沼田 III
夜の森を、二つの小さな影が進んでいた。
「なあ、銭。本当にこっちで合ってるのか?」
「合っておる」
「なんで分かるんだよ」
「向こうに明かりが見えた」
「それだけかよ……」
「声が大きい。見つかるじゃろ」
「誰のせいでこんな所にいると思ってるんだよ……」
アーニーは不満そうに呟きながら、それでも銭の後をついていく。
二人の目的は、王国軍の兵糧だった。
五千もの兵がいるのなら、それだけの者が食べる飯もある。ならば、それを燃やしてしまえば戦えなくなる。
銭の考えは、ただそれだけだった。
王国軍を倒す必要はない。幸村が敵を倒して沼田へ来るまで、少しでも時間を稼げればいい。
二人は王国軍の斥候に見つからぬよう街道を外れ、森の中を進んでいた。
ところが、どれほど歩いたのか分からなくなった頃には、二人とも自分たちがどちらへ向かっているのか怪しくなっていた。
「銭、やっぱり道を間違えてないか?」
「間違えておらん」
「さっきから同じような木ばっかりだぞ」
「森なんじゃから当たり前じゃ」
「そういうものなのか……?」
アーニーが首を傾げた、その時だった。
木々の向こうに赤い光が見えた。
「アーニー!」
「な、なんだよ」
銭が嬉しそうに指差した。
「ほら見ろ! 見つけたぞ!」
「本当か?」
「俺について来れば間違いないんじゃ!」
「迷ってたくせに……」
「迷っておらん!」
二人は姿勢を低くして、明かりへ近づいていった。
やがて木々が途切れ、その先に大きな岩山が現れた。
岩肌には巨大な洞窟が口を開けており、その入口では焚き火が燃えている。
その周りに、二つ、三つの大きな影があった。
「ほれ。見張りまでおる」
得意げな銭に、アーニーは何も答えなかった。
「どうした?」
「……銭」
「なんじゃ?」
「王国軍が洞窟にいるかよ?」
「…………」
銭が洞窟を見る。
「それに……」
アーニーが焚き火の前を指差した。
「でかいし」
「…………」
確かに大きい。
三好兄弟にも劣らぬほどの巨体である。
しかも頭には角があった。
「銭」
「なんじゃ」
「あれ……オーガじゃないか?」
「…………」
その時。
焚き火の前に座っていた一体が、こちらを向いた。
銭と目が合った。
「…………」
「…………」
オーガが立ち上がる。
「ニンゲン……?」
銭も立ち上がった。
「アーニー」
「なに?」
「逃げるぞ!」
「遅いよ!」
二人は同時に走り出した。
◆
「なんでオーガの村なんだよ!」
「俺に聞くな!」
「銭が見つけたって言ったんだろ!」
「暗かったんじゃ!」
「洞窟だっただろ!」
「夜だからよく見えんかった!」
「洞窟は夜でも洞窟だよ!」
森の中を二人が駆け抜ける。
背後からは、木々を揺らすような足音が迫っていた。
「ニンゲン!」
「マテ!」
「待てと言われて待つ馬鹿がおるか!」
「銭! 増えてる!」
「何がじゃ!」
「オーガだよ!」
銭が走りながら振り返った。
最初は見張りの二、三体だけだったが、騒ぎを聞きつけたらしいオーガが洞窟から出てきたのだろう。追手が増えている。
「速く走れ!」
「走ってるよ!」
必死に森を駆けていると、アーニーが前方を指差した。
「銭! 明かり!」
今度は一つや二つではない。
森の向こうに、無数の灯りが見えている。
「今度こそ敵陣じゃ!」
「本当に!?」
「知らん!」
「知らないのかよ!」
「とにかく行け!」
二人は明かりへ向かって走った。
◆
「止まれ!」
森を抜けたところで、鋭い声が飛んだ。
槍を持った男たちがいる。
王国兵だった。
「何者だ!」
「人じゃ!」
「見れば分かる!」
兵たちは突然現れた二人の子供に戸惑っている。
「こんな夜更けに、どこから来た!」
「それどころではない!」
銭が背後を指差した。
「あれをなんとかせい!」
「あれ?」
王国兵が森へ目を向ける。
直後、咆哮が響いた。
「グオオオオオッ!」
「なっ!?」
巨体が森から飛び出した。
「オーガだ!」
「敵襲!」
「敵襲だ!」
