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異世界真田太平記  作者: まん丸


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50/65

上田①

 王国軍本隊、およそ三万三千。


 王都を出た時の威容は、いまだ大きく損なわれてはいなかった。


 街道を埋め尽くす兵、その頭上に幾重にも連なる旗。後方には兵糧や矢玉を積んだ荷車が続き、さらにその後ろには攻城兵器と、その部材を運ぶ車列が長々と伸びている。


 これほどの軍勢を前にして、正面から立ちはだかる者などいるはずがない。


 少なくとも、王太子アレクシスはそう考えていた。


 だが、進めば進むほど妙なことに気づく。


 人がいない。


 通り過ぎる村には誰もおらず、畑にも人影はない。家々を調べても、すぐに食えるようなものはほとんど残されていなかった。


「逃げ出したか」


 馬上のアレクシスは、無人となった村を見て満足そうに笑った。


「我が軍の威容を見れば当然であろう」


「まことに。真田とやらも、領民を捨てて逃げ回っているのでしょう」


 取り巻きの貴族たちが口々に囃し立てる。


 その少し後ろで、騎士団長は無人の家々を眺めていた。


 荒らされた様子がない。


 慌てて逃げたのではない。


 必要な家財は運び出され、食料になりそうなものも残されていなかった。


「……違う」


「何がじゃ?」


 隣を進む賢者が尋ねる。


「逃げたのではない。退かせたのだ」


「じゃろうな」


 賢者は興味なさそうに答えた。


「我らが来るより前に、村ごと空にしておる」


 騎士団長は街道の先へ目を向けた。


「真田幸村……何をするつもりだ」


     ◆


「来たぜ」


 木の上から街道を眺めていた佐助が、にやりと笑った。


 眼下を王国軍の車列が進んでいる。


 狙うのは先頭ではない。


 長く伸びきった軍列の後方、兵糧を積んだ荷車とその護衛だった。


 佐助が片手を上げる。


 木陰に伏せた真田兵たちは、息を潜めたまま動かない。


 兵が通る。


 荷車が通る。


 さらに兵。


 また荷車。


 道が細くなったところで列が伸び、前の一団との間に距離が開いた。


 佐助の手が下がった。


「今!」


 森から一斉に矢が飛んだ。


「敵襲!」


「どこだ!」


「森だ!」


 王国兵たちが盾を構える。


 だが、真田兵が狙っていたのは兵ではない。


 馬が矢に驚いて暴れ、荷車同士がぶつかった。


「馬を押さえろ!」


「荷を守れ!」


 兵たちが混乱する中、別の一隊が森から飛び出す。


 荷車へ取りつき、車輪を壊す。持ち出せる物は抱え、運べぬ物には火を放った。


「真田だ! 逃がすな!」


 王国兵が駆けつけた時には、真田兵は既に森へ消え始めていた。


「追え!」


 十数人が森へ飛び込んだ。


 少し先。


 木にもたれた佐助が待っている。


「遅いぞ」


「いたぞ!」


「捕らえろ!」


「おーい、こっちこっち!」


 佐助が走り出した。


「待て!」


「待てって言われて待つ奴いる?」


「貴様ぁ!」


 佐助は逃げた。


 ただし、本気ではない。


 追いつけそうで追いつけない距離を保ちながら、時折振り返る。


「ほら、頑張れ!」


「ふざけるな!」


「もうちょっとだぞ!」


 王国兵たちは怒りに任せて森の奥へ入っていった。


 本隊からどれほど離れたのか。


 誰も気づいていない。


 やがて佐助が立ち止まった。


「……?」


 追ってきた兵たちも足を止める。


「どうした。もう逃げぬのか!」


「うん」


 佐助が笑った。


「ここでいいから」


 木々の間から、真田兵が姿を現した。


「なっ……!」


 気づいた時には、もう遅かった。


     ◆


 翌日。


 別の場所で荷車が襲われた。


 その翌日には、攻城兵器の部材を積んだ車両が狙われた。


 街道へ木を倒され、進軍を止められたこともある。迂回しようとすれば道に穴が掘られ、穴を埋めて進み始めれば後方から煙が上がった。


 王国軍が大勢で向かえば、真田兵は戦わずに消える。


 少人数で追えば、戻ってくる兵が減った。


 それでも三万三千の大軍から見れば、失われた兵の数など僅かなものだった。


「鼠が」


 報告を受けたアレクシスは、不機嫌そうに吐き捨てた。


「正面から戦うこともできぬのか」


「殿下を恐れているのでございます」


 傍らの貴族が笑った。


「我らは三万を超える大軍。真田とて、まともにぶつかれば勝ち目がないと分かっているのでしょう」


「ならば放っておけ。ベルナールまで進めばよい」


 騎士団長が口を開いた。


「殿下。後方の護衛を増やすべきかと」


「何故だ?」


「失っているのは兵だけではございません。兵糧、矢玉、荷馬、それに攻城兵器まで狙われております」


「些事だ」


「しかし、このままでは――」


「三万三千だぞ」


 アレクシスは騎士団長を見た。


「鼠が何匹走り回ろうと、我が軍を止められるものか」


 騎士団長は黙って頭を下げた。


 隣で賢者が、小さく息を吐いた。


     ◆


 その夜。


 昼間の行軍を終えた王国兵たちは、ようやく身体を横たえていた。


「疲れた……」


「明日も歩くのか」


「当たり前だろ」


「真田の奴ら、また来るかな」


「縁起でもないことを言うなよ」


 昼は森を警戒し続け、荷車が襲われれば救援に向かい、道が塞がれれば撤去する。


 ただ歩くだけの行軍ではなくなっていた。


「寝ようぜ」


「ああ……」


 兵たちが目を閉じる。


 しばらくして。


 ドン……。


 一人の兵が目を開けた。


 ドン……。


 ドドドン……。


「…………」


 男が身体を起こす。


「おい」


「なんだよ……」


「太鼓だ」


「太鼓?」


 ドン! ドン! ドドドン!


 別の場所から叫び声が上がった。


「真田だ!」


 兵たちが一斉に飛び起きる。


「敵襲か!?」


「武器を取れ!」


「どこだ!」


 野営地が騒然となった。


 だが、いつまで待っても敵は来ない。


「……何も来ないぞ」


「太鼓だけか?」


 警戒を解き、兵たちが再び横になる。


 ようやく眠りにつこうとした頃。


 ドン! ドン! ドドドン!


