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手の鳴る方へ  作者: 黒丑テル
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31

「ハルちゃん!!」


 彼の元に辿り着く前に誰かの腕が間に割って入る。瑠璃の腕だった、その腕にぶつかる寸前で足を止めて瑠璃を睨みつける。


「近寄らない方が良い、手負いの獣は空腹のそれより危険だ」


 危険なのはハルちゃんよりも瑠璃の方、と言おうとした口から声が出なかった。瑠璃の顔、私が立っている位置と反対側の目の付近に大きな裂傷が出来ていたのである。その傷はぱっと見ただけでもかなり深いことが分かり、目蓋の下の眼球まで到達しているだろうことが簡単に想像出来た。

 誰がやった、なんて考えるまでも無い。瑠璃と戦っていたのはハルちゃんだ。


「る、瑠璃、その怪我っ…!」

「問題無い、余力はあるから治そうと思えばすぐ治せる。それより妃芽、危ないから前に出ないでくれ」


 声色も顔色も変わらない瑠璃にそう言われてから、以前彼が切り落とされた自分の腕を拾ってくっつけていた様子を思い出す。人間にとって重傷であっても鬼からしたらそうでもないのかもしれない。でもそれにしたって、瑠璃がこんな深手を負うなんて思ってもみなかった。きっとそれは瑠璃も同じで、その証拠にこうして言葉を交わしている間も瑠璃はハルちゃんから目を離そうとしない。それだけハルちゃんを警戒しているということだ。


 落ち着け。怯むな。空気に飲まれるな。少なくとも瑠璃は追撃よりも私の話を聞くことを優先している。なら私の言うことを聞いてくれるはずだ。そしてハルちゃん、彼も今は攻撃を止めているが恐らく好意的なものや楽観的なものではない。紅玉や瑠璃が、鬼が本当に無力な私の言うことを聞くのか様子をうかがっているのだ。先程の得体の知れない悪寒のことも気になるし、仮に制御出来ないと判断されればいくら鬼でも無事では済まないだろう。


 この場を円滑に収めるにはどうするべきか。

 私は肺の中の空気を押し出すように吐き出し、一息吸ってから行く手を遮る瑠璃の腕を掴む。


「瑠璃」

「駄目だ」


 名前を呼んだだけなのにすぐに拒否された。それに続く私の言葉に想像がついたのだろう。


「通して」

「駄目だ」

「あの人と話をさせて」

「許容出来ない、危険だ」

「敵じゃないから大丈夫」


 ふと、気付くと瑠璃の両目が開いている。目の周りの生々しい血痕はそのままだけど眼球自体は会話をしている間に回復したようだ。


「敵じゃない相手が味方とは限らない、なら初めから敵として扱うべきだ」

「味方になってくれるかもしれないから」

「味方になったふりをして裏切らないとは言い切れない」

「裏切るかどうかなんて分からないでしょ!」

「その通りだ、裏切るとも分からない。ならここで始末しておいた方が後の憂いが無くなる」


 ダメだ、埒が明かない。

 掴んだ瑠璃の腕を一度放して私は一歩後ろに下がる。瑠璃に動きは無い、相変わらずキセルを口元に構えたままハルちゃんと睨み合っている状態である。それでも瑠璃の方から攻撃を仕掛けないのはせめてもの妥協点なのだろう。私がその程度では妥協できないということをまず理解してもらいたいところではあるが。


「紅玉!」

「相分かった」


 紅玉が返事をした途端、瑠璃の周りを炎が取り囲んだ。側に立つ私でさえ思わずよろめくような熱気が瑠璃を炙る。やり過ぎだと思わないでもないけれどこれでも瑠璃を直接燃やしていないだけマシである。立場が逆なら瑠璃はまず間違いなく紅玉に当たるように攻撃しているに違いない。


「…おい無能、何の真似だ」

「やれやれ、どうやら性格だけではなく耳も悪いらしい。主命を聞くことが出来ないならその耳は不要だな?」

「なら頭が悪いお前は存在自体が不要だろうな」

「不要かどうかは今ほど主がどちらの名を呼んだのかではっきりしておろう。ああ、それとも今の主の声も耳が悪い貴様には聞こえておらぬのか?」


 そう言いながら紅玉は整った顔面に相応しい勝ち誇った笑みを浮かべた。瑠璃を炙るだけでは飽き足らずに煽る煽る。やめて欲しい。本当に主のことを思っているならこんな状況で喧嘩をするな、よそ様が見ているんだぞ。