警鐘が鳴り響いた。
眠っていた兵たちが次々と天幕から飛び出し、陣内が一瞬にして騒然となる。
「槍兵、前へ!」
「囲め!」
「魔術師を呼べ!」
怒号と悲鳴が入り交じり、王国兵とオーガが激突した。
追ってきたオーガにしてみれば、目の前にいる人間が銭たちなのか王国兵なのかなど関係ない。邪魔をする王国兵へ次々と襲いかかっていく。
「こっちじゃ!」
銭はアーニーの腕を掴み、荷車の陰へ飛び込んだ。
すぐ横を王国兵たちが走り抜けていく。
二人は息を潜めていたが、やがて戦いの音が少し遠ざかった。
「……銭」
「なんじゃ」
「大変なことになったぞ」
「うむ」
「どうするんだよ」
「…………」
銭は少し考えた。
「俺たち、何しに来たんじゃった?」
「お前が忘れるなよ!」
「飯じゃ!」
「そうだよ!」
二人は顔を見合わせると、混乱する王国軍の陣内を再び進み始めた。
◆
王国軍の兵たちはオーガへの対処に追われていた。
二人の子供を気にする者などいない。
「あったぞ!」
銭が指差した。
少し離れた場所に大きな天幕があり、その周囲には麦や豆の袋、干し肉の入った木箱、樽などが積み上げられている。
王国軍が各所に設けた備蓄用の天幕、その一つだった。
そんなことを二人が知るはずもない。
「これじゃ! 五千人の飯じゃ!」
「すごい量だな……」
「全部燃やすぞ」
「どうやって?」
銭は周囲を見回し、少し離れたところで燃えている篝火を見つけた。
「火がある」
「……本当にやるの?」
「何を言っておる」
「いや、ここまで来たけど……」
銭がじっとアーニーを見る。
「三の子分に戻りたくないのか?」
「それ今関係ある!?」
「よく働いたら二にしてやってもよいぞ」
「本当か!?」
「働き次第じゃ」
「よし!」
二人は篝火から火を取り、天幕の近くに積まれていた乾いた藁へ移した。
小さな炎はすぐに燃え広がった。
天幕へ火が移り、木箱が燃え始める。
「銭、もういいだろ!」
「まだじゃ!」
「十分燃えてるって!」
「全部燃やすんじゃ!」
「俺たちまで燃えるぞ!」
アーニーに引っ張られ、銭もようやく離れた。
二人の目の前で、備蓄用の天幕が大きな炎に包まれていく。
「やったぞ!」
銭が両手を上げた。
「全部燃えた!」
「……全部なのかな?」
「あれだけ燃えたんじゃ。全部に決まっておる!」
「そうかなあ……」
「これで五千人、飯抜きじゃ!」
銭は満足そうに胸を張った。
その時。
「おい!」
二人の身体が固まった。
振り返ると、一人の王国兵が立っている。
男は燃え盛る天幕を見た。
次に、火のついた木切れを持っている銭を見た。
「お前ら……何をしている?」
「…………」
銭とアーニーが顔を見合わせる。
「アーニー」
「うん」
「逃げるぞ!」
「やっぱりこうなるのかよ!」
◆
「待て!」
「兵糧に火を放った奴がいるぞ!」
「子供二人だ!」
銭とアーニーは陣内を走った。
背後から追ってくる足音が増えていく。
「速い!」
「大人なんだから当たり前だろ!」
「なんとかせい!」
「無茶言うなよ!」
森まであと少し。
だが、子供の足で大人から逃げ切れるはずもない。
「待て!」
一人の兵が追いついた。
アーニーが足を取られて転ぶ。
「うわっ!」
「アーニー!」
銭が引き返した。
王国兵が剣を振り上げる。
「捕まえたぞ!」
「アーニーから離れろ!」
銭が棒を構えて飛び込もうとした、その時だった。
王国兵の腕が横から伸びた手に掴まれた。
「え?」
次の瞬間、男の身体が宙を舞った。
「うわああっ!」
別の兵を巻き込みながら地面を転がっていく。
その前に、一人の女が立っていた。
「鎌之助!」
「この馬鹿!」
「な、なんじゃ!」
「何やってやがる!」
「敵の飯を燃やした!」
「見りゃ分かる!」
別の王国兵が斬りかかる。
鎌之助は身を沈めて剣をかわすと、男の懐へ入った。腕を取り、その勢いのまま投げ飛ばす。
「立て、アーニー!」
「は、はい!」
「銭、お前も走れ!」
