終結
騎士団が去っていく。
一人、また一人と剣を鞘へ納め、真田軍へ背を向けて歩いていく。
その先頭を行く騎士団長は、一度も振り返らなかった。
幸村は朱槍を手に、その背中を黙って見送っていた。
「……良き武士じゃ」
隣にいた六郎が、僅かに笑う。
「武士ではございませぬがな」
「ははっ、左様であった」
幸村も笑った。
そして、もう一度だけ遠ざかっていく騎士団長の背中を見ると、朱槍を高々と掲げた。
「清海!」
「はっ!」
「勝ち鬨じゃ!」
「承知!」
清海の顔が一気に明るくなる。
巨大な金棒を天へ突き上げ、大きく息を吸った。
「皆の者ぉ! 勝ち鬨じゃあ!」
疲れ切っていた兵たちが顔を上げる。
「えい、えい!」
「おおおおおおおおっ!!」
「えい、えい!」
「おおおおおおおおっ!!」
上田の山々に声が響いた。
三万を超える王国軍は退いた。
王太子アレクシスは討ち取った。
上田は守られた。
真田の勝ち戦であった。
◆
勝ち鬨を終えると、真田軍は上田へ向けて歩き始めた。
勝ったとはいえ、誰もが疲れ切っている。
槍を杖代わりにして歩く者もいれば、隣の者の肩を借りている者もいる。
その中で。
「腹が減ったのう」
清海が言った。
「減ったのう」
伊三も言った。
「上田へ戻れば飯はあるかの?」
「勝ち戦じゃ。きっとあるじゃろ」
「肉もあるかの?」
「あるじゃろ」
「酒も?」
「あるじゃろ」
前を歩いていた六郎が振り返った。
「食うことしか考えておらぬのか」
二人が同時に首を傾げる。
「他に何を考えるのじゃ?」
「のう?」
「…………」
六郎は前を向いた。
「殿」
「何じゃ」
「この者らには勝てる気がいたしませぬ」
「奇遇じゃな。儂もじゃ」
二人で笑った。
だが、幸村の頭には既に次のことがあった。
「六郎」
「はっ」
「沼田じゃ」
六郎の表情もすぐに変わった。
「才蔵がおりますれば、そう易々とは落ちますまい。されど、敵は五千ほど」
「うむ」
沼田には鎌之助もいる。
そして銭もいる。
幸村は振り返った。
泥まみれになりながら歩く兵たちを見る。
「援軍を出す」
「御意。今より編成いたしまするか?」
幸村は少し考えた。
「……いや」
首を振る。
「明朝じゃ」
「よろしいので?」
「この有様で向かわせても、まともに戦えまい」
幸村は兵たちを見渡した。
「今日は休ませよ。腹一杯食わせて、寝かせてやれ」
「はっ」
「明朝、沼田へ向かう」
六郎が頭を下げる。
「直ちに手配いたしまする」
「六郎」
「はっ」
「儂らも休めるのか?」
「無理にございます」
「……やはりか」
◆
翌朝。
まだ朝靄の残る上田に、兵たちが集まっていた。
昨日一日休んだとはいえ、疲れが抜け切ったわけではない。
それでも皆、武具を身につけている。
沼田へ向かう援軍であった。
幸村も朱槍を手にしていた。
「では参るか」
「はっ」
その時だった。
「申し上げます!」
一騎の馬が駆け込んできた。
「沼田より急報にございます!」
幸村たちの表情が変わった。
「申せ!」
「はっ!」
使者が馬から飛び降りる。
「沼田を攻めた王国軍、潰走!」
「何?」
「沼田は健在! 我らの勝ち戦にございます!」
幸村が目を見開いた。
「……勝ったのか?」
「はっ!」
「才蔵たちは」
「皆、無事とのこと!」
幸村の肩から、すっと力が抜けた。
「左様か……」
しばらく目を閉じる。
そして大きく息を吐いた。
「左様か」
今度は笑った。
「才蔵め。やりおったな」
六郎も安堵したように頷いた。
「これで上田、沼田、共に守り切りましたな」
「うむ」
幸村が集まっている兵たちを見る。
「皆の者!」
兵たちが幸村を見る。
「援軍は要らぬそうじゃ!」
一瞬の沈黙。
そして。
「おおおおおっ!」
歓声が上がった。
「では今日は!?」
どこからか声が飛んだ。
幸村が笑う。
「働け!」
「ええええええっ!?」
今度は悲鳴が上がった。
「戦は終わったが、後始末が山ほど残っておる!」
兵たちの肩が一斉に落ちた。
六郎が真顔で頷く。
「戦場に残された武具、馬、荷車、兵糧、資材。使える物は全て回収いたしまする」
「全部か!?」
「全部じゃ」
十蔵が横から口を挟んだ。
