噂
街へ戻った一行は、傭兵たちが馴染みにしている酒場へ入った。
大きな卓を囲み、酒と料理が並ぶ。
先ほどまで泣いていた四人も、ようやく落ち着きを取り戻していた。
小助が酒盃を置く。
「しかし殿。」
「まことに、ご無事で……。」
幸村は苦笑する。
「もうよい。」
「先ほど十分に泣いたであろう。」
「それを申されますな!」
甚八が笑う。
「小助など、殿ぉ、殿ぉ、と子供のようであったぞ。」
「お主も泣いておったではないか!」
「俺は泣いておらぬ。」
十蔵が横から口を挟む。
「鼻水まで垂らしておったぞ。」
「十蔵!」
卓に笑いが広がる。
その様子を、銭は料理を頬張りながら眺めていた。
十蔵が銭へ目を向ける。
「そういえば殿。」
「その娘は?」
幸村も銭を見る。
「銭じゃ。」
「旅の途中で拾った。」
「だから拾ったって言うな!」
銭が即座に噛みつく。
「俺は物じゃねぇ!」
幸村は笑った。
「今は共に旅をしておる。」
小助が銭の顔を見る。
黒い髪。
黒い瞳。
「殿と一緒に、この地へ参られたのでござるか?」
銭は首を振る。
「違うぞ。」
「俺はこっちの人間だ。」
四人が僅かに表情を変えた。
だが、小助はそれ以上尋ねなかった。
幸村が言う。
「まあ、よろしくしてやってくれ。」
銭は胸を張る。
「よろしくな!」
甚八が笑った。
「威勢のいい娘じゃ。」
銭は幸村の皿へ手を伸ばす。
「幸村、それ食わないなら――」
「銭!」
伊三の声が飛んだ。
「なんだよ!」
「何度言えば分かるのでござる!」
伊三は幸村を指す。
「殿と呼べ!」
「うるせぇな!」
「幸村でいいだろ!」
「よくないのでござる!」
「なんでだよ!」
「殿は殿だからでござる!」
「意味わかんねぇ!」
幸村は酒を飲みながら笑う。
「好きに呼ばせればよかろう。」
伊三が振り返る。
「殿が甘やかすからでござる!」
「うるせぇ!」
銭はぷいと横を向いた。
「絶対呼ばねぇからな。」
「……。」
伊三は不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
やがて。
海野六郎が酒盃を置いた。
「ところで、お主ら。」
四人が六郎を見る。
「一つ確かめたいことがございます。」
小助が頷く。
「何でございましょう、ご家老様。」
「お主ら、この地へ参ったのはいつ頃じゃ。」
四人は顔を見合わせた。
やがて小助が答える。
「およそ二年前にございます。」
六郎の目が僅かに細くなる。
「……やはり。」
幸村が六郎を見る。
「何か分かったか。」
「まだ仮説にございます。」
六郎は卓の上へ指を置いた。
酒で濡れた指先を滑らせ、一本の線を描く。
「大坂にて、家康の本陣へ切り込んだ折。」
「殿のお側に最も近かったのが、清海と伊三。」
三好兄弟が顔を上げる。
「この二人は、殿よりおよそ二週間早くこの地へ参りました。」
六郎は線の少し後ろを指す。
「その後ろに由利鎌之助。」
幸村が黙って頷く。
「由利とはまだ再会しておりませぬゆえ、これは分かりませぬ。」
さらに後ろ。
「その後ろに、十蔵、甚八、望月、小助。」
「お主らは二年前。」
小助が頷く。
六郎はさらに指を動かす。
「拙者と才蔵も、およそ二年前。」
そして。
線の最も後ろ。
「最後方におった佐助。」
「佐助がこの地へ参ったのは五年前。」
誰も口を挟まなかった。
六郎が静かに続ける。
「殿から離れていた者ほど、この地へ早く参っている。」
幸村が目を細める。
「偶然ではないと申すか。」
六郎は首を振る。
「分かりませぬ。」
「まだ、ただの仮説にございます。」
「されど、我らが同じ時に大坂から消えたのであれば。」
「この差には、何か意味があるやもしれませぬ。」
幸村は卓に描かれた線を見つめた。
