22
寒さに追い打ちをかけるような空気の悪さに耐えかねた私は一旦トイレに行くと伝えて席を立った。当然のように両脇の鬼が立ち上がる気配がする。
「妃芽様、まだ屋敷内の道どうせ覚えてないっすよね。自分案内するっすよ!」
うるせえ。丁重にお断りする。
瑠璃が道を覚えているから問題ないと言って断った。二人がついてくるのに水鞠がついてきたら部屋に居るのと何も状況が変わらない。勘弁してほしい。外気温まで冷蔵庫にしないでほしい。あんな空気が悪くなる冷房、真夏にだって使いたくない。
さて、適当に歩き回って水鞠の居た部屋からは結構離れたしそろそろ話しても良いだろう。枯山水と松が見事な日本庭園が見える縁側で私は足を止めて振り返った。ここまで喧嘩もせず無言だった瑠璃と紅玉は話を聞く態勢になっている、どうやら私がトイレのために席を立ったわけではないと察しているらしい。
「さっきの水鞠の話、どこまで信用できそう?」
「あの人間は嘘を吐くほど器用じゃないのは確かだね」
私の言葉に即座に答えたのは瑠璃だった。私から見た水鞠の印象とほぼ同じ、私より私の周りに注意を払う瑠璃がそう言うのだから水鞠のあれは素なのだろう。水鞠がした説明の中に嘘は無い、と。つまり水鞠が散々失礼なことを言ってきたのは挑発でもなんでもなく本心ということか。ゴミカスとか小学生とか頭おかしいとか言われた身としてはとても複雑な心境である。
とりあえず水鞠の説明を全面的に信用するならば。
鬼を従えるには術で使役するのが一般的。
鬼の等級は甲乙丙丁の四段階。でも天狼っていう鬼はその限りじゃない。
術使いの等級は特級から四級まで。水鞠は二級。
天恵って呼ばれる特殊能力を持つ人の等級も特級から四級まで。
見事に今の自分にほとんど必要のなさそうな情報ばっかり。
瑠璃と紅玉は使役の術を使わないんじゃなくて私が術を使えないだけだし、鬼の等級は昨日ハルちゃんから軽く聞いていたし、術を使えないから術使いの等級とか関係ないし、天恵を持つという蜜柑さんとは最初の案内以来会えていないし。
まあ、一般常識なんてそれだけで純粋に必要とされることの方が稀なのだろうけど。常識を知っている状態とそうじゃない状態では行動や発言に差が出るのは当然だし物事への考え方や価値観だって変わってくる。常識外れなことをしないためには常識を知ることが重要だ。分かってはいるけど、だったらもっと他に人選あっただろうと言いたくなる。
水鞠の態度に言及するときりが無いので一旦見ないふりをするとして。
一般常識以外の部分ではちょっと気になることを聞けた。
「ハルちゃんが水鞠に『自分と同等に扱うように』って言ってたみたいなんだけど、どういうことだと思う?お客としてもてなせっていうんだったらそんな言い方しないと思うんだけど」
「ふむ。世間一般、過度な待遇は下心の現れ。どうやらあのちゃらんぽらんは我が主に懸想していると見える」
過度な待遇。下心。
紅玉の言う通りだと思う。多分ハルちゃんは私に何か要求したいことがあって、それを頼んだ時に断りにくい状況に持っていきたいのだろう。
その要求が紅玉の言うような惚れた腫れたなら平和的にお断りするだけで良い。多少もめたり待遇が悪くなることが予想出来るけど大した問題じゃない。向こうは大人なのだから高校生相手にうだうだ言うような格好悪いことはしないだろう。
しかし自分の手札にハルちゃんが欲しそうなものがあるだけにそんな楽観的に物事を考えるのは難しそうだ。
ハルちゃんが欲しそうなもの。
瑠璃と紅玉という強力な鬼、そして術殺し。
守護四役というなんかすごい組織を抜けたハルちゃん達からすれば万が一のことに備えて戦力は欲しいはず。私が持っていてハルちゃんが持っていない手札なんてそれくらいなものだ。
術殺しの可能性は低いと思う。と言うのもこのお屋敷、三歩に一つくらいの感覚で何かしらの術が敷き詰められているのだ。多分セキュリティ的なものだろうから消えたら不味いやつ。一発手を叩くだけで大惨事だ。ハルちゃんは私に敷地内から出ないようにと言っていたし、仮に術殺しを使わせたいのだとしたらハルちゃんの行動とかみ合わなくなってくる。
でも瑠璃と紅玉が目的かと聞かれればそれも怪しい。何故なら繧繝衆にはこの二人が警戒するほどの鬼、天狼がいるから。まだ会ったことは無いけど相当強いはず、そうじゃなければプライドの高いこの二人がここまで露骨に警戒しないだろうし。そんなに強い鬼が居るならわざわざ私の鬼なんて必要無い。
あれ、ひょっとして私の持っているものでハルちゃんが欲しそうなものって無い?
