おかえり
「もう大丈夫じゃ」
幸村の胸に。
顔を埋めたまま。
銭は。
しばらく泣いていた。
「怖かったぁぁぁ!」
「うむ」
「ずっと……怖かった!」
「うむ」
幸村は。
何も聞かなかった。
ただ。
小さな頭を。
ゆっくりと撫でていた。
やがて。
森の向こうから。
声が聞こえた。
「殿ー!」
「おりましたかー!」
木々の間に。
松明の明かりが。
一つ。
二つ。
現れる。
捜索に出ていた。
男たちだった。
その姿を見た瞬間。
子供たちの顔が。
一気に緩んだ。
「うわあああん!」
「帰れる!」
「帰れるぞ!」
再び。
泣き声が。
森いっぱいに広がった。
「……」
アーニーだけは。
腕を組んでいた。
「ふん」
「俺は最初から大丈夫だと思ってたけどな」
子分が。
アーニーを見る。
「兄貴」
「なんだ」
「さっき母ちゃんって泣いてたぞ」
「泣いてねえ!」
「泣いてた」
「泣いてねえ!」
ゴツン!
「いてえ!」
銭が。
幸村の胸から。
ちらりと顔を出す。
「泣いておったぞ」
「お前まで言うな!」
*
街へ戻った頃には。
すっかり。
夜になっていた。
「いた!」
「帰ってきたぞ!」
街の入口。
待っていた人々が。
一斉に駆け寄ってくる。
「アーニー!」
「母ちゃん!」
アーニーが。
走り出す。
だが。
途中で。
はっと止まった。
急に。
歩き始める。
「……ただいま」
「この馬鹿!」
母親が。
アーニーを。
抱きしめた。
「どれだけ心配したと思ってるの!」
「いてえよ!」
そう言いながら。
アーニーも。
母親の服を。
ぎゅっと掴んでいた。
その横を。
一人の少女が。
走り抜ける。
手には。
大切に抱えた。
薬草。
「おばあちゃん!」
*
小さな家。
寝台の上に。
老婆が。
横たわっている。
「おばあちゃん!」
少女が。
駆け寄った。
「取ってきたよ!」
「薬草!」
街の女たちが。
すぐに薬草を受け取る。
水で洗い。
鍋へ入れる。
火にかける。
しばらくして。
煎じた薬を。
老婆へ飲ませた。
「……」
少女が。
老婆の手を握る。
「おばあちゃん……」
やがて。
老婆が。
ゆっくりと。
目を開いた。
「……おや」
「!」
「おばあちゃん!」
少女の顔が。
くしゃりと歪む。
「よかったぁ……!」
老婆が。
弱々しく。
少女の頭を撫でた。
「心配をかけたねえ……」
「ううん!」
「私……」
少女が。
振り返る。
家の入口。
そこに。
銭がいた。
「銭ちゃんが取ってきてくれたの!」
「……」
老婆が。
銭を見る。
「そうかい……」
「ありがとうね」
「む」
銭が。
胸を張る。
「真田家童組に任せておけ!」
「おい!」
後ろから。
アーニーが顔を出す。
「いつ俺たちまで童組になったんだよ!」
「今日からじゃ」
「勝手に決めるな!」
「第三の子分」
「子分でもねえ!」
老婆が。
小さく。
笑った。
*
家の外。
大人たちが。
待っていた。
「それで……」
一人の男が。
子供たちを見る。
「お前たち」
「子供だけで森へ入ったのか?」
「……」
先ほどまでの。
笑い声が。
消えた。
子供たちが。
俯く。
銭が。
一歩。
前へ出た。
「俺じゃ」
「銭?」
「俺が皆を連れて行った」
アーニーが。
顔を上げた。
「違う!」
「?」
「俺も行くって言った!」
アーニーが。
銭の隣へ立つ。
「こいつだけじゃねえ!」
すると。
一人の少年が。
前へ出る。
「俺も行った」
もう一人。
「俺も!」
少女も。
「私も!」
「……」
銭が。
皆を見る。
誰も。
逃げなかった。
その時。
「銭」
「……!」
銭の背筋が。
伸びた。
幸村が。
立っていた。
「殿……」
「こちらへ参れ」
「……はい」
先ほどまでの。
童組組長は。
どこへやら。
とぼとぼと。
幸村の前へ。
「銭」
「はい」
「勝手に森へ入ったこと」
「……はい」
「褒められたことではない」
「……はい」
「皆を危険に晒した」
「……はい」
銭の頭が。
どんどん。
下がっていく。
「されど」
「……?」
銭が。
顔を上げた。
「病に苦しむ者を見捨てず」
「仲間を守り」
「皆で帰ってきた」
幸村の。
大きな手が。
銭の頭へ置かれる。
ぽん。
「よう頑張った」
「……!」
銭の目に。
また。
