表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/21

第15話「最後のLINE」

 美波と別れて、一人になった帰り道。


 凛はふと美月のことを、思い出していた。誰かとあんなふうに、屈託なく話したのは美月以来だった。美波の隣にいると美月といた頃の、あの感じがよみがえる。世界が少しだけあたたかくて音が、近かったあの感じが。


 部屋に戻って、凛はスマートフォンを開いた。そしてためらいながら、美月とのトーク画面を開いた。半年間一度も開けなかった画面。


 いちばん下に美月からの、最後のメッセージが残っていた。


 あの日――事故の前の夜。たわいもないやりとりだった。


 『凛、凛。あのさ卒業したら、旅行行こうよ』


 『どこ』


 『北海道! 雪まつり! 見たくない?』


 『寒いから嫌』


 『えー。じゃあ沖縄。あったかいよ』


 『暑いから嫌』


 『なんなの。面倒くさいなあ凛は』


 そのあとに、笑っているスタンプがひとつ。


 凛はそのやりとりを、何度も読み返した。あのとき凛は確か、こう返したのだ。『美月が決めてよ。どっちでもいいから』と。そうしたら美月は『じゃあ、両方行こう。卒業旅行と就職祝いと』と、返してきた。


 両方行こう。


 その約束は果たされなかった。その翌日美月は事故で、死んだから。北海道も沖縄も行けなかった。卒業も就職もその先の何もかも。


 凛は画面を見つめた。『面倒くさいなあ凛は』。美月の笑い声が、聞こえるようだった。あんなにくだらないやりとり。なのにそれが最後だなんて。


 もしあのとき知っていたら。これが最後だと知っていたら。凛はもっとちゃんと、返事をしただろうか。北海道でも沖縄でもどこへでも行く、と。あなたと一緒なら、どこでもいいと。


 あの日のことを、凛は断片でしか覚えていない。大学からの一本の電話。聞き慣れない事務的な声。美月のフルネーム。事故。即死。その単語だけがばらばらに耳に刺さって、意味を結ばなかった。気づいたら凛は病院の、白い廊下に立っていた。どうやってそこまで行ったのか、覚えていない。


 美月の顔はきれいなままだった。眠っているみたいだった。今にも「凛、凛」と二回名前を呼んで、起き上がりそうだった。しかしいくら待っても、その声はしなかった。あんなにうるさいくらい、よく喋る子だったのに。世界から美月の声だけが、ぷつりと消えていた。


 あのときから、だったのかもしれない。凛の世界から音が、遠ざかりはじめたのは。いちばん聞きたい声を失って、凛の耳はほかのすべての音にも、蓋をしてしまった。


 だが人はいつも知らない。どのやりとりが最後になるのか。だから最後の言葉はたいてい、こんなふうに何気ない。「面倒くさいなあ」とか。そういうありふれた言葉が、永遠に最後の言葉として残ってしまう。


 凛はスマートフォンを、そっと伏せた。


 ふいに美月の声が、聞きたくなった。


 あの子はよく凛の部屋に、勝手に上がりこんできた。鍵を開けておくと、「凛、凛、来たよー」と二回名前を呼びながら。そして冷蔵庫を勝手に開けて、「なんもないじゃん」と文句を言う。コンビニで二人ぶんのアイスを買ってきて、勝手に半分こにする。凛が課題をしていると退屈して、ベッドに寝転がって、どうでもいい話を延々と続ける。芸能人のこと。サークルの先輩のこと。昨日見た変な夢のこと。


 凛はいつも「うるさい」と言っていた。本当はちっとも、うるさくなんてなかったのに。あの絶え間ない、おしゃべりの音が。あの子がそこにいる、といういちばん確かなしるしだったのに。


 その声をもう一度聞きたい。たった一度でいい。「凛、凛」とあの二回呼ぶ声を。


 だがいくら願っても、それは叶わない。美月の声はもうどこにもない。録音すら残していない。あるのはあの留守電の一件だけ。それも半年間、怖くて聞けなかった。


 半年ぶりに美月のことを、まっすぐ思い出せた。涙は出なかった。ただ胸の奥がしんと静かだった。美波と出会って凍りついていた何かが少しずつ、溶けはじめている。そんな気がした。


 その溶けはじめた心がこれから、何を取り戻しそして何を、もう一度失うことになるのか。


 このときの凛はまだ知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