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私の味方で、私の鬼。本来ならばこの再会を喜び二人の無事を安堵しなければならない。だがそんなこと出来なかった。
「…ぁ」
見えない圧力で肺が押しつぶされ、恐怖で足から力が抜けてその場にへたり込む。金城さんに敵意を向けられた時でさえこれほどの恐怖を覚えることは無かったのに。二人の殺気は庇護対象である私さえも畏縮させるほど苛烈で、最悪の状況になってしまったことを本能で感じた。
「アレは僕が殺す、お前は妃芽を守れ」
「ふん、言われるまでも無い。精々返り討ちに合わぬことだな、アレはかなりやるぞ」
「誰に物を言っている。相手が何であろうと関係無い、殺せば同じだ」
「別に仕損じても構わぬがな。相打ちになれば尚良しだ」
「…妃芽の前であることを感謝するんだな。でなければお前の首は飛んでいる」
二人は私のことを見ない、というより武器を構えたままハルちゃんから視線を離さない。二人がハルちゃんのことを敵だと認識している証拠だ。
早く止めなければならない、ハルちゃんの懸念通り二人はハルちゃんのことを殺そうとしている、頭では理解しているのに私は声が出すことも出来なかった。この二人は度々本気で喧嘩するので殺気には慣れたつもりでいたがそんなものとは比べ物にならない。私を守ろうとしての行動だと頭の片隅で理解しながらもそれを遥かに凌駕する恐怖が思考を占領する。彼らがその気になれば私の命なんて蠟燭の火より遥かに簡単に消せるのだという歴然とした事実、久しく忘れていた命が脅かされる感覚にまともに呼吸が出来ない。
ハルちゃんはそんな私に一瞥だけくれるとすぐに鬼たちに視線を戻す。
「もしもし?俺はお宅らの敵じゃねえんだが、話し合う気は無い?」
瑠璃がキセルをくわえて一息吸い込んでからじろりとハルちゃんのことを睨みつけた。二人の殺気を受けても平然として、その上殺気の出所に話しかけることが出来る彼の神経を疑ってしまう。
「……人間。まさかとは思うが僕に言っているのか?」
「そのまさかだよ、他に誰か居るように見えんのか?あー…角が青いってことは、お前は瑠璃の方だな?」
ハルちゃんの口から瑠璃の名前が出た瞬間、耳をつんざく金属同士がぶつかったような音。
何かが起きた、何が起きたのか。ハルちゃんが持っていた槍を振り抜いた体勢になっているので多分瑠璃が攻撃を仕掛けてハルちゃんがそれを弾いたのだろうと、状況を理解したのは数秒後のこと。目が全く追いつかなかった。目の前で起こったことを見ていたはずなのにまるで何も見えなかった。
「その名は主が僕を呼ぶための名だ。人間風情が気安く口にするな」
「その主も人間だろ、いちいちケチ臭い鬼だな」
「紅玉、流れ弾が妃芽に当たらないようにしろ。守護が切れている」
「人の話聞かねえ鬼だな!あーあ、こんな面倒な鬼を持った妃芽ちゃんが可哀そうだ、なっ?!」
ハルちゃんが咄嗟に跳び退るとその場所に矢のようなものが無数に突き立った。今の術が当たっていればハルちゃんが死んでいたかもしれないと考えただけでぞっとする。
「時間を掛けるなよ、主を待たせておるのだ」
「人間は脆いからな、一時間も掛からない」
「戯け、四半刻だ。それ以上は待たぬ」
「…おいおい、随分甘く見てくれんじゃねえか。人間様をなめんなよ、鬼畜ども」
ハルちゃんと瑠璃が互いに武器を構えて睨み合い戦闘を開始する。武器がぶつかり合う音や攻撃を弾く音が耳に届く中、私はそれを見ることが出来なかった。私の視界を赤が占領したのである。
「無事か?我が主よ」
こちらに近づいてきた紅玉がへたり込んでいる私に視線を合わせるようにしゃがみ込んで顔を覗き込んでくる。こんな状況であっても美しい彼女に二人を止めるよう言いたいのに口が動くばかりで声帯が震えずに声が上手く出てこない。
「?…ああ、あの性悪の殺気に当てられたか。まったく、加減を知らぬ不調法者には困ったものだな」
私の肌感覚では殺気を振りまいていたのは紅玉も同じだが。鬼というものは自分を客観視出来ない種族なのだろうか。
紅玉の掌がぺし、と私の頬に触れる。その途端、体を竦み上がらせていた恐怖が栓が抜けたように一気にどこかへと押し流されていく。これはアレだ、使いすぎると危機感が麻痺するとか瑠璃が言っていたやつだ。何をしているんだと、勝手なことをするなと一度くらい注意しなければならないと頭の片隅では理解しているが今はそれどころではない。
「まあ、儂が来たからには安心するが良い。御身は身命を賭してでも、」
「紅玉、二人を止めてっ!!」
「…ぬ?」
呆ける紅玉の背後から弾かれるような金属音が聞こえてきて、私は立ち上がって二人の戦況を確認する。そして血の気が引いた。
「相手が悪かったな、人間」
膝をついて片腕を押さえているハルちゃんと数メートル離れたところでキセルを吹かして術を作り出す瑠璃。ハルちゃんの手元には持っていた槍が無い、戦いの最中に何処かに行ってしまったのだろうか。丸腰のハルちゃんを無数の術の刃が取り囲む。
「…偉そうに見下してんじゃねえぞ」
圧倒的に不利な状況なのにハルちゃんには諦めた様子も焦った様子も見られない。ハルちゃんは腕を押さえていた手を手首にずらし組紐に指を掛けた。
その瞬間、言い表しようの無い寒気が背筋を駆けあがってくる。
「やめて!!」
私は叫ぶのと同時に反射的に手を叩いていた。
術殺しが発動して瑠璃が繰り出していた術と、今し方感じた寒気が一瞬で消え失せる。これで消えたということはハルちゃんが使おうとしていたのは術の類だったのだろう。それにしてはあまりにも、瑠璃と紅玉の殺気を遥かに上回るような不吉な感覚だった。
手を叩いたお陰で瑠璃の術が全て消えたのでハルちゃんは無事だ。だが今の不気味な感覚は一体何だったのだろう。味方が出来たこともその味方を失わずに済んだのも喜ばしいことだけど、果たして本当に味方に付いて良い人なのだろうか。
「妃芽ちゃん、それ連発出来るのかよ」
脱力した様子でその場に座り込むハルちゃんを見て、私ははっと我に返って疑念を一旦見ないふりして彼の元に駆け寄った。