 瑠璃が振り返って私を見て、肩の力を抜いて大きな溜息を吐き出した。それからキセルをくわえて煙を吐き出し紅玉の炎の壁を消す。


「仕方ない、今回は僕が折れるよ。ただその男が少しでも不審な動きをすれば殺す、良いね?」

「それで良いよ、ありがと」


 良いか悪いかで言えば圧倒的に悪いんだけど。そもそも不審な動きをするかどうかの選択権は私じゃなくてハルちゃんが持っているから質問する人間を間違えている。良いかどうかはハルちゃんに聞いて欲しい。だけどそんなこと言っている状況ではないので折れてくれた瑠璃にお礼を言ってからハルちゃんの元に向かう。


「ごめん、ハルちゃん。遅くなって」

「いや、良い。って言うより助かった、マジで妃芽ちゃんの言うことちゃんと聞いてんのな。正直半信半疑だったからもう絶体絶命だと思ってたわ」


 私が近づいてからハルちゃんは初めて瑠璃から私に視線を移し、片腕を反対の手で押さえながら器用に立ち上がった。あのやり取りを見た後でちゃんと言うことを聞いていると判断するのはどうかと思う。判定が緩すぎやしないか。

 取りあえず怪我をしているらしいハルちゃんの腕の状態を確認しようと近付くとハルちゃんは腕を庇うようにちょっとだけ距離を取る。まさか戦闘能力の無い私のことを警戒しているのだろうかと面食らっているとハルちゃんは少し困った様子で笑った。


「悪い、骨折れてるから触るのは勘弁してくれ」


 笑顔で言われた言葉の意味が理解出来なくて数秒固まる。それから視線だけがハルちゃんの顔と腕を往復し、三往復目くらいのところでようやく状況に頭が追いついて血の気が引いた。


「え、は?…うでっ…?!」

「そ。綺麗に折られてるから多分簡単にくっつくし今は痛覚鈍くしてあるからこうしてる分には問題ねえけど、変に動かすとやっぱ痛いから、」

「いや、いやいやいやいや!!」


 咄嗟にハルちゃんの発言を遮って大声を上げてしまう。

 だって簡単にくっつくわけが無い。瑠璃の目の怪我は数分もしないで回復したがハルちゃんも同様に治るかと言ったらそんなわけが無い。何故ならハルちゃんは鬼ではなくて人間だから。人間の骨って折れてからどれくらいで治るのだろうか、少なくとも数か月単位は掛かるのではないだろうか、万が一変な方向にくっついてしまえば以前と同じような生活が送れなくなってしまうかもしれないし。

 他人の未来を奪ってしまうかもしれないという恐怖と罪悪感に押しつぶされそうになり私は勢いよくハルちゃんに頭を下げた。


「ご…ごめ、ごめんなさいっ、本当にごめんなさい!!」

「いや、だから本当に大丈夫なんだって。取りあえず妃芽ちゃんの鬼が物凄い形相でこっち見てくるから早く頭を上げてくれ。じゃないと反対の腕も折られかねない」


 ハルちゃんに促されて渋々頭を上げる。私の鬼のせいで謝らなければならないのに私の鬼のせいでちゃんと謝ることが出来ない。


「んな顔すんなって。妃芽ちゃんのせいだなんて思ってねえから」

「だって私のせいじゃなくても私の鬼のせいだから…」

「あーあーやめようぜ、そういう辛気臭い空気嫌いなんだよ。切り替えて行こう。って訳で、妃芽ちゃんに質問です!」


 尚も謝罪を続けようとする私をハルちゃんが声を張り上げて止める。気を遣わせてしまったことに更に申し訳なくなりながらハルちゃんの言葉の続きを待つ。

 質問って何だろう。あの二人とどうやって会ったとか?あるいは術殺しを何故使えるのかとか?何を質問されたとしても正直ハルちゃんが納得するような回答を出来る気がしないのだけど。

 そんな身構える私をからかうようにハルちゃんはにっと悪戯な笑みを浮かべた。


「パトカー、乗ったことある?」


 あまりに突拍子も無い質問に目が点になる。

 へ、パトカー?何、突然。

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