沼田Ⅳ
あの夜から、五日が過ぎた。
王国軍はようやく沼田をその目に捉えた。
「見えたぞ!」
先頭を進む兵の声に、疲れ切った王国兵たちが顔を上げる。
街道の先、その向こうに沼田の城壁が見えていた。
本来ならば、とっくに辿り着いていたはずだった。
だが、兵糧を焼かれ、オーガの乱入によって陣を荒らされ、橋を落とされ、その後も進めば道を塞がれ、夜になれば何処からともなく妨害を受ける。
わずかな道程に、五日もの時を費やした。
そして失ったものは、時間だけではない。
銭とアーニーが火を放った夜、炎は兵糧を収めた天幕だけでなく、周囲の荷車や資材にも燃え移った。
さらにオーガとの混戦で、運搬中だった攻城兵器やその部品にも被害が出た。
橋が落とされたことで運ぶことすら出来なくなったものもある。
数千の兵は残っている。
だが、沼田を攻めるために用意した攻城兵器の多くは、もはや使い物にならなかった。
◆
「ようやく来おったか」
城壁の上から王国軍を眺め、霧隠才蔵が呟いた。
「随分と遅かったのう」
その隣で鎌之助が笑う。
「誰のおかげだと思っておる」
「銭か?」
「わしじゃ!」
「そう怒るな。お主もようやった」
「ついでのように申すな!」
才蔵は不満そうな顔をしたが、すぐに王国軍へ視線を戻した。
その目は、すでに忍びのものではない。
沼田を守る兵を預かる、将の目だった。
「……やはり少ない」
「何がじゃ?」
「攻城の道具よ」
才蔵が王国軍の後方を見る。
本来なら城壁を攻めるために運んできたはずの兵器が、明らかに少ない。
残っているものにも破損が見える。
「なるほどのう」
才蔵が小さく笑った。
「あの童ども、随分と良い仕事をしてくれたわ」
沼田にもともと残されていた兵は、およそ二百。
そこへ才蔵が連れてきた五百を加え、七百。
王国軍とは、未だ比べるべくもない兵力差だった。
だが、野で戦うわけではない。
こちらには城壁がある。
そして、敵はその城壁を破るための牙を、ここへ辿り着くまでに随分と失っている。
「皆の者、聞け!」
才蔵の声に、城壁の兵たちが振り向いた。
「敵の数を見るな! 我らはあれを討ち果たす必要などない!」
才蔵は城壁の外を指した。
「あと数日じゃ。あと数日ここを守れば、上田より殿の援軍が来る」
兵たちの表情が変わる。
「欲を出すな。敵が退いても追うな。今日一日、ここを守ることだけを考えよ!」
「おおっ!」
兵たちの声が響いた。
才蔵は王国軍を見据える。
「来るぞ」
◆
「全軍、攻撃開始!」
王国軍の指揮官が命じた。
太鼓が鳴り、兵たちが一斉に動き始める。
「進め!」
「城壁を落とせ!」
矢が飛ぶ。
魔法が城壁へ叩きつけられる。
残された梯子を抱えた兵たちが、沼田の城壁へ殺到した。
「盾を上げよ!」
才蔵の声が飛ぶ。
「弓兵は慌てるな! 引きつけてから射よ!」
城壁へ梯子が掛かる。
「今じゃ!」
沼田兵が石を落とし、梯子を押し返す。
「うわあああっ!」
王国兵が梯子ごと落ちていく。
だが、次が来る。
一本を落とせば、別の梯子が掛かる。
「右へ兵を回せ!」
「はい!」
「そこは構うな! 敵を登らせてから三人で囲め!」
才蔵は城壁を走りながら、次々と指示を飛ばす。
七百の兵を一か所へ固めない。
敵が強く押してくる場所へ兵を送り、引けば戻す。
敵が城壁へ取り付けば、数人がかりで一人を落とす。
強い必要はない。
敵より多く倒す必要もない。
城壁の上へ立たせなければ、それでいい。
「来たぞ!」
一人の王国兵が城壁を乗り越えた。
「どけ!」
鎌之助が駆ける。
振り下ろされた剣をかわし、その懐へ潜り込むと、拳を叩き込んだ。
「ぐはっ!」
王国兵が城壁の外へ吹き飛んでいく。
「次!」
「まだ来ます!」