でもそれだとハルちゃんの目的が分からない。本当に黎明の剣のためだけなわけ無いだろうし。一体何を企んでいるんだろう。考えるほどに雲行きが怪しくなってくる。あまり考えたくないけどここから逃げ出すことは常に視野に入れておく必要がありそうだ。
「下世話な推測で妃芽の耳を汚すな、無能。あの程度の男が妃芽に釣り合うはずがないだろうが」
「ふん、釣り合わぬという割に押されていたようだがな。あの程度の男に手傷を負う貴様は一ノ鬼に相応しいと言えるのか?」
仮に逃げるとして問題になるのはハルちゃんの管理下に居るであろう両親。昨日説明を受けたときは金城さんのところから連れ出してくれて普通に有難いと思ったし安心したけど、見方を変えると完全に人質だ。出来れば逃げる時に一緒に連れていきたいけどきっと二人は、と言うか瑠璃が納得しない。むしろ逃げ切るための囮にしようとか思っていそう。
そしてもう一つ問題、天狼という鬼。会ったことがないから本当にどういうふうに動くのか分からない。正直瑠璃と紅玉みたいに鬼の縄張りに入ったという感覚が全く無い私からすると本当にそんな鬼が存在するのかすら怪しい。皆が揃って私にドッキリを仕掛けているのではないだろうか。だって瑠璃と紅玉がトラックなのに対して天狼はコンテナ船だというし。
「負傷したのは相手も同じ、人間の傷がすぐ治らないことを考えれば優勢だったのは僕の方だ。まともな戦況の判断も出来ないのか、愚図」
「口では何とでも言えよう、何せ性悪の口はよく動く。あのまま戦っていたとしても相手を殺すどころか時間稼ぎにしかならなかったであろう」
「お前と一緒にするな。お前だったら十秒も経たずに折られている、いっそ折られてしまえ。そしてその不愉快な面を二度と僕に見せるな」
「別に貴様に見せているわけではない、勝手に見ている分際で何を偉そうにものを言っているのだ」
というか、水鞠の例え。
何であの話の流れでコンテナ船が出てくるのか、絶対ノリで言ったに違いない。きっと水鞠は実物を見たこと無いのに言ったのだろう。私も見たことないけど。
でも漠然とした認識でトラックよりコンテナ船の方が大きいような気はしてる。実際のところコンテナ船ってどれくらいの大きさなのだろう。
コンテナ船を大きさを確認するため検索しようと端末を取り出す。そして出してから電源を切っていたことを思い出した。
昨日親に怒られている最中にタイミング悪く通知が入り、親の矛先がそちらにも向いたので仕方なく電源を落とした。そしてそのまま今まで放置していた。
「そもそも貴様が不快だというこの顔を我が主は大層気に入っておる。主の意向を理解出来ない上に趣味も合わぬなら傍に侍るのを辞めるべきではないか?」
「僕が妃芽の側に居るのは一ノ鬼としての責務であり、僕を一ノ鬼に選んだのは他でもない妃芽自身だ。妃芽の決定に異を唱えるお前こそ視界から消えろ」
「主の決定に度々異を呈する貴様が先に消えるがいい。我が主は実直で無欲が故に貴様のような性悪とはそりが合わぬようだからな」
電源を入れた途端溜まっていた通知が一斉に押し寄せる。
その大半は急な転校に驚いたり別れを惜しむ友達からのメッセージ。『転校するなんて聞いてないよ』、それはそうだろう。私だって今朝知った。何なら皆より後に聞いた可能性だってある。
そして通知の内の何件かはハルちゃんからのゲームのお誘いである。ふざけんな。こんな心に余裕がない状態でゲームなんて出来るか。むしろハルちゃんは何で呑気にゲームをしているんだ。忙しいんじゃないのか。ちゃんと仕事しろ。
「こんなところで何をしている」
声に反応して顔を上げる。
私が画面を見ている間に二人は喧嘩をやめて、いつの間にか私を庇うようにして声の人物との間に立っていた。びっくりした。人が来ていたなんて全然気が付かなかった。
声の人物は桐島木立さん。
目の前の二人の鬼に怯んだ様子もなく、まるで鬼なんか見えていないかのように私をまっすぐ見つめていた。