「またか!」


 再び兵が飛び起きる。


 やはり何も来なかった。


 それからも太鼓は鳴った。


 静かになったと思えば鳴り、忘れかけた頃にまた鳴る。


 特に怯えたのは、以前の討伐軍から生き残った兵たちだった。


「あの太鼓だ……」


「何を言っている?」


「知らないのか……あれが鳴った後、俺たちは……」


 男はその先を言えなかった。


 真田の太鼓。


 その音を聞くだけで、あの日の戦場が蘇る。


 結局、その夜。


 王国軍の多くの兵が、まともに眠ることはできなかった。


     ◆


 翌朝。


 目の下に隈を作った兵たちが、再び歩き始めた。


 騎士団長は馬上から、その様子を見ていた。


 歩みが遅い。


 昨日までなら詰まらなかった場所で、軍列が止まる。


 荷車も遅れていた。


 さらに後方には、攻城兵器を運ぶ車列がある。


「このままでは、ベルナールへ着く頃には兵たちは戦どころではないぞ」


 隣を進んでいた賢者が鼻を鳴らした。


「その前に着けるのか?」


「何?」


「後ろを見てみい」


 騎士団長が振り返る。


 長く伸びた軍列の遥か後方。


 攻城兵器を運ぶ車列が、また止まっている。


「一番足の遅い攻城兵器は散々じゃぞ。車輪を壊され、荷馬を狙われ、道を塞がれ、その度に足を止めておる」


「……奴ら、初めから狙っているのか」


「兵糧だけではないようじゃな」


 騎士団長の顔が険しくなる。


 攻城兵器が失われれば、城を落とす手段は限られる。


「これでは、よしんばベルナールへ辿り着いたとしても……」


「力攻めしかないじゃろうな」


 賢者はあっさり言った。


「三万の兵がおる。それでも落とせると殿下はお考えだろう」


「三万がおっても、腹が減り、眠れず、疲れ果てていては戦えぬ」


「そういうことじゃ」


 賢者は前を向いた。


「それに妙だと思わぬか?」


「何がだ」


「真田は一度も我らと勝負をしておらん」


 騎士団長は黙った。


「荷を襲えばすぐ退く。兵を誘えば少し削って消える。夜になれば太鼓を鳴らすが、大軍で夜襲を仕掛けてくるわけでもない」


「……勝つつもりがない?」


「今は、な」


 騎士団長が街道の先を見た。


「我らを疲れさせている」


「さて、それだけかのう」


 賢者の言葉に、騎士団長は答えなかった。


     ◆


 それからも、騎士団長は斥候を絶やさなかった。


 真田兵を探すだけではない。


 街道の先。


 山の形。


 川。


 森。


 軍を進める上で危険になりそうな場所を、一つずつ調べさせていた。


 そして、その報告の中に気になるものがあった。


 騎士団長は地図を広げた。


「……ここか」


 ベルナールへ続く道の途中。


 両側を険しい斜面に挟まれた、狭い道がある。


 大軍が横へ広がれない。


 前後に長く伸びざるを得ない地形だった。


「殿下にお目通りを」


     ◆


「隘路?」


 アレクシスが地図を見る。


「はい。この先にございます」


 騎士団長が地図の一点を指した。


「我が軍三万余が一度に通ることはできませぬ。真田が我らに仕掛けるならば、この地が最も危険かと」


「また鼠どもの罠か」


「可能性は高いかと存じます」


 取り巻きの一人が笑った。


「ならば焼き払えばよいではありませんか」


 騎士団長が冷たい目を向ける。


「山をか?」


「…………」


 男は黙った。


 アレクシスが騎士団長を見る。


「どうする」


「斥候を増やします。斜面にも兵を出し、伏兵の有無を調べた上で進むべきかと」


 アレクシスはしばらく考えた。


 ここまでの行軍で、真田には散々煩わされている。


 さすがに同じように好き勝手させるつもりはなかった。


「よかろう」


「はっ」


「お前が先頭に立て」


 騎士団長が顔を上げた。


「私が?」


「王国最精鋭の騎士団を前方へ置く。真田が現れれば、その場で叩き潰せ」


「……御意」


 騎士団長は深く頭を下げた。


     ◆


 翌日。


 王国軍の陣形が変わった。


 先頭には、騎士団長率いる王国最精鋭の騎士団。