「壊れた物もお願いいたします」
「壊れておるぞ?」
「鉄は鉄にございます」
「……全部じゃ」
兵たちが遠い目をした。
◆
そこからの上田は、戦とは違う意味で忙しかった。
王国軍が残していった槍や剣、盾、鎧。
放棄された荷車。
逃げる際に置き去りにされた食料。
泥に沈んだ攻城兵器。
まだ使える馬もいた。
「これは?」
「持って帰れ」
「これは壊れております!」
「十蔵殿が持って帰れと」
「これも!?」
「十蔵殿が」
「……あの御仁、何でも持って帰るな」
戦場から次々と物が上田へ運ばれていった。
だが、回収するものは物だけではない。
戦場には負傷者が残されていた。
真田の兵も。
王国の兵も。
「敵兵はいかがいたします?」
尋ねられた幸村は、不思議そうな顔をした。
「怪我人なのじゃろ?」
「はっ」
「ならば手当てせよ」
「敵でございますが」
「今はもう戦っておらぬ」
それだけだった。
動ける王国兵には、仲間の手当ても手伝わせた。
傷の浅い者から治療し、重傷者には使えるだけの薬を使う。
そして。
助けることのできなかった者たちもいた。
真田方の戦死者が並べられていた。
幸村は、その前をゆっくりと歩いた。
顔を知る者もいた。
名を知る者もいた。
名までは知らぬ者もいた。
だが皆、上田を守るために戦った者たちだった。
幸村は立ち止まる。
「……よう戦ってくれた」
深く頭を下げた。
後ろにいた六郎たちも、黙って頭を下げる。
勝ち戦であった。
だが、誰一人死ななかったわけではない。
死者を弔い、傷ついた者を癒やす。
それもまた、戦の後に残された仕事だった。
◆
一日が過ぎ。
二日が過ぎ。
壊れた道を直し、戦場を片付け、捕らえた兵たちをまとめ、回収した物資を数える。
王国軍が置いていった物は、あまりにも多かった。
三日目。
「六郎」
「はっ」
「まだ終わらぬのか?」
「終わりませぬ」
「左様か」
四日目。
「六郎」
「はっ」
「まだか?」
「まだにございます」
「左様か……」
五日目。
「六郎」
「終わりませぬ」
「まだ何も言っておらぬぞ」
「同じことを聞かれると思いまして」
「…………」
幸村は空を見上げた。
「戦より長く感じるのう」
「お気持ちは分かりまする」
そんな時だった。
「殿ぉぉぉぉぉぉ!」
遠くから声が聞こえた。
幸村が顔を上げる。
「……ん?」
もう一度。
「殿ぉぉぉ!」
小さな影が、こちらへ走ってくる。
幸村の顔が綻んだ。
「銭!」
「殿!」
銭が勢いよく飛び込んできた。
幸村が受け止める。
「戻ったか!」
「おう!」
「怪我はないか?」
「ない!」
「左様か、左様か」
幸村は嬉しそうに銭の頭を撫でた。
その後ろから、才蔵と鎌之助も歩いてくる。
「殿。ただいま戻りましてございます」
「才蔵、鎌之助。よう戻った」
「はっ」
「某も無事にございます」
「うむ」
鎌之助は何故か少し不機嫌そうだった。
そして銭は幸村から離れると、胸を張った。
「殿!」
「何じゃ?」
「俺も勝ったぞ!」
幸村が笑う。
「聞いておる。才蔵が見事、沼田を守ったそうじゃな」
「違う!」
「ん?」
「俺が勝ったんじゃ!」
幸村が才蔵を見る。
才蔵は黙った。
鎌之助も黙った。
「……どういうことじゃ?」
「俺の策で敵をやっつけた!」
「銭」
才蔵が静かに言った。
「それを策と呼ぶのは、我には少々抵抗がある」
「勝ったから策じゃ!」
「その理屈ならば世の軍師は苦労せぬ」
幸村は首を傾げた。
「何をしたのじゃ?」
銭が得意げに鼻を鳴らした。
「オーガを使った!」
「…………」
幸村が瞬きをした。
「何を使った?」
「オーガじゃ!」
幸村は才蔵を見る。
才蔵が目を逸らした。
鎌之助を見る。
鎌之助も目を逸らした。
「……才蔵」
「話せば長くなりまする」
「鎌之助」
「某からは一つだけ申し上げまする」
「何じゃ」
鎌之助が悔しそうに拳を握った。
「敵将の首を、オーガに持っていかれました」
「…………」
幸村はしばらく黙っていた。
六郎も黙っていた。
「殿!」
銭だけが元気だった。
「だから俺の勝ちじゃ!」
「違う!」
才蔵と鎌之助の声が重なった。
五日ぶりの上田に、笑い声が響いた。




