↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界真田太平記  作者: まん丸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

42/65

備え

 王城の地下。


 昼であろうと日の差さぬ石造りの牢獄に、硬い靴音が響いていた。


 その音に気づいた牢番が立ち上がり、歩いてくる男の姿を認めると慌てて頭を下げる。


「騎士団長様」


「先の討伐軍から戻った男爵はどこだ」


「奥にございます」


 牢番に案内され、騎士団長は薄暗い通路を進んでいった。


 王国騎士団長。


 王国軍の頂点に立つ男であり、その待遇は伯爵と同等とされている。


 もっとも、それを本当に伯爵と同じだと思っている貴族など、この国にはほとんどいない。


 男は孤児だった。


 幼い頃に先王に拾われ、その才を見出され、剣一本で今の地位まで上り詰めた。


 ゆえに貴族たちは、陰で彼をこう呼んでいる。


 成り上がり者、と。


 やがて騎士団長は、一つの牢の前で足を止めた。


 中にいた男が顔を上げる。


 上田から唯一王都へ戻った、あの男爵だった。


 鎧も剣も取り上げられ、粗末な服を着せられている。


「……騎士団長殿か」


 男爵の声に敬意はほとんどなかった。それどころか、僅かな嘲りさえ混じっている。


「このような所まで何用かな。敗軍の将を笑いにでも来たか?」


 騎士団長は気にする様子もなく、鉄格子の前に立った。


「聞きたいことがある」


「私の言い訳を?」


「違う」


 騎士団長は男爵を真っ直ぐに見た。


「真田のことだ」


 男爵の表情から、薄い笑みが消えた。


「……何を聞きたい」


「全てだ」


「全て?」


「お前たちが上田へ入ってから敗れるまで、何を見た。真田が何をした。お前たちが何をした。一つも省かず話せ」


 男爵はしばらく騎士団長を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……長くなるぞ」


「構わん」


 男爵は壁に背を預け、ゆっくりと語り始めた。


 王命を受けて集められた兵は、およそ二千五百。


 対する真田は五百ほど。


 数だけならば、負けるはずのない戦だった。


 真田軍は王国軍を正面から待ち受けていた。騎兵はほとんど見当たらず、盾も少ない。農民と思しき兵も大勢いた。


 だから誰もが思った。


 容易く潰せる、と。


「ところが、奴らは崩れなかった」


 男爵が言う。


「長い槍を持った兵が並んでいた。一人一人が強いわけではない。だが、同時に動くのだ」


「同時に?」


「ああ。そして……太鼓だ」


 騎士団長の眉が僅かに動いた。


「太鼓?」


「真田の軍では、太鼓が鳴るたびに兵が動いた。前へ出る時も、退く時も、別の部隊が動く時もだ」


「合図か」


「分からぬ。だが……」


 膝の上に置かれた男爵の手が、僅かに震えた。


「太鼓が鳴ると、何かが起きた」


 騎士団長はそれを見逃さなかったが、何も言わず続きを促した。


「他には」


「妙な攻撃があった」


「妙な?」


「雷のような音だ」


 男爵は耳の奥に残った音を思い出したのか、顔をしかめる。


「大きな音がした直後、兵が倒れた。子爵様も、それで……」


「魔法ではないのか」


「分からぬ。だが魔法ならば、何かが飛んでくるのが見えるはずだ。火も、風も、氷もな。あれは違った」


 騎士団長は黙って考えた。


 太鼓、長槍、正体の分からぬ攻撃。


 だが、それだけではない。


 何かが引っかかる。


「最初の戦いで、お前たちは敗れたのだな」


 男爵の顔が険しくなった。


「……ああ」


「真田は追ってきたか?」


「何?」


「敗走するお前たちを追撃したかと聞いている」


 男爵は記憶を辿り、やがて首を振った。


「……いや」


「何故だ」


「知らぬ。その時は、奴らにも余力がなかったのだと思った」


「その後、お前たちは軍を立て直した」


「ああ」


「真田は?」


「退いた」


「それを追ったのだな」


