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手の鳴る方へ  作者: 黒丑テル
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 名残惜しく、というより心配で紅玉の後姿を見ていたのだが瑠璃が住宅地へと入り込んだので紅玉と別れてから数分もせずに彼女の姿は見えなくなった。ここまで一直線に逃げてきたのでてっきりこのまま川を渡るのかと思っていたのだが違うらしい。どうやら引き返すのともまた違って住宅の間を縫うようにして川沿いに進んでいるみたいである。窓の中にたまに人影が見えるので見つからないかとヒヤヒヤするのだが誰一人としてこちらを気に留める気配が無く、瑠璃が何か細工をしたのだろうと勝手に納得した。


「妃芽、移動しながらで悪いけど今後の方針を決めてくれ」


 そういうと瑠璃は私を抱えて走りながら器用にキセルをくわえて煙を出した。こんな時に瑠璃がただ一服するとは思えないので多分何かしらの術を出したのだと思う。


「方針って…」

「話し合いは無理、戦うのも駄目、逃げるのも嫌。これでは幾ら僕でも妃芽の意に沿うことは出来ない。妥協してどれか一つを選んで欲しい」


 うっ、と私は現実から目を背けるように瑠璃から目を逸らした。目を逸らしたところで瑠璃が私を抱えている以上は現実から逃げられないのだが、出来れば結論を先延ばしにしたい。だが状況的にそうも言っていられないのも分かる。私がこうして選ばず対応が遅れるほどに瑠璃や紅玉に負担が掛かってしまう。そもそもこんな追われる立場でありながら三つも選択肢が残されていることが奇跡なのだろう。


 第一の選択肢、話し合う。響きだけなら一見まともそうに聞こえるが話し合いのテーブルを用意する為に瑠璃はまず相手を叩きのめす気でいるし、いきなり攻撃されたことからしてもそうしないと向こうに話を聞いて貰えないと思う。命まで取らないにしても金城さんの恨みを買うのは間違いない。その場は一時的に収まったとしても危険と隣り合わせな日常の始まりだ。そもそも話し合いのテーブルを用意する前に二人が倒されてしまえば私は抵抗すら出来ずに捕まってしまうだろう。

 第二の選択肢、迎え撃つ。瑠璃も紅玉も好戦的な性格をしておいでなのでこの選択を選べば彼らは嬉々として戦いに行くだろうが、戦いとは無縁の生活を送ってきた私の心情的には一番避けて行きたい選択肢である。いくら二人に無駄な殺しをしないように言っていても私が戦う意思を見せた後もそれが有効とは限らない。むしろ戦いにおいて命のやり取りは当然だから仕方ないよね、とか考えそう。それにこの選択肢においても二人が倒されれば詰んでしまうことに変わりは無い。

 第三の選択肢、逃げ出す。選べるものならこれを選んでしまいたい。しかしながらこの選択肢を選ぶということは私の両親を見捨てるということだ。自分だけ安全圏に逃げて危険な目に遭うであろう親を見て見ぬふりをする。絶対に嫌だ、そんなこと出来るわけが無い。それに紅玉も置いて行ってしまうことになる。今は追跡出来る状態だと紅玉は言っていたが彼女を嫌う瑠璃がこの機会を見逃すとは思えない。瑠璃が術を解除してしまうか、或いは私に手を叩かせて解除させようとするかもしれない。


 考えれば考えるほど碌な選択肢が無い。どうかと思う。どうしてこんなことに。


「こっちが向こうの味方になるっていうのは?」

「却下だ。向こうが下に付くならともかく君があんな輩の下に付く必要は無い。それに下手に出ればどんな不利な条件を付けられるか分からないよ」

「じゃあ、金城さんの鬼は二人居たしどっちかに味方になって貰えないかな」

「現実的じゃないね。寝返りさせるにはそれなりの根回しと相手側のメリットが必要だ」

「メリットって、例えば?」

「主に不満があって鞍替えしたいとか、喉から手が出るほど欲しいものを貰えるとか。…まあ、あの鬼たちは使役の術で縛られていたみたいだから無駄だと思うよ」

「ならその術を解除するから味方になってっていうのは?」

「術で縛られてはいたけれど無理やり服従させられている様子には見えなかったから多分行動に制限を掛けたり裏切ったりしないようにしているだけだと思う。術を解除して寝返るとは思えない」