「望むところじゃ!」
鎌之助が笑う。
次に登ってきた兵の腕を掴み、そのまま隣の兵へ投げつける。
「なんだ、この女!」
「囲め!」
「狭い城壁で囲めるものなら囲んでみよ!」
鎌之助が暴れる。
その一方で才蔵は決して前だけを見なかった。
「矢が減っておるぞ! 運ばせよ!」
「西側の兵を十人、こちらへ!」
「負傷者は下へ運べ! 動けぬ者を城壁へ残すな!」
戦は続いた。
◆
「水じゃ!」
城壁の下を、銭が水桶を抱えて走っていた。
「退け退け! 童組組長のお通りじゃ!」
「銭! こぼれてるぞ!」
後ろからアーニーが追いかけてくる。
「細かいことを言うな!」
「水運んでんだから一番大事だろ!」
「五の子分のくせに生意気じゃぞ!」
「まだ五なのかよ!」
二人は水桶を運び、空になればまた走った。
カミーユも休んでいない。
「矢はこちらへ! 水は城壁の東側を先に!」
「負傷者が増えています!」
「館へ運んでください! 歩ける者には水と食料を運んでもらいます!」
「はい!」
カミーユは城壁には立たなかった。
剣も握らなかった。
だが、沼田を守るために必要なものが滞らぬよう、文官たちとともに走り続けた。
今、自分に出来ることをする。
それでいい。
◆
昼を過ぎても、王国軍の攻撃は止まらなかった。
攻城兵器の多くを失った王国軍に出来ることは、限られていた。
弓。
魔法。
梯子。
そして最後は、兵の数にものを言わせた力攻め。
「もう一度だ!」
「進め!」
王国軍が押し寄せる。
「来るぞ!」
沼田兵たちも武器を構える。
誰も無傷ではない。
城壁には無数の矢が突き立ち、石床には血が流れていた。
それでも。
城壁は抜かせない。
「才蔵!」
鎌之助が叫ぶ。
「西側が危ういぞ!」
「三十人回せ!」
「そんなに回せばこちらが薄くなる!」
「分かっておる! 五十数えて戻せ!」
「承知!」
兵が走る。
穴が開けば塞ぐ。
押されれば兵を回す。
耐える。
ただ耐える。
それを朝から繰り返した。
やがて、空が赤く染まり始めた。
◆
「……本日の攻撃はここまでだ」
王国軍本陣。
指揮官が疲れ切った表情で城壁を見つめていた。
落ちなかった。
数では圧倒している。
だが、城壁を破るための道具が足りない。
兵だけを送り込んでも、城壁の上から狙い撃ちにされる。
「兵を退かせろ」
「よろしいのですか?」
「日が暮れる。このまま続けても損害が増えるだけだ」
指揮官は忌々しげに沼田を睨んだ。
「明朝、再び総攻撃を行う」
「はっ!」
撤収の命令が各隊へ伝えられた。
「後退!」
「本日の攻撃は終了だ!」
「負傷者を運べ!」
城壁に取り付いていた王国兵たちが、少しずつ離れていく。
◆
「追うな!」
才蔵が即座に命じた。
「矢も射つな! 退く者は退かせよ!」
沼田兵たちから安堵の息が漏れる。
鎌之助も壁にもたれた。
「……疲れたのう」
「お主でも疲れるのか」
「当たり前じゃ。某を何だと思っておる」
「オーガ」
「殴るぞ」
「まだ元気ではないか」
才蔵が笑った。
守った。
今日一日を守り切った。
「よし」
才蔵は小さく頷く。
「これで一日じゃ」
明日も守る。
明後日も守る。
あと数日。
それでいい。
上田の戦が終われば、幸村は必ず援軍を寄越す。
その時まで、ここを守り続ける。
才蔵はそう考えていた。
その時だった。
ドドドドドドドド……。
「…………」
才蔵が顔を上げた。
「なんじゃ?」
音は城壁の外から聞こえてくる。
だが、王国軍が退いていく方向ではない。
さらにその後ろ。
王国軍本陣の向こうからだった。
「地が揺れておるぞ」
鎌之助が立ち上がる。
王国兵たちも気づいた。
「なんだ?」
「後ろだ!」
「何か来るぞ!」
森が揺れた。
次の瞬間。
「グオオオオオオオオオッ!!」