 男爵が黙った。


 騎士団長はさらに問う。


「どこまで追った」


「……山間の道だ」


「広かったか?」


 その問いに、男爵の顔が変わった。


「狭かった」


「そこで真田が止まった」


「……ああ」


「先頭を長槍で押さえられた」


 男爵が驚いて騎士団長を見る。


「何故分かる」


 騎士団長は答えず、質問を続けた。


「後ろの兵は?」


「前へ進もうとした」


「前方で何が起きているか知らずに?」


「そうだ」


「弓兵は」


「前へ出られなかった」


「魔法兵は」


「同じだ」


「騎兵は」


 男爵は答えなかった。


 答える必要もなかった。


 騎士団長はゆっくりと息を吐く。


「……そういうことか」


「何がだ」


「お前たちは、誘われたのだ」


 男爵が目を見開いた。


「何?」


「最初の戦いで真田は勝った。だが追わなかった。そしてお前たちが態勢を立て直すと、自ら退いた」


 騎士団長の目が鋭くなる。


「追わせるためだ」


「まさか……」


「五百で二千五百を相手にする必要などない」


 騎士団長は静かに続けた。


「二千五百の兵がいても、狭い場所へ押し込めれば、同時に戦える数は限られる」


 男爵は何も言えなかった。


 あの時。


 前へ行けと怒鳴る者。


 下がれと叫ぶ者。


 押され、転び、味方同士でぶつかる兵。


 使えぬ弓。


 動けぬ馬。


 そして、耳に響く太鼓。


「最初から……」


 男爵の声が震える。


「最初から、あそこへ我らを……?」


「恐らくな」


 男爵は俯いた。


 王は聞かなかった。


 宰相も聞かなかった。


 居並ぶ貴族たちは、自分を臆病者と笑った。


 だが。


 目の前の成り上がり者だけが、自分の話を聞いた。


 そして、あの戦場で何が起きたのかを理解しようとしている。


 しばらくして、男爵が口を開いた。


「……騎士団長様」


 初めて、その呼び方が変わった。


「殿下を、上田へ向かわせるのですか」


 騎士団長は答えなかった。


「私は敗れました。今さら何を申しても、言い訳としか思われぬでしょう」


 男爵は鉄格子を握った。


「ですが、これだけは信じてください」


 騎士団長が男爵を見る。


「兵を増やせば勝てる。そのような相手ではありません」


「……分かった」


 騎士団長は踵を返した。


「話を聞けてよかった」


 男爵が顔を上げる。


 騎士団長はそのまま牢を離れた。


 長い階段を上りながら、頭の中で男爵の話を組み立て直す。


 太鼓による指揮。


 長槍を揃えて使う兵。


 正体不明の攻撃。


 偽りの退却。


 地形を使い、敵の数そのものを殺す戦い。


 そして、それら全てを一つにまとめている者がいる。


 真田幸村。


 三万を超える軍勢を集めれば、本当に勝てるのか。


 騎士団長は足を止めた。


 一人の男の顔が浮かんだ。


 自分がこの世で唯一、背を預けることのできる男。


 武ではなく、魔法によって王国の頂点に立った男。


 かつて先王と共に、滅亡寸前の王国を救った戦友。


 今や賢者と呼ばれる、公爵。


 あやつにも、一度話を聞かせるべきか。


 そう考えながら、騎士団長は再び歩き始めた。


     ◇◇◇


 上田。


 領主館の一室には、真田の主だった者たちが集まっていた。


 部屋の中央には、この地と周辺を記した地図が大きく広げられている。


「殿」


 海野六郎が口を開いた。


「此度は勝ちました。されど、このままで済むとは思えませぬ」


「うむ」


 幸村も同じ考えだった。


 王命を受けた軍を破り、その軍を率いた貴族二人を討った。これで王国が引き下がるとは考えにくい。


「次は、此度より大きな軍勢が来ると考えるべきでしょう」


 六郎は地図へ手を置いた。


「ゆえに、敵が来る前に備えを整えます」


「何をする」


「まず、上田そのものを強くいたします」


 柵を増やし、堀を掘る。


 土塁を築き、見張り台を置く。


 兵糧を蓄える場所も増やす。


 ただ領主館を固めるのではない。道も橋も村も含め、上田全体を守れるように手を入れていく。


