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私は土手の上に上がると自分が進んできた方向を振り返った。戦っているであろう紅玉が今どんな状況なのか見ることが出来たらと思ったのだが、かなり距離が離れてしまっているのと川が緩やかに蛇行するのに伴って河川敷もくねっているので彼女の姿を確認することは出来なかった。
住宅街の方向を振り返って瑠璃の姿も探してみる、が、やはり見つからない。どうやら屋根の上を跳躍して移動している訳じゃないみたいだ。戦闘の末に動けないような状況になっているのでは、という考えを振り払うように首を振る。やめよう、心配したところで私に出来ることなんてそれこそ心配することぐらいしかない。
術を使って派手に戦っていればどのあたりに居るかくらいは見えたのかもしれないが今は誰かの術のせいで術が使えない状態らしいしのでそれも望みは薄い。高台に上がったはいいが全くの無駄だった。
もう一度紅玉が居るはずの方向を見て、すぐ近くに橋があることに気付いた。そういえば別れ際に瑠璃は川を渡らなければすぐに追いつくと言っていた。あの時はそんなに気にならなかったけど、あの言葉は川を渡ると瑠璃であっても追いつけないということではないだろうか。川の向こうに何かあるのだろうか。父の実家があるので年に何回か向こう岸に行っているが特別何も無かったと思うのだけど。
「やれやれ、随分と遠くまで来てくれたものだね。お陰で探すのに手間取ってしまったよ」
そんなことを考えている最中、突然背後から話しかけてきたのは金城さんの声。
頭から氷水を被ったような、そんな心地がした。
大ピンチである。
何故金城さんがここに来ているのか。いや瑠璃が追跡がどうのこうの言っていたから私のことを追って来たのだろうけども。でも札は瑠璃の方へ行ったみたいだったのにどうやって私の居場所が分かったのだろうか。そもそも瑠璃は無事なのだろうか。迎え撃ちに行った瑠璃が居なくて追って来た金城さんがここに居るということは、考えたくは無いが、まさか、瑠璃は既に捕まったか殺されてしまったのではないだろうか。
いや、違う、大丈夫、落ち着け、落ち着こう。
金城さんは完全に背後を取っていたのに学校の時みたいに問答無用で捕まえたり攻撃したりしてこなかった。これにはきっと何か意味がある。
ひょっとすると金城さんは瑠璃と遭遇していなくて、今私の側に居るのではないかと警戒しているのかもしれない。だとすれば瑠璃は殺されていないはずだ。
或いは金城さん側に話し合うつもりがあるという意思表示かもしれない。結構状況がこじれてしまったけれど話し合いで解決するならそれに越したことは無い。
はたまた単純に何の取り柄も無い小娘だと舐められているだけかもしれない。これが一番濃厚だ。そして至極真っ当な評価である。
どれが正解だったとしても振り返った瞬間に金城さんが攻撃してくる可能性は低いはずだ。なら下手に逃げたりしないで話し合いに持っていこう、あわよくば和解を提案しよう。
そんなことを考えながら私は警戒されないように笑顔を作って金城さんに向き直った。
「こんにちは、金城さん。よろしければ少し話しませんか?」
そして後悔した。振り返った先にあった金城さんの表情は笑顔でありながらも私が予想していたどれとも異なっていたのである。まるで長年の宿敵を前にしたときのような、一分の隙も見せて堪るかと言わんばかりの金城さんの鋭い眼光に作った笑顔が引きつるのを感じた。あまりのプレッシャーに胃の辺りがぎゅっと狭まるような心地がする。なんでそんなに警戒されているのか全く心当たりは無いが、金城さんのこの顔を見て話し合いの余地があるだとか、まして舐められているなんてとても思えない。完全に敵認定されている、選択を間違えた、振り返らずに逃げておくべきだった。
「話、か。…良いだろう。君はそのためにわざわざ待っていたのだろうしね」
私は別に金城さんの到着を待っていたわけではない。私のことなんて気にしないで話し合いの席に着かずに帰ってくれても構わない、なんなら私も帰りたい。
「そんなに警戒しなくても、瑠璃は…鬼は居ませんよ」
取りあえずこの緊張感に私の胃が持ちそうにないので、警戒を解いて貰おうと思って鬼は居ないと素直に白状しておく。金城さんからすれば瑠璃や紅玉さえ居なければ私なんて戦闘能力の無い一般人でしかないのだから。術殺しが使えるから術で攻撃してくる分にはどうにか出来るのかもしれないけど、物理的な力では目の前の金城さんに勝てる気がしないし、学校の時のように術で周囲を破壊して物理的に攻撃されたら手も足も出ない。仮に捕まるとしても実力行使に出る必要すら無い無力な相手だということだけは認識してもらわなくては。
そう考えての発言だったのに、金城さんは笑みを深くするだけで警戒を解く様子がまるで無い。『顔が笑っていても目が笑っていない』という文言を初めて聞いた時はそんなの見て分かるわけ無いと思っていた。そんなことは無かった。見れば分かる。笑顔を浮かべていても金城さんの瞳の奥からは明確な敵意を感じる。
「先に確認させてもらうが、あの甲級は君の鬼かね?」
「こうきゅう?」
金城さんの言葉をそのまま繰り返しながら頭をひねる。コウキュウってなんだろう。高級?それとも硬球?金城さんの言い方からして多分鬼の名前か何かだろうからまったくの造語の可能性もある。
「いや、違うならいい。…瑠璃と言うのは学校で見た鬼のことかい?」
「そうです、今はちょっとおつかいに出しているので。どこかで見かけませんでしたか?」
「……直接会ってはいないが挨拶は貰ったよ。とびきり丁寧なやつをね」
金城さんがそう答えた瞬間、骨の奥から肌が粟立つような猛烈な悪寒に襲われる。覚えがあると言いたくは無いがこの感覚には覚えがある。瑠璃に殺気を向けられた時の感覚にすごく近い。瑠璃の殺気を事前にくらったことが無かったらこの本能的な恐怖から足腰の力が抜けて立てなくなっていただろう。
つまり金城さんの殺気が私に直接向けられている。なんで、なんて考えるまでも無い。話の流れからして瑠璃が何かやらかしたに違いない。こんな状況だ、金城さんの言う丁寧な挨拶とやらが文字通りの意味ではないことくらい察しがつく。一体彼は何をしてくれたんだ。
しかしながら金城さんのこの反応から考えると多分瑠璃は無事だ。そうでなければ何の力も無い私を金城さんがここまで警戒する理由が無い。金城さんを煽るような行動をしたであろう瑠璃が無事だから、金城さんは瑠璃が次に何をしてくるのか分からず主である私を警戒している、ということだろう。
瑠璃が無事ならばまだどうにかなるかもしれない。瑠璃が私の命令通り紅玉を助けに向かっているならその内紅玉の案内を頼りにここにやって来るであろう二人と合流することが出来る。
なら私に出来ることは二人が来るまでの間、会話で時間を稼ぐことだ。
「すみません、私の鬼が何か粗相をしてしまったようですね」
苦笑いを浮かべながら謝罪すると金城さんの顔からとうとう笑顔が消えて殺気と敵意を露わに睨まれる。理由は全く分からない、でも詰んだかもしれない。




