して、幸村は既に人を動かした。
ただ一通。
幸村が「放っておけ」と机の端へ追いやった手紙だけが、そのまま残されていた。