「分かった!」
「帰ったら説教だからな!」
「なんでじゃ!」
「黙って走れ!」
◆
三人は森を抜け、沼田へ続く道を駆けた。
だが、追手は諦めない。
王国軍の陣では今も兵糧を焼く炎が夜空を赤く染めている。
さらにオーガとの戦いで仲間を失った王国兵たちの怒りもあった。
「あそこ!」
アーニーが前方を指差した。
川に架かる木橋が見える。
「先に渡れ!」
鎌之助に言われ、銭とアーニーが橋へ飛び込んだ。
二人が対岸へ渡ったところで、鎌之助も橋を駆ける。
しかし、追手も橋へ雪崩れ込んできた。
「くそっ」
鎌之助が足を止め、振り返った。
「銭! アーニー! そのまま行け!」
「鎌之助!」
「早く行け!」
迫ってきた兵の拳をかわし、腹へ拳を叩き込む。
身体を折った兵の襟を掴み、そのまま後ろの兵へ投げつけた。
二人、三人と巻き込まれて倒れる。
だが、敵は次々と橋へ上がってくる。
「弓兵! 射ろ!」
王国軍の後方から声が飛んだ。
弦が鳴る。
一本の矢が鎌之助へ飛んだ。
鎌之助は身体を僅かにずらすと、右手を伸ばした。
矢が、その手の中で止まった。
「……次から次へと」
掴み取った矢を川へ放り捨てる。
「鎌之助、早く!」
「先に行けと言ってるだろ!」
銭は動かなかった。
鎌之助なら大丈夫だと思っていた。
百や二百の首は取って来れる。
自分でそう言っていた。
だが、今は違った。
狭い橋の上。
前からは次々と兵が押し寄せ、後方からは矢まで飛んでくる。
一人を殴り倒した鎌之助の脇から、別の兵が槍を突き出した。
「ちっ!」
鎌之助が身を捻る。
槍先が衣を裂いた。
さらに反対側から剣が迫る。
「鎌之助!」
銭の顔色が変わった。
以前にもあった。
どうしても助けたいと思った時。
身体の奥から、何かが溢れ出したことが。
だが、銭はそんなことを考えてはいなかった。
ただ、鎌之助が危ない。
それだけだった。
銭は右手を伸ばした。
「鎌之助ぇーっ!」
鎌之助が振り返った。
「銭?」
その瞬間。
銭の右手から、凄まじい力が放たれた。
「なっ――!」
鎌之助は咄嗟に反応した。
だが、避けきれない。
轟音とともに橋上の王国兵たちが吹き飛んだ。
何人もの兵が宙を舞い、川へ落ちていく。
木板が砕け、橋の一部が大きく抉れた。
そして。
「うおおおおっ!?」
鎌之助の身体も橋から消えた。
「…………」
「…………」
銭とアーニーは呆然とした。
橋の上にいた王国兵たちはいない。
橋の一部も壊れている。
そして鎌之助もいない。
「……銭」
「なんじゃ」
「今の……」
「うむ」
「あの時の魔法だよな?」
「……多分」
「鎌之助も飛んでいったぞ」
「…………」
銭の顔がみるみる青くなった。
「鎌之助ーっ!」
二人は川へ駆け寄った。
「鎌之助!」
「どこじゃ!」
「返事してくれ!」
川面を探す。
見えない。
「どうしよう……」
「鎌之助ぉ!」
その時だった。
「銭ぇぇぇぇぇ!」
下流から怒鳴り声が響いた。
「!」
二人が振り返る。
川岸に手が伸びた。
続いて頭。
そして全身ずぶ濡れで泥まみれになった鎌之助が、ゆっくりと這い上がってきた。
「鎌之助!」
「生きてた!」
「お前……!」
鎌之助は肩で息をしながら銭を睨んだ。
「何しやがる!」
「助けようとしたんじゃ!」
「助ける相手まで川に落とす奴があるか!」
「でも生きておる!」
「そういう問題じゃねえ!」
銭は鎌之助の姿を上から下まで見た。
髪も着物も泥だらけである。
「……汚いのう」
「誰のせいだ!」
アーニーが吹き出した。
「笑うな!」
「ご、ごめんなさい!」
鎌之助は大きく息を吐くと、壊れた橋へ目を向けた。
王国兵たちが対岸へ集まり始めている。
魔法を受けた部分には大きな穴が開いているものの、橋そのものはまだ残っていた。
「……駄目だな」
「何がじゃ?」
「この程度じゃ、すぐ直される」
鎌之助が橋へ歩き出した。
「どこへ行くんじゃ?」
「決まってるだろ」
橋の損傷した部分へ近づき、構造を確かめる。