巨大な咆哮が夕暮れの戦場に響いた。
「オーガだぁぁぁぁ!!」
◆
最初に襲われたのは、王国軍本陣だった。
そこには指揮官をはじめ、この軍に参加した貴族や各隊の指揮を執る者たちが集まっていた。
「衛兵!」
「本陣を守れ!」
「オーガを止めろ!」
だが、あまりにも突然だった。
巨大な棍棒が振り下ろされる。
天幕が潰れ、荷車が吹き飛ぶ。
「ぐあああっ!」
「逃げろ!」
「指揮官殿を守れ!」
先頭を走るひときわ巨大なオーガが、本陣へ突っ込んだ。
「グオオオッ!」
「ひっ……!」
王国軍の指揮官が剣を抜く。
その直後。
巨大な棍棒が振り下ろされた。
王国軍の本陣が、潰れた。
◆
「……鎌之助」
「なんじゃ」
「あれは何じゃ」
「オーガじゃな」
「それは見れば分かる!」
才蔵が怒鳴る。
「何故オーガが敵の本陣を襲っておる!」
「…………」
鎌之助が少し考える。
「銭じゃ」
「……銭?」
「話せば長い」
「お主ら、わしの知らぬところで何をしておったのじゃ!」
「今はそれどころではなかろう!」
「それもそうじゃ!」
才蔵が王国軍を見る。
そして。
その表情が変わった。
王国軍の本陣が潰れている。
指揮官の旗も倒れた。
撤収途中だった前線の兵たちは、自分たちがどうすればよいのか分からず立ち尽くしている。
「本陣を救え!」
「いや、撤退命令が出ている!」
「誰の命令を聞けばいい!」
「オーガを止めろ!」
「沼田から敵が来るぞ!」
命令がない。
いや。
命令を出す者が、もういない。
才蔵の目が細くなる。
「鎌之助」
「うむ」
「まだ動けるか?」
鎌之助が笑った。
「誰に聞いておる」
「そうであったな」
才蔵も笑った。
そして振り返る。
「全軍に伝えよ!」
兵たちが才蔵を見る。
「城門を開け!」
ざわめきが起きた。
「さ、才蔵様!?」
「敵はまだ数千おります!」
「数だけはな!」
才蔵が王国軍を指さした。
「よく見よ! あれはもう軍ではない!」
沼田軍を迎え撃とうとする者。
本陣を救うため、オーガへ向かう者。
撤退命令に従い、そのまま逃げようとする者。
指揮官を探して右往左往する者。
数千の兵が、それぞれ勝手に動き始めている。
「我らは守った!」
才蔵の声が響く。
「されど、勝てる戦を見逃す道理もない!」
城門が開いていく。
「全軍、出撃じゃ!」
「おおおおおおおおっ!!」
◆
「待ちくたびれたわ!」
真っ先に飛び出したのは鎌之助だった。
「続け!」
七百の沼田軍が一斉に城外へ飛び出す。
「敵が出てきたぞ!」
「隊列を組め!」
「本陣を守れ!」
「撤退だ! 撤退命令が出ている!」
「どちらだ!」
「知らん!」
王国軍は、もはや一つの軍ではなかった。
沼田軍へ向かう者。
オーガと戦う者。
武器を捨てて逃げる者。
命令を求めて走り回る者。
そこへ、一つの命令で動く七百が突っ込んだ。
「固まって進め! 深追いするな!」
才蔵の声が飛ぶ。
「逃げる者は捨て置け! 武器を向ける者だけを倒せ!」
「おおっ!」
沼田軍が王国兵を押し崩していく。
「何故だ!」
一人の王国兵が叫んだ。
「こちらの方が多いのだぞ!」
だが、その問いに答える者はいなかった。
兵の数だけなら、今も王国軍が上だった。
だが。
もう、軍隊ではなかった。
◆
日が沈む頃。
戦は決した。
王国兵の多くは武器を捨て、街道を逃げていった。
降伏した者もいる。
「勝ったぞ!」
「沼田を守った!」
「我らの勝ちだ!」
沼田兵たちから歓声が上がる。
その時。
「グオオオオオオオッ!!」
歓声が止まった。
「…………」
兵たちが振り返る。
そこには。
まだオーガがいた。
「…………」
才蔵が黙る。
鎌之助も黙る。
「才蔵」
「なんじゃ」
「あれ、どうする?」
