子爵
領都へ向かう街道を、幸村たちは歩いていた。
幸村を先頭に、銭、海野六郎、三好清海、伊三。
そして先日再会した筧十蔵、根津甚八、望月六郎、穴山小助。
由利鎌之助が囚われているという領都までは、あと半日ほどだという。
「殿」
小助が前方を指した。
「この先に村がございまする。領都へ入る前、そこで一度休まれてはいかがでしょう」
「そうじゃの」
幸村が頷く。
その隣で、銭が小助を見た。
「飯あるかな」
「お主はそればかりでござるな」
伊三が呆れる。
「腹減ったんだから仕方ねぇだろ」
「先ほど食ったばかりではないか」
「歩いたから減った」
「どんな腹をしておるのじゃ」
そんなやり取りをしながら、一行は村へ向かった。
だが。
村が近づくにつれ、幸村の足が僅かに遅くなった。
人がいない。
畑は荒れ、家々の戸は閉ざされている。
昼間だというのに、子供の姿すらない。
「……妙じゃの」
海野六郎が呟いた。
やがて村の入口へ差しかかった時だった。
「やめてくれ!」
男の叫び声。
幸村たちが足を止める。
街道脇。
荷馬車が横倒しになっていた。
数人の男が商人らしき男を地面へ押さえつけ、その荷を漁っている。
「これだけか?」
「それが全部です!」
「嘘つけ!」
男が商人の腹を蹴った。
その周囲では、村人たちが俯いている。
誰一人、助けようとしない。
いや。
助けられないのだ。
銭が眉をひそめる。
「あいつら……盗賊か?」
小助の表情が険しくなる。
「そのようでござるな」
ところが。
幸村の目は別の場所を見ていた。
少し離れた家の前。
鎧を着た数人の男が、酒を飲みながらその光景を眺めている。
領兵だった。
盗賊の一人が商人の荷から酒瓶を取り出す。
「こいつは上物だ!」
その一本を領兵へ放った。
領兵が受け取る。
「分け前を忘れるなよ」
「分かってるって!」
笑い声が上がった。
幸村の顔から表情が消えた。
「……六郎」
「はい」
海野六郎の声も低い。
「どうやら、昨日聞いた話より酷いようにございますな」
その時だった。
盗賊の一人が、家の前にいた若い娘の腕を掴んだ。
「来い」
「嫌!」
母親らしき女が縋りつく。
「お願いです! その子だけは!」
盗賊が女を殴り飛ばした。
銭が一歩前へ出る。
だが。
それより先に。
幸村が歩き出していた。
「何をしておる」
盗賊たちが振り返る。
「なんだ、お前」
幸村は倒れている母親と、腕を掴まれた娘を見た。
「その手を離せ」
盗賊が笑う。
「旅人か?」
「悪いことは言わねぇ。消えな」
幸村は答えない。
盗賊が娘を引き寄せる。
次の瞬間。
幸村の拳が男の顔面へめり込んだ。
「ぶっ!」
男が地面を転がる。
「てめぇ!」
盗賊たちが一斉に武器を抜いた。
清海が笑う。
「殿」
伊三も笑う。
「拙僧らもよろしいので?」
幸村は振り返らない。
「好きにせよ」
二人の笑みが深くなった。
「では」
「遠慮なく」
そこからは早かった。
清海が一人を殴り飛ばす。
伊三が二人まとめて薙ぎ倒す。
十蔵の鉄の六角棒が盗賊の剣を弾き飛ばした。
甚八が大剣を肩に担ぎながら笑う。
「相手にもならぬ」
望月は腰に下げた箱に手を伸ばしかけたが、すぐに戻した。
「……使うまでもないか」
小助の二刀が走る。
瞬く間に、盗賊たちは地面へ転がっていた。
「な、なんだこいつら!」
酒を飲んでいた領兵たちが慌てて立ち上がる。
「貴様ら! 何をしている!」
幸村が振り返った。
「見て分からぬか」
「盗賊を討った」
領兵の隊長らしき男が剣を抜く。
「馬鹿者!」
「その者たちは我らが管理している!」
幸村の眉が動いた。
「管理?」
隊長は言ってから口を閉じた。
だが遅い。
海野六郎が静かに尋ねる。
「盗賊を、領兵が管理していると?」