 その前を多数の斥候が進み、左右の斜面にも兵が入っていく。


 兵士たちの間にも、久しぶりに安堵の声が広がっていた。


「騎士団長がおられる」


「これなら真田も手を出せまい」


「あの鼠どもも終わりだ」


 やがて隘路が見えてきた。


 騎士団長は馬を止める。


「斥候は?」


「異常ございません!」


「斜面は」


「人影なし!」


「もう一度調べろ」


「はっ!」


 騎士団長は急がなかった。


 これまで真田は、焦った者から罠へ落としている。


 ならば焦らなければよい。


 再び斥候を出す。


 それでも何も見つからない。


「進むぞ。ただし隊列を乱すな」


 騎士団が隘路へ入った。


 左右には険しい斜面。


 騎士団長は何度も上を見た。


 矢が飛んでくる気配はない。


 岩も落ちてこない。


 兵の姿すらない。


 さらに進む。


 何も起こらない。


 後続の部隊も慎重に隘路へ入った。


 やがて先頭の騎士団が、反対側へ抜けた。


「…………」


 騎士団長は馬上から振り返った。


 何もない。


 本当に、何もなかった。


 しばらくしてアレクシスの本隊も隘路を抜ける。


「はははは!」


 アレクシスが笑った。


「何もおらぬではないか!」


 取り巻きたちも笑い始める。


「騎士団長を恐れて逃げたのでございましょう!」


「真田とて、王国最精鋭を前にすれば手も足も出ぬようですな!」


 騎士団長は笑わなかった。


 ゆっくりと隘路を振り返る。


「……違う」


 隣にいた賢者が眉を上げた。


「何がじゃ?」


「ここではなかった」


「ほう」


「真田がこの地を知らぬはずがない」


 これまでの戦いを思えば分かる。


 道一本。


 森一つ。


 地形を知り尽くしたように襲撃を繰り返してきた者たちが、この隘路だけを知らないなどあり得ない。


「これほど仕掛けるに適した場所で、何もしてこなかった」


 騎士団長の目が細くなる。


「ならば、奴らは……」


 賢者も隘路を振り返った。


「我らがここを警戒すると知っておったか」


「……いや」


 騎士団長は小さく首を振った。


「分からん」


 だが、一つだけ確かなことがある。


 真田はまだ何かを待っている。


     ◆


 その頃。


 隘路から離れた山中に、佐助の姿があった。


「旦那、通ったぞ」


「うむ」


「本当に何もしなくてよかったのか?」


 佐助は少し惜しそうな顔をした。


「あそこ、仕掛けるには最高だったぜ」


「ゆえに、せぬ」


「ん?」


 幸村は笑った。


「我らがそう思う場所ならば、敵もそう思う」


 六郎が頷く。


「なるほど。敵が最も警戒しておる場所で、あえて戦う必要はございませぬな」


「うむ」


 佐助が隘路の方角を振り返った。


「でもさ、旦那」


「なんじゃ」


「面白い奴がいる」


「ほう」


「騎士団を前に出した奴だよ。斥候の数も増えたし、斜面までかなり念入りに調べてた。王子じゃないだろ、あれ」


 幸村の表情が僅かに変わった。


「敵にも戦を知る者がおるか」


「多分な」


 六郎が尋ねる。


「佐助。騎士団を前へ出したことで、他に変わったところはあるか」


「ある」


 佐助が笑った。


「後ろが薄くなった」


「後ろ?」


「荷車も攻城兵器も後ろだ。騎士団を前に集めた分、今までより守りが薄い」


 六郎が幸村を見る。


 幸村は少し考え、やがて笑った。


「左様か」


「やる?」


「いや」


 佐助が意外そうな顔をする。


「今夜は休め」


「え?」


「太鼓も鳴らさぬ」


 佐助と六郎が幸村を見る。


 幸村は王国軍が進んでいった方角へ目を向けた。


「今宵くらいは、ゆるりと眠ってもらおう」


 六郎が僅かに笑った。


 佐助も、その意味に気づく。


「……なるほど」


 幸村はそれ以上何も言わなかった。


 その夜。


 何日も王国軍を苦しめ続けた太鼓は、初めて鳴らなかった。

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