魔法を受けたことで木材には亀裂が走り、橋を支える部分も大きく傷んでいた。
「せっかくお前がここまで壊したんだ」
鎌之助が対岸の王国兵を見る。
「使えなくしていくぞ」
橋の上には、吹き飛ばされた王国兵が落とした武器が転がっていた。
鎌之助はその中から斧を拾い上げる。
「鎌之助、武器を使えるのか?」
「戦うんじゃねえよ」
斧を振り上げた。
「橋を落とすだけだ!」
既に傷んでいた橋の支えへ斧が叩き込まれる。
一度。
二度。
何度も。
対岸の王国兵が騒ぎ始めた。
「何をしている!」
「止めろ!」
「弓兵!」
「急げ、鎌之助!」
「分かってる!」
最後の一撃が入った。
ミシリ、と嫌な音がした。
「離れろ!」
三人が走る。
次の瞬間、橋全体が大きく傾いた。
傷んでいた橋脚が耐えきれず折れ、木材が次々と川へ落ちていく。
轟音とともに橋は崩れ、濁流へ呑み込まれた。
対岸の王国兵たちは、ただそれを見ることしかできなかった。
「おお……」
銭が目を輝かせる。
「全部落ちたぞ!」
「ああ。これならすぐには渡れねえ」
「俺の魔法で壊したんじゃぞ!」
「最後に落としたのは我だ」
「俺が先じゃ!」
「我まで吹っ飛ばしただろうが!」
「助けようとしたと言っておる!」
「だから助ける相手を川に落とすな!」
「二人とも……」
アーニーが疲れ切った顔で二人を見る。
「もう帰ろうよ……」
◆
夜明け前。
沼田の館は大騒ぎになっていた。
「まだ見つからないの!?」
カミーユは今にも泣きそうな顔をしていた。
「捜索しております! しかし、由利様のお姿も――」
「銭ちゃん……」
その時。
「カミーユ!」
聞き慣れた声がした。
カミーユが振り返る。
門の向こうから、三人が歩いてくる。
煤だらけの銭。
疲れ切ったアーニー。
そして誰よりも酷い姿をした、全身泥まみれの鎌之助。
「……銭ちゃん?」
「ただいまじゃ!」
「銭ちゃん!」
カミーユが走り出した。
「どこ行ってたの!」
「敵の飯を燃やしに――」
「馬鹿あああああ!」
「痛い!」
カミーユが銭を抱き締める。
「どれだけ心配したと思ってるの!」
「分かった! 分かったから離せ!」
「嫌!」
「苦しい!」
「自業自得だ」
鎌之助が吐き捨てた。
「鎌之助も酷い格好!」
「こいつに川へ落とされた」
「助けたんじゃ!」
「落とされた!」
「敵も全部吹っ飛ばしたぞ!」
「我も一緒にな!」
「でもそのあと橋も落とした!」
カミーユが固まった。
「……橋?」
「うむ!」
銭が得意げに胸を張る。
「それから敵の飯も全部燃やした!」
アーニーが小さな声で言った。
「一個の天幕だけだったと思うけど……」
「全部じゃ!」
「多分違うよ」
「全部じゃ!」
「はいはい」
「なんじゃ、その言い方は!」
騒ぐ子供たちを前に、鎌之助は呆れたように息を吐いた。
その時、斥候が館へ駆け込んできた。
「申し上げます!」
空気が変わった。
「王国軍、進軍を停止!」
文官たちが一斉に振り返る。
「橋を失ったため、川を渡れず対岸に留まっております!」
「では……」
一人の文官が呟いた。
「時間が稼げる……」
銭がその言葉を聞いて、にっと笑った。
「言ったじゃろ?」
皆が銭を見る。
「殿が来るまで、持ち堪えればよいんじゃ」
鎌之助はそんな銭を見て、僅かに笑った。
敵はまだ五千近くいる。
戦は終わっていない。
だが、確かに時間はできた。
◆
同じ頃。
沼田へ続く街道を、五百の兵が進んでいた。
先頭を行く霧隠才蔵は、一度も足を止めていない。
沼田に王国軍五千が向かっている。
分かっているのは、それだけだった。
敵がどこまで迫っているのか。
沼田がまだ持ち堪えているのか。
才蔵には知る術がない。
それでも進むしかなかった。
「急げ!」
五百の兵が、夜明けの街道を駆ける。
まだ遠い。
才蔵は沼田の方角を睨んだ。
「持ち堪えろ……!」
彼はまだ知らなかった。
その頃、沼田では。
二人の子供と一人の女が、既に数日の時を稼いでいたことを。