「黙れ!」
領兵たちが武器を構えた。
「全員捕らえろ!」
だが、勝負にはならなかった。
十蔵が一人。
甚八が二人。
三好兄弟が残りを叩き伏せる。
ほどなく領兵たちは武器を奪われ、地面へ座らされていた。
隊長だけがなお幸村を睨んでいる。
「貴様……自分が何をしたか分かっているのか」
幸村は黙って見下ろした。
「我らは子爵様の兵だぞ!」
「今ならまだ許してやる」
「武器を捨て、我らに従え!」
銭が呆れた顔をする。
「負けたの、お前らじゃん」
「黙れ、小娘!」
幸村が一歩前へ出た。
「一つ尋ねる」
隊長が睨み返す。
「この村の有様を」
幸村は周囲を見た。
怯える村人。
倒れた商人。
荒れた畑。
「子爵は知っておるのか」
隊長は鼻で笑った。
「当然だ」
「盗賊どもが商人から奪った品の一部は、子爵様のところへも――」
海野六郎が目を閉じた。
幸村は小さく頷いた。
「……左様か」
刀が走った。
隊長の身体が崩れ落ちる。
村から音が消えた。
残された領兵たちの顔が青ざめる。
幸村は刀の血を払った。
「六郎」
「はっ」
「由利を救うだけでは済まぬようじゃ」
海野六郎は黙って頭を下げた。
幸村は領都の方角を見た。
「子爵を斬る」
清海と伊三の顔から笑みが消える。
小助も十蔵も、甚八も望月も何も言わない。
ただ、その言葉を受け入れた。
「……待てよ」
銭が幸村を見上げる。
「殿」
幸村が振り返った。
銭は村を見回した。
「ここの奴ら、どうすんだよ」
幸村は少し黙った。
やがて村人たちを見る。
「まずは腹を満たさねばの」
その日の夕刻。
盗賊が溜め込んでいた食料が村人たちへ返された。
奪われた荷も、商人たちの手へ戻された。
生き残った領兵は縛り上げられている。
幸村たちは村の中央に集まっていた。
「問題は兵力にございます」
海野六郎が言った。
「領都ともなれば、兵はこの村の比ではございませぬ」
小助も頷く。
「ヒノモト傭兵団から二十名ほどならば、すぐに呼べましょう」
「二十か」
幸村が腕を組む。
その時だった。
「殿ー!」
聞き覚えのある声。
幸村が振り返る。
村の入口から、一人の男が歩いてくる。
「佐助!」
猿飛佐助。
その後ろには五人の男女がいた。
「遅くなりました」
佐助が笑う。
「村の連中は全員、隠れ里へ送り届けましたよ」
幸村は五人を見る。
「その者らは?」
「俺の弟子です」
「弟子?」
佐助が五人を振り返った。
「こっちへ来て五年」
「甲賀の技を叩き込んできました」
海野六郎が五人を見定める。
「使えるのか」
佐助は肩をすくめた。
「まだまだ甘いところはありますけどね」
そして笑った。
「そこらの兵士に比べれば、戦えますよ」
「ほう」
幸村の口元が僅かに上がる。
佐助が周囲を見る。
縛られた領兵。
倒れた盗賊。
怯えながらも食事を取る村人たち。
「……で」
佐助は幸村を見る。
「今度は何を始めるんです?」
幸村は領都の方角を指した。
「子爵を斬る」
佐助は数秒黙った。
「俺がいない間に、また話が大きくなってません?」
銭が頷く。
「いつもこんな感じだぞ」
「だろうな」
「聞こえておるぞ」
その夜。
一頭の馬が領都へ駆け込んだ。
幸村たちとの戦いから逃げ延びた一人の領兵だった。
領主館。
豪華な一室に、男の怒声が響く。
「村を奪われただと!」
領主である子爵は、手にしていた酒杯を床へ叩きつけた。
「盗賊どもは何をしていた!」
「ほ、ほぼ全滅にございます!」
「領兵は!」
「隊長も……斬られました」
子爵の顔が赤くなる。
「誰だ!」
「誰がやった!」
兵は床へ額をつけた。
「サナダ……」
部屋の隅。
壁にもたれていた男の顔が上がった。
「何?」
子爵が聞き返す。
「サナダと名乗る男にございます!」