「小助」


「はっ」


「兵の鍛錬は続けよ。されど畑を疎かにしてはならぬ」


「承知」


 横で帳面を見ていた甚八も頷く。


「人を兵に取れば、その分だけ畑から人が減りますからな」


「その通りじゃ」


 六郎が答えた。


「兵だけ増やしても、食わせられねば意味がない」


「戦のために民を飢えさせては、本末転倒じゃ」


 幸村の言葉に六郎が頷く。


「御意」


 次に六郎が口にしたのは、商いだった。


「商人を集めます」


「ほう」


「食糧、鉄、木材、革、布、薬、馬。必要な物を今のうちに集めます」


「金は足りるか?」


「今のところは」


「ならば使え」


 即答だった。


 六郎が僅かに笑う。


「また太閤様の教えでございますか」


「うむ」


 幸村も笑った。


「銭は溜めるものではない。流すものじゃ」


 必要な物を買えば商人に金が渡り、商人はまた上田へやって来る。


 物が集まり、人が動く。


 それもまた、戦への備えだった。


「佐助」


「おう」


「手の者をさらに広げよ。王都、周辺の領地、街道。兵の動きだけではない。食糧、馬、荷車、何がどこへ集められているのか、分かることは全て知りたい」


 佐助がニヤリと笑った。


「次は、敵が来てから知るんじゃ遅いってことだな」


「そういうことじゃ」


「任せろ」


 六郎は次に才蔵を見る。


「才蔵」


「なんじゃ」


「お主には道を見てもらう」


「道?」


「橋、谷、川、森もじゃ。敵が来た時、どこを落とせば進めなくなるのか。どこを塞げば荷車が通れぬのか。どこから入れば敵の背後へ回れるのか」


 才蔵の口元が僅かに上がる。


「なるほど。戦が始まる前に、壊す場所を決めておけということか」


「そうじゃ」


「面白い」


 佐助が横から才蔵を見る。


「壊す話になった途端、生き生きしてんな」


「黙れ、甲賀者」


「なんだと、伊賀者」


「二人とも黙れ」


 六郎の一言で、二人は口を閉じた。


 幸村は横を向いて笑いを堪えている。


「望月」


「はっ」


 望月六郎が姿勢を正した。


「各地の傭兵ギルドを回れ。兵を集める」


「どれほど集めますか」


「集められるだけ、とは言わぬ」


 海野六郎が答えようとしたところで、幸村が口を開いた。


「望月」


「はっ」


「お主が選べ」


 望月が幸村を見る。


「金で動く者が悪いとは言わぬ。それが傭兵じゃ。されど、上田の民を守るため、共に戦える者がよい」


 望月は少しだけ笑った。


「難しい注文にございますな」


「出来ぬか?」


「いいえ」


 望月が頭を下げる。


「お任せを」


 軍議はさらに続いた。


 やがて六郎が、地図の端にある山地へ目を向ける。


「それと、殿」


「なんじゃ」


「上田だけでは、守り切れぬ可能性がございます」


 六郎は地図の一点を指した。


「この辺りに、守りの拠点を置きたいと考えております」


 幸村が身を乗り出した。


 山の形。


 道。


 上田との位置関係。


 どこかで見た。


 いや。


 よく知っている。


「……六郎」


「は」


「ここは、砥石に似ておらぬか」


 六郎も改めて地図を覗き込む。


 しばらくして頷いた。


「……確かに」


 佐助が嫌そうな顔をした。


「またかよ」


 幸村が笑う。


「この地では何と呼ぶのじゃ?」


 六郎から現地での呼び名を聞くと、幸村はしばらく地図を眺めた。


「よし」


 地図の一点を指す。


「ここを砥石と呼ぼう」


「また勝手に名前変えるのかよ!」


 佐助がすぐに突っ込んだ。


「分かりやすくてよかろう」


「殿にだけな!」


「皆もすぐ慣れる」


「上田の時もそう言ってたよな!」


 幸村は気にすることなく、今度は少し離れた場所へ目を向けた。


 街道。


 山。


 川。


 そして、その位置。


 幸村の顔から笑みが消えた。


「……ここもか」


 六郎も気づいた。


「日の本の沼田に似ておりますな」


「うむ」


 佐助が額を押さえた。


