第30話 ベルナルトとの再会
アル様に告白されてから数日間。
私は、今までにはない計算ミスが少し増えてしまった。
「エリシア? 疲れがたまってきているのではないかい?」
「お父様、ごめんなさい。こんな簡単なミスをするなんて」
「少し休んだらどうだい? 私もエリシアに帳簿を任せきりにしていたから申し訳ないね」
「いいえ、私が好きでやっているので良いのです」
私が帳簿をめくろうとすると、父がその手を止めるように言った。
「エリシア。今日は、お休みとしよう。これは命令だよ。甘い物でも用意しよう」
「ありがとうございます。では、いったん部屋に戻っております」
「うん、分かった。エリシアのパワーの源は数字と甘い物だからね」
「はい」
「あ、それだけじゃないか。アルベルト様もか!」
「……お父様!」
私は自室に戻り、扉を閉めると、小さなソファにそっと腰掛けた。
胸の奥が落ち着かない。
いつもなら、数字を見れば落ち着くのに。
帳簿を開いてみても、視線は上滑りしていくばかりだ。
(全然集中出来ないわ。こんなの初めてだわ……)
頭の中を占めているのは、数日前のあの告白。
ふとした瞬間に、アル様の言葉が、体温が、耳の奥で再生される。
思い出すたびに、頬が勝手に緩みそうになるのを、意識して抑える。
湧き出る感情に、表情がここまで制御しづらくなるなんて。
……こんな感覚は、初めてだった。
「エリシア。浮かれてる場合じゃないわよ」
私は自分に言い聞かせるように、両手で頬を少し叩いた。
胸の奥に広がるこの感覚だけは、どうしても計算できない。
仕方なく、無理矢理、奥底へと押し込めた。
いまは、子ども未来基金の違和感を解消させることを考えなければならない。
(子ども未来基金について、何か資料を見ることは出来ないかしら)
帳簿を見れば何かが分かるはず。
けれど、基金の帳簿がどこに管理されているかも分からない。
孤児院に対して基金から援助がなされているのだろうか。
「そうだ……孤児院は地方に沢山ある。ベルナルド様なら何か分かるかもしれないわ」
私は、さっそく財務局に勤めるベルナルト様に会いにいくことにした。
モヤモヤが晴れることを期待して。
◇
「お久しぶりです。エリシア様」
「ベルナルト様。突然来てしまい申し訳ございませんでした」
「エリシア様なら大歓迎ですよ」
私は、ベルナルト様の家を訪れた。
「また、何かあったのですか?」
「まだ違和感だけなのですが、子ども未来基金ってご存じですか?」
「もちろん。レオンハルト殿下が立ち上げた基金ですよね」
「ええ、その基金についてですが……」
言い終える前に、ベルナルト様は机の上に手を伸ばし、書類の山を迷いなくかき分けた。
次の瞬間には、目的の資料を取り出した。
「エリシア様から、子ども未来基金の話が出るとは思わなかったです」
ベルナルト様は、資料を片手に、少し興奮している。
「どういうことでしょうか?」
「実は、私も基金について、疑問がありまして。この資料を見てくれますか」
私はベルナルト様から資料を受け取った。
「子ども未来基金に対する監査は、不要である……?」
「普通、国から助成金や補助金をもらう団体などに対しては、僕ら財務局が監査をするんですよ」
「国からのお金が、ちゃんと使われているのか、などチェックするのですよね」
「えぇ。でも、なぜか、この基金の監査はしなくてよい、と通達がきたのです」
「監査されたら困ることがある、ということですよね」
「えぇ。非常に怪しいですよね」
ベルナルト様は、指先で紙の端を軽く叩きながら続ける。
「でも、ここにはこれ以上の情報がなくて。正直、手詰まりでしてね」
「……王都の財務省本部になら?」
「もちろん、財務省にある資料を見れば何かが分かるはずです。
ただ、財務省本部は資料を見せてくれないでしょう」
私は、ある人の顔を思い浮かべていた。
「……分かりました。私に考えがございます」
◇
「エリシア様。男性と一緒ということでしたので、アルベルト様と一緒だと思ったのですが」