「我に聞くな」
オーガがこちらを見る。
「グオオッ!」
「来るぞ!」
「城へ戻れ!」
「門を閉めろ!」
「待て! まだ味方が外におる!」
「誰じゃ! こいつらを連れてきたのは!」
鎌之助が答えた。
「銭じゃ!」
「また銭かぁぁぁぁ!!」
戦は、まだ終わっていなかった。
◆
結局。
王国軍を追い払った後の方が大変だった。
オーガたちも王国軍との戦いで疲れていたため、沼田兵は何とか連携して森へ追い返すことに成功した。
誰も追わなかった。
追う気力など残っていなかった。
「……終わったか」
才蔵が地面へ座り込む。
「今度こそ終わったようじゃな」
鎌之助もその隣へ座った。
二人とも泥と血にまみれていた。
「王国軍よりオーガの方が大変ではなかったか?」
「申すな。悲しくなる」
「しかし、敵の大将くらいは確認しておかねばなるまい」
「そうじゃな」
しばらくして、一人の兵が二人のところへ駆けてきた。
「才蔵様! 鎌之助様!」
「どうした」
「敵の指揮官と思われる者を確認しました!」
二人が立ち上がる。
「首は?」
「それが……」
兵が困った顔をする。
「なんじゃ」
「その……ありません」
「誰かが取ったか?」
「はい」
才蔵と鎌之助が顔を見合わせる。
「誰じゃ?」
兵は無言で森の方を指さした。
遠く。
森へ帰っていくオーガたちの最後尾。
一体の大きなオーガが、何かを片手にぶら下げて歩いている。
「…………」
「…………」
才蔵と鎌之助は黙った。
どう見ても。
人の首だった。
「……あれか?」
「おそらく」
「…………」
才蔵の肩が落ちる。
「持っていかれた……」
「持っていかれたのう……」
二人はしばらく、遠ざかるオーガの背中を眺めていた。
「殿になんと報告する?」
「ありのまま申すしかあるまい」
「敵将を討ち取りました。オーガが」
「我らの手柄がほとんどないではないか!」
「城は守ったであろう!」
「首が欲しかった!」
「我もじゃ!」
二人の声が夕暮れの沼田に響いた。
◆
「勝ったのですか……?」
城門の前。
カミーユは信じられないような顔で、戦場を見つめていた。
「はい」
隣にいた文官が笑う。
「我らの勝利にございます」
「…………」
カミーユは城壁を見上げた。
傷だらけになった壁。
折れた矢。
運び込まれる負傷者。
疲れ切って座り込む兵たち。
それでも。
沼田は、ここにある。
「守れた……」
小さく呟いた。
「沼田を、守れた……」
「副長!」
「誰が副長ですか!」
突然の声に、涙が引っ込んだ。
銭が走ってくる。
後ろにはアーニーもいる。
「見たか! 俺の策じゃ!」
「何がだよ!」
アーニーが即座に突っ込む。
「オーガじゃ!」
「追いかけられただけだろ!」
「結果は同じじゃ!」
「全然違う!」
銭が胸を張る。
「俺がオーガを連れてきたから勝った!」
「最後にオーガに襲われたのも俺たちだけどな!」
「細かいことを申すな!」
「細かくねえよ!」
カミーユが呆然と二人を見る。
そこへ鎌之助と才蔵が戻ってきた。
「銭」
「なんじゃ?」
才蔵が銭の前へ立つ。
「お主、オーガを連れてきたそうじゃな」
「うむ!」
「…………」
才蔵は何かを言おうとして。
やめた。
「まあ……よい」
「なんじゃ?」
「今日はもう疲れた」
鎌之助が吹き出した。
やがてカミーユも笑った。
アーニーも。
周囲の兵たちも笑い始めた。
五千の王国軍を前に、勝つ必要などないと考えていた。
守ればよかった。
あと数日。
上田から援軍が来るまで持ち堪えれば、それでよかった。
だが。
援軍が来るより先に。
沼田は、自らの手で戦い抜いた。
少々、予定外の援軍もあったが。
こうして。
沼田を巡る戦いは、真田方の勝利に終わった。




