第06話「棺のような部屋」
テープは、予定どおり日曜日に届いた。
ポストではなく宅配だった。薄い緩衝材に包まれただけの、簡素な梱包。送り状の依頼主欄には、住所の代わりにただ「marie」とだけ書かれていた。
凛は包みを開けた。出てきたのは写真のとおりの、黒いプラスチックの直方体。VHSテープ。思っていたより、ずっと大きくずっと重い。手のひらにのせると――ひやりとしているはずの冬の荷物が、なぜかわずかに生暖かかった。
まるでついさっきまで誰かが握っていたみたいに。
気のせいだ。配送中に、何かの熱を持ったのだろう。凛はそう思おうとした。ラベルの『呪い』の文字が、画面で見たときより、ずっと生々しかった。赤いインクが、繊維の奥までにじんでいる。書いた人間の力の入り方が、そのまま残っていた。
ふと、黒いプラスチックの表面に、無数の細かい傷が刻まれているのに気づいた。
光にかざすと、それはひとつではなかった。何層にも重なっている。誰かが何度も握りしめ、爪を立てたような弧。剥がしては貼り直したラベルの粘着の跡。指の脂が焼きついた、いくつもの指紋。――返しに来て、それきり姿を見てない。あの子も。老店主の言葉が、頭をよぎった。この傷の一つひとつが、このテープを手にした誰かの痕跡なのだとしたら。観て、怯えて、手放して、消えていった人たちの。そして何度も、それを回収した誰かの。
凛は、その傷から指を離した。
夜になるのを待った。なぜか昼の光のなかでは、観てはいけない気がした。これは暗がりのなかでしか、再生してはいけないものだと、本能が告げていた。
部屋の電気をすべて消した。窓の外の街の明かりだけが、ぼんやりと部屋を照らしている。凛はひとりだった。この部屋に半年間、誰も招いていない。誰にも話していない。これから自分が観るものを、知っている人間は、世界にひとりもいない。その孤独が急に重く、のしかかってきた。
凛は買ったばかりのテレビデオを床に据えた。電源を入れると、ブラウン管が低く「キーン」という高い音を立てて、青白く灯った。昔の家電の生き物みたいな唸り。今のテレビはこんな音を立てない。その音だけで部屋の空気が、二十六年前へ、巻き戻されたような気がした。
テープを挿入口に差し込む。機械がテープを飲み込んだ。内部でローラーが回り、磁気ヘッドがテープを掴む。「ガコン」という重い音。それから「ジー……」とテープが走りはじめる音。
画面が砂嵐になった。スピーカーから、ザーッという無秩序なノイズ。凛は出品者の言葉を思い出した。音を大きくしすぎないように。音量を確かめる。低い。これくらいなら大丈夫だろう。
砂嵐が不意に途切れた。画面が暗く沈んだ。
そして――ノイズが消えた。
ザーッという砂嵐の音が、ふっと吸い込まれるように消えて、後に残ったのは音のない静けさ。
ただの無音ではなかった。それは音が、存在することを許されない空間の静けさだった。耳が必死に何かを探して、何も見つけられない。自分の心臓の音が頭蓋骨の内側で、いやに大きく鳴りはじめる。
防音室の、無響の静けさが――テレビの画面から、凛の部屋に流れ出してきた。
画面に部屋が映った。三方の壁を、灰色の吸音楔が覆っている。画面の隅に、日付が焼き込まれていた。
『1999 12 03』
凛が生まれる五年前。
部屋の中央に、アップライトピアノ。その前に、白いワンピースの少女が座っていた。あの少女だった。痩せて骨が浮いてけれど目だけが、落ちくぼんだ眼窩の奥で、異様な光をたたえていた。
少女が鍵盤に指を置いた。弾きはじめる。
音は聞こえなかった。スピーカーからは、無響の静けさだけ。少女の指は確かに鍵盤を叩いているのに、何も聞こえない。
そう思ったそのときだった。
ピアノの音が聞こえた。たった一音。低く重い響き。
だがそれは、テレビのスピーカーからではなかった。凛の背後から聞こえた。