「もう好きにしてくれ」


 幸村は笑った。


「では、ここは沼田じゃ」


「決定なのかよ!」


 部屋に笑いが起きた。


 だが六郎はすぐに表情を戻す。


「砥石と沼田。この二つを押さえ、支城を置くことができれば、上田だけで敵を受ける必要がなくなります」


 幸村は地図を見つめた。


 上田。


 砥石。


 沼田。


 日の本で見慣れた名が、またこの世界に並び始めている。


 何故なのかは分からない。


 だが今は、その答えを考えている時ではない。


「よし」


 幸村が頷いた。


「やろう」


「では、そのように」


 六郎は十蔵へ目を向けた。


「武具も要る」


 十蔵が腕を組む。


「弾と火薬なら作れる」


「種子島は?」


「まだじゃ。されど、あと少しで形になる」


「急がせるな」


 幸村が言った。


「急いで撃てぬ物を作っても仕方あるまい」


「分かっておる」


 十蔵は短く答えた。


 六郎が帳面へ目を落とす。


「では、これで……」


「待て」


 幸村が言った。


 一人だけ、まだ役目を与えられていない者がいる。


「鎌之助」


「はっ!」


 由利鎌之助が勢いよく返事をした。


 佐助には諜報。


 才蔵には破壊工作の準備。


 望月には傭兵集め。


 十蔵には武具。


 当然、自分にも何か大役がある。


 そんな顔をしていた。


「お主には」


「はっ」


「銭を頼む」


「…………は?」


 部屋が静まり返った。


「殿」


「なんじゃ」


「某だけ、子守でござるか?」


「子守ではない」


「では何を?」


「武術を教えてやってくれ」


 鎌之助が瞬きをする。


 幸村は少し表情を引き締めた。


「森で銭が使ったという力も気になる。捕らえた魔法兵の話では、魔法を持つ童が恐怖などで無意識に力を出すこともあるそうじゃ」


「うむ」


「されど、あの力が何なのか分からぬ以上、それだけに頼らせるわけにはいかぬ」


 幸村は続けた。


「銭は人の前に立ちたがる」


 鎌之助の表情が柔らかくなる。


「誰かが危ないとなれば、己のことなど考えず前へ出る。ならばせめて、己の身を守る術くらいは覚えさせてやりたい」


 鎌之助はしばらく黙っていたが、やがて笑った。


「承知いたした」


 拳を掌へ打ちつける。


「某の技、余すところなく叩き込んでやりまする」


「いや、余すところはあってよいぞ」


「何故でござる」


「銭はまだ童じゃ」


 佐助がぼそりと言った。


「明日には泣いてそうだな、銭」


 鎌之助が振り返る。


「何か申したか?」


「何も言ってねえ」


 六郎が小さく息を吐き、帳面を閉じた。


「では殿、ひとまずは以上にございます」


「うむ」


 幸村が皆を見渡す。


「次にどれほどの敵が来るかは分からぬ。されど、敵が来てから慌てても遅い」


 地図へ目を落とした。


 上田。


 そして、これから砥石、沼田と呼ばれる二つの地。


「各々、頼むぞ」


「はっ!」


 軍議が終わろうとした。


 その時だった。


「殿、よろしいでしょうか」


 部屋の外から声がした。


「なんじゃ」


「お目通りを願う者が来ております」


 六郎が眉を寄せる。


「誰じゃ?」


 扉の向こうから答えが返ってきた。


「カミーユと名乗る少女にございます」


「少女?」


 幸村が首を傾げる。


 使いの者は、一瞬言葉をためらった。


「それが……」


「申せ」


「先の戦にて、殿が討たれた男爵のご息女にございます」


 部屋の空気が変わった。


 幸村の表情から笑みが消える。


 六郎が静かに扉を見る。


「何用で参った」


「分かりませぬ。ただ供の者を数名連れ、どうしても真田幸村様に直接お会いしたいと」


 幸村はしばらく黙っていた。


 父を討った男に会うため、その娘が自ら上田へやって来た。


 その目的を、この時の幸村はまだ知らない。


 カミーユ。


 一人の少女が、上田を訪れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。