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金城は少し離れた場所に居る如月妃芽と繧繝の動向に目を光らせていた。
今の彼女の様子を見ていると金城と話していた時のような笑みが消え動揺していることが伝わって来る。どうやら彼女の策は繧繝を味方につけることが前提条件のようだ。繧繝がこの場に来たのは想定外ではあったが金城は彼が守護四役を裏切るとは考えていない。仮にも繧繝衆の当主だ、守護四役を敵に回すデメリットを理解出来ないほどの馬鹿ではないだろう。
現に如月妃芽の交渉は難航しているようだった。ここからでは細かい内容までは聞き取れないが、どうやら繧繝は彼女に鬼を見捨てるように話しているようだ。彼らしいと言えばそうなのだろう。非情な人間ではないが情に振り回されるほど愚かな男でもない。このまま話が進めば如月妃芽の身柄は二区のものになるだろうが致し方ない、彼女を野放しにしておくよりはましだろう。むしろ彼女のような危険人物を管理するにおいては天狼のお膝元である二区以上に適切な場所は無いかもしれない。
今この瞬間、金城が警戒しているのは繧繝ではなく交渉が決裂したときに如月妃芽がどのような行動に出るかである。逃走を図るのであればまだ良い、それだけ彼女を追い詰められたということだ。この場において如月妃芽の逃走は金城の勝利に等しい。
だが姿が見えない彼女の鬼の存在が気掛かりだ。こうしている間にも奇襲のタイミングをうかがっているのではないか。あるいは交渉の手札を増やすために暗躍しているのではないか。或いは自分には考えも付かないような一手を打ってくるのではないか。考え出せば切りが無くなってしまうがそれほどに如月妃芽の智謀は底が無いということだろう。
「『黎明の剣』をあなたにあげる!!」
身構えていただけに、金城は如月妃芽の言葉に拍子抜けした。
金城の知る限り繧繝と言う男は物欲とは無縁の人間だ。五家の人間が研鑽を重ねて目指す地位を得ても欠片も喜ばず、選ばれた責任を全うするためにその席に座っているだけ。人並み程度の責任感があるから投げ出すことこそしないが、真っ当な理由を用意して席を退くように言えば何の未練も無く去ることは簡単に想像できる。
黎明の剣がどのような代物なのか、金城は知らない。名前からして武具か術具なのだろうが、そんな物は繧繝の地位にあれば一級品を腐るほど持っているはずだ。仮に繧繝が持っていない物だったとしても彼が望めば同等品か類似品を手に入れることくらいは出来るだろう。
繧繝に対して物で媚びるのはあまりに愚策。流石の如月妃芽であってもどうやら手詰まりのようだ。どんなに計略に長けていようが所詮は高校生、無謀な交渉を纏めるには経験が浅かったようである。いや、むしろそれくらいの方が年相応なのかもしれない。
金城は如月妃芽の人間らしい一面に安堵と、どこか落胆に近いものを感じながら繧繝の反応を待った。
「は?……黎明の剣、だと?」
驚愕に満ちた呟き。繧繝の目の色が変わる。
その両方が金城にとって想定外の反応だった。
「あれは実在しないはず…あり得ない!麦ちゃんが持っているはずが無い、いくら何でも言って良い冗談と悪い冗談があるだろ!あんな物はただの伝説だ!!」
いつも気怠げで飄々としていることの多い繧繝が慌てふためき目の前の現実を受け入れられないと言った様子で声を荒げる。疑念、衝撃、渇望、期待、警戒。様々な感情を織り交ぜた動揺を露わにする繧繝と対照的に、如月妃芽は多少その気迫に気圧されながらもその反応が予想通りだったとでも言うように澄ました顔で対峙している。
「そもそも麦ちゃんは黎明期の人間じゃない、どうやったって黎明の剣が手に入るわけが無いだろ?!」
「そうだね、普通はそう。信じられなくても仕方無いと思う、私もそうだったから…でも、それを可能にするだけの力があるの」
「力、だと?麦ちゃんにそんな力が…一体どうして?」
「ごめん、いくらハルちゃんでもそれは味方になってからじゃないと言えない」
繧繝が真剣な顔で考え込むような素振りを見せる、金城はそれを信じられないものを見るような目で見た。繧繝が自分の背負うものと天秤にかけるほどの価値が黎明の剣にはあると考えているということである。
それほどの逸品であるならば名前くらいは聞いたことくらいはあっても良さそうだが、金城はいくら自分の記憶の中を探しても該当する代物が全く分からなかった。繧繝が今言った通り伝説のような逸話があるなら心当たりの一つや二つくらいあってもおかしくないはずだというのに。その情報の少なさが金城を一層混乱に陥れる。
「……味方になるっていうのは具体的に何をすりゃ良いんだ?」
「おい、繧繝!」
「うるせえ、おっさんは黙ってろ」
金城の制止を一蹴して繧繝が如月妃芽の返答を待つ。つられて金城も息を飲んで、息を殺して彼女の言葉を待った。
繧繝が裏切るなどあり得ない。馬鹿馬鹿しい話だ。そう思いながらもじりじりと炙られるような焦燥感が金城を襲う。
「私と私の大切なものを守って欲しい。望むのはそれだけだよ」
如月妃芽が言った『それだけ』。今の状況でそれがどれほど困難であるか、明敏な彼女が分からないはずが無い。
守護四役で決まったことを覆すと言うことは守護四役を敵に回すと言うことに等しい。如月妃芽自身の身柄はどうとでも言い訳が出来るだろうが彼女の鬼はそういうわけにはいかない。討伐対象は殺処分が基本、最低でも戦闘が出来ないように無力化しなければならない。
彼女はそれを見逃すどころか守れと言っているのだ。守護四役である繧繝に対して同じく守護四役である金城の前で裏切る覚悟を示せと言っているのだ。
あり得ない。非常識。不躾。無謀。
如月妃芽の言動を貶す言葉はいくらでも出てくる。だと言うのに金城はそれらを一つとして口から出せずにいた。他の人間ならばいざ知らず。如月妃芽にとってこの要求は、あり得る可能性であり、彼女の常識の範疇で、正しい手順に則ったものであり、無謀でも何でもないような、そう思わせる何かがあるような気がしたのだ。
「……悪いな、おっさん」
繧繝がそう言ってどこか晴れ晴れとした笑顔を見せる。金城の握りしめた拳の中に手汗が滲む。嫌な予感なんてものじゃない。これは確信だ。金城には繧繝が次の瞬間何を口にするのか分かったのだ、分かってしまったのだ。何故なら自分も繧繝も所詮は如月妃芽という傑物の掌の上なのだから。駒の一つに過ぎないのだから。
その証拠に駒を操る側の彼女は簡単に切り開いてみせる。金城や繧繝が自分の意思で選んだと思っていた選択肢の中から、
「俺、守護四役抜けるわ」
あり得ないほどに非常識で不躾で無謀な可能性を。