二週間。
二年。
五年。
清海が腕を組む。
「なるほど。」
伊三も頷く。
「なるほど。」
二人はしばらく真剣な顔をしていた。
やがて清海が六郎を見る。
「ご家老様。」
「何じゃ。」
「なぜ殿から離れておった者ほど、早くこちらへ参ったのでござる?」
六郎はしばらく清海を見た。
「……それが分かれば苦労はせぬ。」
「なるほど!」
伊三も大きく頷く。
「さすがご家老様!」
六郎は額を押さえた。
「何がさすがなのじゃ……。」
再び小さな笑いが起きた。
だが。
その笑いが消えたところで、幸村が小助へ目を向けた。
「小助。」
「はっ。」
「先ほどの兵ども。」
「いつも、あのようなのか。」
小助の顔から笑みが消える。
「……はい。」
甚八が酒盃を置いた。
「あいつらは、魔物が出れば逃げる。」
「終われば戻ってきて、獲物だけ持っていく。」
十蔵も鼻を鳴らす。
「珍しいことではない。」
幸村が眉をひそめる。
「珍しくない?」
望月六郎が答える。
「この街だけの話ではございませぬ。」
「少なくとも我らが渡り歩いた土地では、似たような話を何度も聞きました。」
幸村は黙る。
小助が続けた。
「この街も本来なら、もっと立派な防壁があるはずなのです。」
幸村の目が動いた。
街へ入る前に見た。
壊れかけた板塀。
人一人が通れそうな穴。
「民からは毎年、防壁を整えるためと称して金を集めております。」
清海が首を傾げる。
「では、あの板は何じゃ。」
小助は苦笑する。
「その金が、どこへ消えているのか。」
「誰もが知っております。」
銭が言った。
「領主か?」
誰も答えなかった。
答える必要もなかった。
甚八が低い声で続ける。
「税も重い。」
「払えなければ家畜を取られる。」
「畑を取られる。」
「それでも足りなければ……。」
甚八が言葉を止めた。
幸村が見る。
「どうなる。」
十蔵が答える。
「人が売られる。」
銭の手が止まった。
卓の空気が変わった。
幸村は何も言わない。
ただ、酒盃から手を離した。
「王は何をしておる。」
誰もすぐには答えなかった。
やがて小助が口を開く。
「我らも王都へは参っておりませぬ。」
「されど。」
「少なくとも、この地の民を救うために何かをしたという話は聞いたことがございませぬ。」
幸村は静かに目を伏せた。
その時。
隣の卓から声がした。
「そういや頭。」
小助が振り返る。
傭兵団の一人が酒を片手にこちらを見ていた。
「なんじゃ。」
「領都から来た奴が、妙な話をしてたぞ。」
「妙な話?」
「ああ。」
男は椅子ごとこちらを向く。
「領都の牢に、とんでもなく強ぇ奴が捕まってるらしい。」
幸村たちが顔を上げる。
「強い?」
「領兵を何人も素手で叩き伏せたとか。」
清海が眉を上げた。
伊三も口を止める。
小助が尋ねる。
「名は?」
男は記憶を探るように額を掻いた。
「確か……。」
少し間が空く。
「カマノスケ。」
幸村の目が変わった。
「由利か。」
男が指を鳴らす。
「そう、それだ!」
「由利鎌之助!」
ガタン。
清海と伊三が立ち上がった。
四人の顔からも酔いが消える。
海野六郎が幸村を見る。
幸村は静かに立ち上がった。
「領都はどちらじゃ。」
「え?」
「由利が囚われている領都じゃ。」
男が慌てて方角を指した。
幸村は頷く。
「六郎。」
「はっ。」
「迎えに参るぞ。」
一同が立ち上がる。
銭も慌てて椅子から飛び降りた。
「待てよ、殿!」
誰も動かなかった。
銭も止まった。
「……。」
伊三がゆっくり振り返る。
にやり。
「今、申したな?」
銭の顔が赤くなった。
「うるせぇ!」
酒場に、久しぶりの笑い声が響いた。
だが。
その先に待つ領都で。
彼らはまだ知らない。
由利鎌之助が、なぜ囚われているのかを