「申し訳ございません。セドリック様」
私は、内密にセドリック様に面会を申し入れていた。
セドリック様からの返事は、少し時間がかかったが、了承してもらったのだ。
「セドリック殿下。初めてお目にかかります。わたくし、財務局のベルナルトと申します」
ベルナルト様が緊張した様子で、セドリック様に挨拶をする。
「はじめまして。セドリックです」
「それで、エリシア様。今回は内密にということですが、一体どういうことでしょうか?」
「セドリック様。
実は、レオン様が設立した子ども未来基金についてなのですが。
……調べたいことがございます」
「兄上が設立した基金を? なぜですか?」
「……子ども未来基金の目的が、しっかりと果たされているかを確認したいのです」
セドリック様が少し固まる。
「それは……国からの助成金が、ちゃんと使われていない可能性がある、ということですか?」
「あくまで可能性です。数字を見れば分かります」
「……それを僕がエリシア様に見せた場合……兄上に何が起こりますか?」
「数字から正しさが明らかになれば、何も問題ございません」」
私はセドリック様の目をじっと見ながら続ける。
「ただ、そうではない場合
――聡明なセドリック様ならおわかりでは?」
セドリック様は考え込んでいる。
わずかに伏せられた視線と、動かない足先が、迷いを物語っている。
「私があなたに閲覧させることで、もしかしたら兄上は……」
絞り出すような声だった。
セドリック様はそのまま黙り込み、ただ立ち尽くす。
「セドリック様。あなたにとって、守るべき相手はどなたでしょうか?」
私の問いかけに、セドリック様はわずかに目を見開いた。
それだけだった。
けれど次の瞬間、空気が変わる。
「私が守るべき相手。
それはもちろん――国。国民です」
「賢明なご判断をいただけること願っております」
私はベルナルト様とともに挨拶をして、その場を後にしようとした。
「お待ちください」
セドリック様の目が覚悟を決めた目をしていた。
「財務省には内密に、ということですよね」
「……知られずに見ることが出来たら助かります」
「分かりました。今日の夜遅く、資料を見られるようにしておきます。ただ、何名か、王家から監視をつかせていただきます」
「お心遣い、感謝いたします」
◇
夜も更け、財務省本部の明かりはほぼ落ちている。
紙をめくる音だけが、静かに部屋に響く。
積み上げられた帳簿に、指先を滑らせる。
部屋の隅では、王家の監視役達が無言で立っている。
もう一枚、帳簿をめくる。
「これは……」
「ベルナルト様。この帳簿を見てください」
「どれどれ」
私は帳簿の、あるページを指し示した。
「うむ。これは不思議ですね」
「えぇ。国が購入した山を、子ども未来基金に売却しています」
「しかも、結構な金額だ」
「基金がこんな高額な山を購入したら、本来の目的の孤児院のための活動費がなくなりますよね」
私は、子ども未来基金が高額な山を購入していたことに、驚きを隠せなかった。
しかし、ベルナルト様は冷静に答える。
「あぁ。でも、たとえば、基金がこの山をさらに売却して、基金のお金を増やすという投資目的ならば問題はないでしょうね」
「確かに、そうですけど……価値のある山だということでしょうか?」
ベルナルト様が、更に資料をめくる。
「エリシア様。この山、国が購入した際の記録も添付されています」
「鑑定書がついていますね。金貨500枚の価値がある、と」
「かなり高い価値ですね」
「エリシア様。ここ見てください」
ベルナルト様が、資料のある部分を指さした。
「山を購入する際に必要な、王家の事前承認サインが
――ない?」
「えぇ。代わりにあるのは――レオボルト大臣のサインだ」
「この山、調べる価値ありますね」
部屋の空気が、わずかに変わった。
私はもう一度、帳簿に目を落とす。
「数字は教えてくれる……」
その言葉だけが、静かな夜に残った。