男の口元が僅かに動いた。
地下牢に囚われている由利鎌之助。
その名を知らぬはずがない。
真田の手の者。
そして今度は、サナダ。
「……く」
男の喉から、小さな音が漏れた。
「くく……」
子爵が怪訝そうに見る。
「何がおかしい」
男は答えない。
俯いたまま、肩を震わせている。
やがて。
「来ておったか……」
ゆっくりと顔を上げた。
その目は笑っていなかった。
「幸村……」
そして。
堪えきれなくなったように、両手で顔を覆った。
「くくく……はは……」
「来ておったか……!」
声が震える。
歓喜。
憎悪。
そのどちらともつかぬものが、男の顔を歪ませていく。
「幸村ァ……!」
部屋の空気が凍った。
その傍ら。
杖を手にした男が、訝しげに視線を向ける。
子爵も眉をひそめた。
だが男には、もはや二人の姿など見えていなかった。
「大御所様……」
目には涙すら浮かんでいた。
「まだ……終わってはおりませなんだな」
「今度こそ……」
震える手を、強く握りしめる。
「今度こそ、この服部が……」
子爵が鼻を鳴らした。
「何をぶつぶつ言っている」
男は答えなかった。
子爵は苛立ったように椅子へ腰を下ろす。
「兵を集めろ」
「明朝、村を奪還する」
「そのサナダとやらは生かして連れてこい」
「私の領地で何をしたのか、身体に教えてやる」
「はっ!」
兵が下がろうとする。
子爵が思い出したように口を開いた。
「そうだ」
「地下牢に入れたあれはどうした」
側近が頭を下げる。
「未だ、子爵様にお仕えする気はないと」
「まだ首を縦に振らぬか」
子爵は不機嫌そうに指で机を叩く。
「あれほどの腕だ」
「私のものになれば、好きに使ってやるというのに」
「少々痛めつければ、考えも変わりましょう」
「殺すなよ」
「使えるものは使う」
子爵は部屋の反対側へ目を向けた。
杖を持った男が座っている。
「お前も出ろ」
男が面倒そうに顔を上げた。
「私が?」
「たかが賊でしょう」
「念のためだ」
杖の男は小さく息を吐いた。
「……分かりましたよ」
続いて子爵は、壁際の男を見る。
「ハンゾウ」
男の眉が動いた。
「……その名で呼ぶな」
「相変わらず面倒な男だ」
子爵は笑う。
「お前も行け」
男は答えない。
子爵の笑みが消えた。
「忘れたのか?」
「この国のことも分からず、行く当てもなかったお前を拾ってやったのは誰だ」
沈黙。
「そろそろ恩を返してもらおう」
男はしばらく動かなかった。
やがて壁から背を離す。
「……よかろう」
低く、静かな声だった。
そして口元に、再び笑みが浮かぶ。
「此度ばかりは……喜んで働こう」
翌朝。
村の外には二十人のヒノモト傭兵団が集まっていた。
佐助の弟子五人も装備を整えている。
幸村の前に仲間たちが並ぶ。
だが。
「銭」
「ん?」
「お主はここに残れ」
銭の顔が固まった。
「……は?」
「聞こえなんだか。ここに残れ」
「なんでだよ!」
「此度は戦じゃ」
「俺も行く!」
「ならぬ」
「今まで一緒に来ただろ!」
「ならぬものは、ならぬ」
「なんだよそれ!」
銭が頬を膨らませる。
幸村はそれ以上取り合わなかった。
村には捕らえた領兵たちもいる。
傭兵団から数名を残し、その監視と村の守りを任せることになった。
「ちぇっ……」
銭は地面の小石を蹴った。
幸村は槍を手に取った。
「小助」
「はっ」
「皆に伝えよ」
小助が頭を下げる。
「御意」
幸村は領都のある方角を見た。
「参るぞ」
誰も声を上げない。
ただ静かに武器を取る。
「由利を救う」
そして。
昨日見た村の惨状が脳裏を過った。
幸村の目が細くなる。
「子爵を斬る」
その頃。
領都でもまた、村へ向かう兵たちが出陣の支度を整えていた。
互いに。
相手を討つために