涙が溜まる。
「……」
必死に。
堪える。
鼻をすすり。
胸を張った。
「うむ!」
「また泣いてるぞ」
アーニーが。
小声で言った。
「泣いておらぬ!」
「泣いてるじゃねえか」
「泣いておらぬ!」
「お前、俺には言っただろ!」
「知らん!」
「ずるいぞ!」
子供たちが。
笑った。
幸村も。
笑った。
*
翌朝。
領主の館。
「殿」
六郎が。
机の上へ。
紙を広げた。
「む?」
「昨日までに調べた、この地の様子にございます」
「うむ」
幸村が。
紙を覗き込む。
「村の数」
「田畑」
「食糧」
「井戸」
「前領主に連れて行かれ、未だ戻らぬ者」
六郎が。
一つずつ。
報告していく。
「……」
幸村は。
黙って聞いていた。
「昨日の銭たちの件も、その一つにございます」
「薬草か」
「は」
六郎が。
頷く。
「この街には、まともに薬を扱える者がおりませぬ」
「病人が出れば、自ら森へ薬草を取りに行くしかない」
「……」
「されど」
六郎が。
幸村を見る。
「その働き手すら、前領主に奪われておりました」
幸村の。
表情が変わる。
「この地」
六郎が。
静かに言った。
「思っていた以上に荒れております」
「そうか……」
幸村が。
窓の外を見る。
街。
そこに暮らす。
人々。
昨日。
森で泣いていた。
子供たち。
「殿」
「む?」
「土地を取るということは」
六郎が。
幸村を見る。
「そこに暮らす民もまた、背負うということでございます」
「……」
幸村が。
小さく頷いた。
「分かった」
「六郎」
「は」
「頼む」
「……」
六郎の眉が。
ぴくりと動いた。
「殿にも働いていただきます」
「……」
「殿?」
「分かっておる」
幸村が。
目を逸らした。
六郎が。
ため息をつく。
「それと」
「まだあるのか?」
「ございます」
六郎が。
別の紙を取り出した。
それは。
この地の。
絵図だった。
「佐助の手の者にも命じ、周囲を調べさせました」
「うむ」
「村の者からも話を聞き」
六郎が。
絵図を広げる。
「分かる範囲で、地形をまとめたものにございます」
山。
川。
街。
街道。
村。
簡素な線で。
描かれている。
幸村が。
それを見る。
「……」
動きが。
止まった。
「……六郎」
「は」
「これは」
六郎も。
絵図を見る。
「某も初めは」
「偶然かと思いました」
「……」
幸村の指が。
川をなぞる。
そして。
山。
道。
街。
「ここに川が流れ」
「こちらに山」
「街道が……ここを通る」
「は」
幸村の顔から。
笑みが消えた。
「佐助」
「へい」
部屋の隅にいた佐助が。
近づく。
「これを見よ」
「絵図ですかい?」
佐助が。
覗き込む。
「……」
目が。
細くなる。
「これは……」
六郎が。
口を開く。
「川の流れ」
「山の位置」
「道の通り方」
「周囲の土地まで」
指が。
絵図をなぞる。
「細かな違いはございますが」
「……」
佐助が。
呟いた。
「似てるなんてもんじゃねえ」
「……」
部屋が。
静まり返る。
幸村は。
絵図から。
目を離さない。
知らぬ国。
知らぬ土地。
知らぬ街。
だが。
この地形を。
幸村は。
知っている。
幼き頃から。
何度も見た。
何度も歩いた。
そして。
親父殿と共に。
徳川の大軍を。
迎え撃った地。
「……上田」
幸村が。
呟いた。
六郎が。
静かに頷く。
「は」
佐助も。
絵図を見つめている。
「なんで……」
「こんな所に上田があるんだ?」
誰も。
答えられない。
幸村が。
窓の外を見る。
山。
川。
街道。
昨日まで。
見知らぬ土地だと。
思っていた。
だが。
そう思って見れば。
確かに。
見覚えがある。
「……」
幸村が。
再び。
絵図を見る。
そして。
ふっと。
笑った。
「六郎」
「は」
「妙なこともあるものじゃな」
「……左様にございますな」
幸村の指が。
絵図の上へ。
静かに置かれた。
「親父殿が見れば」
「さぞ喜んだであろうな」
「……」
六郎が。
僅かに笑う。
幸村は。
もう一度。
窓の外を見た。
異なる世界。
異なる人々。
異なる国。
それなのに。
目の前にあるのは。
あまりにも。
懐かしい景色だった。
風が。
吹く。
館の上。
六文銭の旗が。
大きく。
揺れていた。