 絶望的じゃないか。


「どうにかならない?」

「どうにもならない。僕個人の意見としては手っ取り早くて後腐れも無いから迎え撃つことをお勧めするが……」


 言いかけていた言葉を瑠璃は急に区切る。

 その理由は私も瑠璃の言葉を聞くより先に肌で感じていた。


 ピン、と空気がわずかに張り詰めるような感覚。


 殺気とは違った奇妙な空気、これを感じとったのが自分一人であったなら気のせいだと思っただろうが瑠璃も反応を示したので少なくとも気のせいではないのだろう。


「瑠璃、今何か…」

「そうだね、術が使われた。安全を確認する為に少し止まるよ」


 言うが早いか、瑠璃は一度大きく跳躍して着地をすると同時に私を静かに下ろしキセルをくわえた。さっきまでは移動しながら術を出していたのに何でわざわざ止まるのだろう。移動しながらでは使えないような術を使うのか、はたまた不用意に動いて術に掛かることを懸念しているのか。


 そうして瑠璃が吐き出した息には初めて彼に会った時のように煙が伴っていなかった。そういう術なのかもしれないという考えは次の瞬間瑠璃が舌打ちをしたことによって否定される。


「術が発動しない、どうやら封じられたみたいだ」

「発動しないって…私の術殺しみたいな感じ?」

「いや、違う。術殺しがそんなにごろごろ転がっていたら流石に困る。多分術を使うのを邪魔するものであって術を無効にするものじゃないはずだ。現にあの馬鹿が君に掛けた守護はまだ切れていない」


 ふっと、私の視界に影が落ちる。鳥の影かと思って見上げると影を落とした物体は思ったよりも近く、私の頭の頭の数十センチ上にあった。


「なに、これ?」


 お札である。達筆過ぎて何と書かれているか分からない紙幣サイズの紙が重力や空気抵抗を無視して不自然に宙に浮いていた。

 私がそれに触れるよりも先に瑠璃の手が伸びてそのお札をぐしゃりと握り潰して苦い顔をする。


「追跡だよ、学校からコイツが僕らをずっと探して飛び回っていたんだ。掛からない内に射程外に出てまいてしまいたかったけど、術が使えない以上目暗ましも出来やしない」


 目暗まし。瑠璃が走りながら時々キセルをくわえていたのはそういうことだったのだろうか。


「妃芽、落ち着いて聞いて欲しい。もうすぐここに鬼がやって来る、恐らくは学校で君を襲った鬼だろう」


 学校での場面がフラッシュバックする。とは言え襲われたのはほとんど背後からだったので思い浮かぶのは革張りのソファーに座った金城さんとその後ろに控えていた二人の鬼の姿だ。どうしよう、勝てる気がしない。


「間違いなくこれから戦闘になる、危険を伴うから申し訳ないけれど妃芽にはここを離れていて欲しい」

「分かった、足手まといだからね。…どこかに隠れていた方がいい?」

「いや、出来れば先に進んでいてくれ。僕の術で一般人からは認識しにくいはずだし紅玉の守護もあるから格段に見つかりにくいはずだ、一ヶ所に留まるよりは移動し続けた方が良い。…心配しなくても川を渡らなければすぐに追いつくから」


 なるほど、移動中に他人に見つからなかったのはそういうことか。それなら瑠璃のように他人の家の庭を駆けなくても公道で移動できるし、紅玉の守護があれば鬼と鬼ごっこをしても捕まらないだろうし。下手に隠れようとして追い込まれるよりは逃げ回っていた方が良いのかもしれない。

 瑠璃に言われるままに離れようとして、一つだけ引っ掛かっている心配事を思い出して足を止める。


「瑠璃。一つだけお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

「勿論。主命を賜れるのは一ノ鬼の誉れだ、可能な限り応えよう」


 よし、言質はとった。


「もし戦闘が終わったら、絶対に私より紅玉を先に助けに行って。お願いね」


 術が使えないとなれば紅玉はかなりの苦戦を強いられているはずだ。一応安全が保証されている私よりは前線に居る紅玉を先に助けるべきだろう。多少離れて術が使えなかったとしても紅玉が私の居場所を把握出来るのであればすぐに追いつけるだろうし、何より瑠璃は案内出来る紅玉をどうこう出来なくなる。

 瑠璃はものすごく嫌そうな顔をして返事をしなかったが、これまでの付き合いからしてきっと聞いてくれるだろうと信じて私は瑠璃の側から離れて行った。

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